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浜中町は厚岸町の東、釧路支庁の東端に位置し、町の大部分が根釧原野西部の丘陵性山地と湿原で、琵琶瀬湾と浜中湾を隔てる霧多布半島と、霧多布湿原とを結ぶ砂州上に霧多布市街がある。浜中町では多くの野生動物と様々な植物を目にする事が出来ますが、その代表は極めて厳しい自然環境が開発を阻んできた結果残された国内3番目の広さを誇る霧多布湿原。湿原の花風景は、国内でも最大級と言われ、これだけの自然環境を備えた地域は北海道でも数少ない。浜中の海は、コンブの名産地で夏の収穫シーズンになるとコンブ漁の船が一斉にスタートする景観は感動物ですが、浜中名産のコンブも湿原から河川を通じて流れ出す栄養素のおかげといわれ、湿原の恵みに支えられていると言えそうだ。霧多布漁港を中心に沿岸漁業と一大酪農地帯としての農業が基幹産業で、浜中牛乳や浜中チーズが知られている。町名はアイヌ語の『オタノシケ』“砂浜の中央の意味”を意訳したものだが明るい開けた感じが好印象。
涙岬と立岩は、浜中と厚岸の境目付近、道道123号線沿いにあります。入口は道路の海側に駐車場と看板があり判りやすい。岬まではエゾカンゾウやアヤメの咲いている遊歩道を歩く事になります。立岩には途中の分岐点を左側に進みましょう。まもなく奇岩、立岩の展望地につきます。かなりの高さがあり柵の外側は危険ですから出ないように。
入口は立岩と同じです。駐車場から広々とした草原を清涼な浜風を受けながら数百m程海に向かって歩いていきます。高さ数10mの断崖に乙女の横顔がはっきりと浮かんでみえるのが凄い。悲しい恋物語が伝わり、嵐の夜にはすすり泣きが聞こえてくるというから無気味。(浜中観光十景)
火散布沼の厚岸寄りにある小さな海跡湖です。沼の周囲には原始の自然環境が広がる藻散布沼(もちりっぷぬま)でもタンチョウが越冬する事もあり、白鳥の越冬も有ります。火散布沼、藻散布沼もともに日本の重要湿地となっています。少し車を止めて水鳥の観察と云うのもここでは可能。
火散布沼(ひちりっぷとう)は湖岸に原始の面影を色濃く残した周囲13kmの比較的大きな海跡湖で大きなアサリが名物。アイヌ語のあさり貝が語源の通り此所ではアサリ貝やカキの養殖が行われている。静寂な湖面が賑やかになるのは10月から3月までのハクチョウが群れをなして飛び交う越冬シーズン。時にはタンチョウが越冬していることもあり、オオハクチョウとタンチョウの珍しい組み合わせを見ることが出来るかも。火散布沼、藻散布沼もともに日本の重要湿地に指定。
火散布沼と霧多布の中間にある国道沿いに琵琶瀬展望台は有ります。展望台正面から左側にかけて湿原を琵琶瀬川が蛇行する「霧多布湿原」を望み、振り返ると琵琶瀬湾に浮かぶ窓岩を一望、雄大な太平洋が広がる360度の大パノラマを楽しめる、詳しくは次頁で
琵琶瀬湾から船で10分程の距離に有る個人所有の無人島。動物王国で知られるムツゴロウこと畑正憲さんが40年程前に約1年間ここで暮らしていた。今は海鳥の繁殖地で、スズランやクロユリの咲く希少な動植物の宝庫となっており、珍鳥のエトピリカに逢うチャンスもあるかも。嶮暮帰島への上陸は専門ガイド同伴が条件で浜中町が入島許可証を発行。ペンションポーチが実施する他では得難い無人島のツアーの人気が高いと云う。◇問い合わせは観光協会の方まで。
元々霧多布は半島だつたが1960年のチリ地震の津波で細い砂州部が切断され島になった。現在は砂州の上に、霧多布大橋が架かり地続きの半島に復活している。霧多布半島は周囲15km、東端は灯台のある霧多布岬(湯沸岬)で、高く荒々しい崖が、垂直に海に落下してる。西端に突きだした岬がアゼチの岬で草原の斜面がなだらかに落ち込みその先に小島、嶮暮帰島などが迫り、さらに、その先に琵琶瀬の高台が眺望できる。駐車場から遊歩道を少し歩くだけで絶景が広がります。半島中央の湯沸には霧多布ふるさと広場が有る。
知名度は全国区の霧多布岬、駐車場のすぐ傍に岬の展望台があり、荒々しい断崖が岬先端に向かって伸びる。左の写真はそこで撮影したもの。展望台から岬先端に続く遊歩道を歩きながらよく岩場を注視するとゼニガタアザラシ等を見る事もある。岬の上は草原が広がり、6月下旬になると草原は、エゾカンゾウのオレンジ色に染まる。駐車場の前には土産屋もあるが、賑わうのは夏のほんのひと時で割と静かな岬風景だ。霧多布は半島の名称で岬の正式名称は湯沸(トブツ)岬です。
