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釧網本線塘路駅の近くにある塘路湖は、古来から菱の実(ペカンペ)の豊かな湖だったので場所と知られ、この菱のみを巡る争奪戦が行われたらしく、湖畔には四ヶ所の砦が残されている。このうち南岸(軌道の工事で原型は残っていない)に有る砦はウェンエカシ(悪爺)の砦と言うのである。北岸と東の沼上にある砦はいずれも高い崖の上にあるが、ウェンエカシの砦だけは低い湖畔の丘にある。このエカシはどこから来た者か知らないが、心が良くない老人であったと伝えられている。丘の方から来る敵に対しては深い堀を巡らしているので心配ないが、砦が低いので湖を渡って対岸から攻めてくる敵を常に警戒して、湖の中に縄を張り巡らしそれに沼貝の殻を吊るし、闇屋に敵が船で忍んできてもこの縄に触れると直ちに解るようにしていた。この砦が最後に攻め落とされた時に、ウエンエカシはあわてて鮭皮で作った履物を履こうとしたが、カラカラに乾いていてどうしても足が入らないので、しきりに唾をかけて鮭皮をしめらせて、それを何とか履いて脱出したと伝えられている。標茶町 島太郎エカシ伝
※続編・湖畔のコタンに舟歌が伝承されているという。
「ホー チプ テレケレ フン ホー チプ ホー フン」
意味は“それ船よ飛べ飛べ それ船よそらそら”狩猟民であるアイヌは戸外で歌を歌う事はあまりしません。獲物を逃がしてしまうからです。しかし村人が湖の菱の実を採りにゆく時には、声高らかにこの歌を斉唱します。菱の実は騒いでも逃げ隠れしないので、差し支えないのです。
シラルトロ沼の東岸の国道のところに、見渡す限り広葉樹であるのに、たった二本の椴松があって、それを二本松といっていた。近年二本のうちその一本は枯れてしまった(採録当時の事)が、この松は昔天地を創造したサマイクルカムイが此処で弁当を食べて、そのとき使った箸を立てて置いたのが根付いたものであると伝えられている。標茶町 島太郎エカシ伝
※このタイプの伝説を「箸立伝説」というらしい。
摩周岳の隣にあるなだらかな姿をして立っている西別岳は、昔は死人の行くポクナシリ(pokuna-mosir⇔ポクナモシリ⇒下方の世界、国⇒死者の国・地獄)だといっておそれられ、誰もこの山に近づく者がなかった。ある日のこと、虹別のトスムシという者がこの近くを歩いていると、向こうから外套を着たアイヌが来たので、変な人間だなと思って近づいてみると、そのアイヌがトスムシに「お前は私とポクナシリに行くんだ」というのでトスムシはびっくりして「私はまだそんなところへ行くのはいやだ」と一生懸命断ったが「私は死人だが、どうしてもお前を連れて行く理由があるから、黙って私についてこい」と命令した。そういわれるとトスムシはなんだか夢のような気持ちになって、眼を閉じて言われるままに後をついて行くと、あたりは真昼とは思えないほど深々として、まるで闇夜をいるような寂しさであった。やがて山奥深く入ったと思う頃、死人はいきなりトスムシを縛り上げて高い木の枝に吊るしあげたと思うと、忽然と姿が見えなくなってしまった。トムスシは恐れて何とかして縄から逃げようともがき苦しんだが、どうしても逃れようがなく、そのうち日が暮れてしまった。夜が明けるとトスムシがいないというのでコタンは大騒ぎとなり、大勢で探していくと木の枝に吊されているのを発見して、縄を解きやっと助け出すことが出来たが、それからは一層この山を恐れるようになったという。膝知文・東夷周覧
大昔虹別原野一帯が海であった時、津波が海岸のコタンを襲った。あわてた人達は、そこらの立木に船を繋いで止めようとしたが、どの木に繋いでもつなぎ止められなかったが、シュネニウシ(sine-ni-us-i⇔シネニウシ⇒一本の木あるところ)に有った一本のニワトコに繋いで止めることが出来、ここに逃れた人だけが助かって、コタンを作る事が出来たので、この土地をシュネニウシといって祭事には酒を捧げる様になった。標茶町 前田仙太郎エカシ伝
※現在の地図・地形図にはありません。
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