北太平洋シーサイドラインの霧多布岬突端に立つ白地に赤横帯の入った大型灯台。たまたま松浦武四郎の歌碑を見に行ったとき季節外れの観光者が多い事に気づいた。2010年8月に公開された映画『-ハナミズキ』のロケ地の一つだった様で多くの若者が訪れていた様です。武四郎の歌碑まで見ていく方は殆どいなかったのは残念ですが、先端に歌碑があるとは思わないでしょうね・・
この碑を知っているのはよほどの武四郎ファンか岬マニアと釣り人くらいか。霧多布岬(湯沸岬)展望台から灯台まて遊歩道があり、灯台を越えて下へ降った断崖の上に手書きの歌碑「かねてよりあらきしほ路きりたふの島根にたかくよするしらなみ」(納沙布日誌より)が有る。良くもこんな所にと思う場所ではあるが、武四郎碑としては最高の場所だ。◇浜中町湯沸岬灯台付近
霧多布岬から南に約5km、アゼチの岬は霧多布岬の豪快で雄大な男性的景観とは対照的な穏やかで女性的な美しい景観で、手前に小島、その奥に嶮暮帰島を望む見事な眺望が広がっています。岬の先にある小島には少数のエトピリカが草地に穴を掘って営巣。繁殖期の6月~7月に運がよければ見る事ができるかも。数が非常に少なく巣へ出入りするのを待ちかまえるのがポィントです。距離が有るためフィールドスコープが必要ですが写真撮影には困難な距離。
榊町から茶内に向かい風車を過ぎてまもなく右折、上水道施設まで進むと車止めでここから約300m歩くといこいの広場。広場からはカーブを描く海岸線と榊町の海岸から霧多布市内につづく町並みを一望、反対側は根室の落石岬まで見えるが湿原は見えない。それでも凄いパノラマには違いない。位置的には榊町トンネルの岬尾根上になる。旧榊町展望台は樹木で視界が完全に遮られている。
霧多布市街から約16km程、榊町から浜中市街を抜け国道44号線に出たら左折、少し進むと国道沿いにある休憩スポットで、簡素な鉄骨組の酪農展望台と開拓公園、レストハウスがあります。展望塔からは広大な牧場風景が広がり、天気が良ければ、はるか知床や阿寒の山々を望めるという。
茶内~散布間13kmのほぼ中間にあるイチイの巨木で、胸高直径98cm、樹高13m、推定樹齢430年でイチイとしては若輩だが風格はさすがにイチイ。昔はここを通る人の憩いの場所として親しまれ、大樹の影に荷物をおろしていっぷく〈休憩の事〉してから、次の場所に足を運んだと云う事からついた名前。姉別にミズナラの巨木が有ると言うが、旅人が見つけられそうにない所の様です。
浜中町の史跡ですが、駐車公園になっています。史跡名はウラヤコタン異国船上陸の地と言い1832年2月にオーストラリアの捕鯨船、レディロウエナ号がウラヤコタンの海上一里半、霧多布へは半里に停泊し、乗組員が上陸した地点です。公園からは霧多布半島の全景と帆掛岩などの展望がすばらしく、ドライブ中の休憩ポイントには最高、でもこれをウラヤコタン読める人は・・
霧多布岬沖約3kmの距離にある約10m四方、高さ約20mの小島で手前は黒岩。榊町から見た形が帆を掛けた形に似ている事から帆掛岩と呼ばれている。周辺は昆布漁の漁場でウニや貝類が多くアザラシの生息出来る環境が揃っていてアザラシが波間から顔を出していたり、岩の上で休んでいる姿をよく見るという。肉眼では遠すぎるがフィールドスコープならば何とか見えるかも。
榊町から根室方面に進み最初に出会う幌戸沼(ぽろとぬま)はシーズンを通してタンチョウが見られる事が多い。干潟もあり渡り時期には多数の水鳥も。秋にはエゾシカが歩いた跡が沼周辺のヨシ原に残っているのが珍しい。幌戸沼では運が良ければコクガンを見られるかも。またここではよくタンチョウを見かけます。幌戸沼の河口はサケ釣りのポイント、ウミ雨の雰囲気もあり。
貰人から恵茶人(エサシト)の海岸線はどこまでも続く砂浜に打ち寄せる白い波が印象的ですが、ここはサーフィンの穴場とか、サーフィンをしている人はまだ見たことはないが。道路沿いには葭やフトイが生い茂る800ほどの恵茶人沼がありタンチョウ鶴の姿を見ることもある。沼の周囲は放牧されている馬の姿も。この付近は6月下旬ころからヒオウギアヤメが美しいところですが訪れる人も少なく自然をノンビリ満喫できます。
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