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道東・釧路市、白糠町、旧音別町のアイヌ伝承話‼

釧路アイヌの始祖

昔釧路には人間が住んでなかった。そのころ雄阿寒岳の妹と海の鯱神の妹を取替え、雄阿寒岳には鯱の妹が嫁になり、鯱の所には雄阿寒岳の妹が嫁に行った。雄阿寒岳に嫁に行った鯱の妹に子供が出来たので、男の子を子守に頼んでおいた。あるとき鯱の妹が男の子に自分の子供を背負わせて山を登っていくと、後ろについていた男の子が鯱の妹の着物が木に弾かれて現れて肌を見たと怒って、男の子を蹴飛ばしたら、子供を背負ったまま阿寒川の支流ワッカクンネネップ(水の黒い川)に落ち、流木に掴まったまま流されて阿寒川に出、更に釧路川(昔の阿寒川は釧路川に流れ出ていた)に流れ出て行った。すると東釧路の御供山の所で針仕事をしていた二人の女が、子供二人川を流れてくるのを見つけて、先に行って流木の先を押さえた者が大きな子供を育て、遅れていって後を押さえた者が小さな子供を育てようと相談し、茂尻矢の川の曲がりめで姉が先に行って木の先を押さえ、妹が後から行って木の尻を押さえて助け上げ、御供山へ連れて行って育て、二人が大きくなってから二組の夫婦になり、それが釧路アイヌの先祖になったのだという。鶴居村 蜂案サヨフチ伝

釧路アイヌの先祖

昔釧路の大首長と言われたキラウコロエカシ(角を持っている長老)の一族は、アウンモイ(現・青森県)という所から一族60名が三艘の船に乗って来て網走に着き、ここで網走の首長に妹を嫁がせた。その子孫が美幌や白糠、足寄方面のアイヌの先祖になったのだと言い、キラウコロエカシはその後釧路の遠矢に移って砦を持ち、弟の一人は春採湖畔に砦を作った。更にもう一人の弟は旭川の美瑛に移った。それでキラウコロエカシから三代目の時、クルムセアイヌ(チシマアイヌ・クルンセは千島の旧名というが辞書には見あたらず)と戦争をしたさいに、旭川からも応援に駆けつけたという。キラウコロエカシが釧路に来た頃は、釧路や塘路、標茶、当別などにはすでに他のアイヌ達がいて、当別は一番古い時代から釧路アイヌが居たと云うことである。釧路 山本多助エカシ伝 ※釧路アイヌの先祖と言うよりも山本多助エカシの家系と言った方が納得しやすいかも。初代首長・キラウコロエカシから第二十四代首長・山本多助エカシ迄の系譜はチカップ美恵子著「森と大地の言い伝え」の中で詳しく書かれている。チャシとの関係で言えば第十六代首長の実兄トミカラエカシは宝暦年間1757年~1763年に実在した人物。第十七代首長の弟は文久五年クスリ場所の乙名として記録あり。第二十代首長フミウンカクシエカシは釧路内陸部を調査した松浦武四郎の案内人で久摺日誌に乙名メンカクシとあり庄屋清一郎氏と思われる。松浦武四郎はキラウコロエカシの家系とチヤシと関係を聞き書きで残している。

歴史上の釧路アイヌの先祖

松浦武四郎の記録では乙名メンカクシは先祖について、初代をヲニシトムと語っている。ヲニシトムは遠矢のアイヌと思われるが釧路アイヌの宗家を継いだとすれば、話としてヲニシトムが最初に出てきても不思議はない。1700年代の中頃に活躍した有名なトミカラアイノはヲニシトムからは2代目になる。トミカラアイノの弟トミチャアイノ(釧路アイヌ第十六代首長)は生涯を虹別で過ごしたとあり。三代タサニシはメンカクシの祖父で寛政の乱当時の人。以上は戊午日誌からだが東蝦夷日誌ではタサニシがメンカクシ直系の先祖となっている。チカプ美恵子氏の釧路アイヌ歴代首長によると第十五代目首長とあるフンケッケ・エカシとヲニシトムは同一人物ということになるが、ヲニシトム以前は口碑の中にだけ生きていると言えそうだ。メンカクシは釧路アイヌ第二十代首長。

春採湖の砦 チャランケチャシ

春採湖畔のチャランケチャシと言われているチャシは、もとトーモシリ(湖の小島)と言った所で、この島が陸につながったところをオヤコッ(o-ya-kot=尻が陸岸に付いているの意か)と言って、トーコロカムィ(to-kor-kamuy=湖を治める神)の遊ぶ所といって、汚れたことをしてはいけないところであったという。釧路市 佐藤直太郎集

桂恋チャシの鎧と宝刀

昔桂恋の首長の家には、立派な鎧と刀が代々家の家宝として伝えられてきた。首長は其の鎧を高い竿に掛けてチャシに立て、金の飾りが日に輝いてピカピカ光るのを見て羨ましがる人々を眺めて一人悦に入っていた。刀は二重の箱にしまって人には見せなかった。不思議な事にこの刀は生きていると言われ、食物として干魚を入れて置くと無くなっている。無くなると又入れておく。もし入れなければ、ガクガクと音を立て食物を催促する。だから常に干魚を入れておく事になっていた(妖刀イペタㇺ)。それで「生きた刀」として恐れられていた。光る鎧の評判は遠く北見の方まで知れ渡った。北見のある首長が其の光る鎧が欲しくなってたまらず、これを盗み取うと色々工夫したが、桂恋の首長は油断なく見守っているので、手の施しようがない。ある時ふとうまい考えが浮かんだ。それは若い男をやったのでは怪しんで監視を厳重にし近寄る事も出来ないが、妊娠している女なら油断するだろうから隙を見て盗んで逃げ帰るという計略であった。其の計略はうまくいった。首長はウタリ(身内・同族の者)と一緒に沖に魚を取りに行った。その隙に乗じて鎧を盗み取って逃げ出した。首長はそれを知って大急ぎで船を漕いで帰り、伝家の宝刀「生きた刀」を持って追いかけクシリ(釧路)のモシリヤ(現・城山)で追いつき、後ろから払い切りに胴を切ったら、腹の子供もろともに切ってその鎧を取り出した。それからその刀を「オボコロベ(妊婦を切った刀)」という様になった。釧路春採 志富アェーニキエカシ伝

桂恋チャシの鎧

昔、カツラコイにキリコポイエカシという武勇に秀でた偉い人がいた。彼は戦いに着る立派な鎧を持っていたので方々のアイヌに羨ましがられた。あるひ、キリコポイエカシはカツラコイのチャシの上に、鎧を干して用足しに出かけた。留守居は首飾りをつけた美しいメノコだった。お昼時分、メノコは喉が渇いたので、子供を負ぶって、水を汲みに沢に降りた。すると突然にブシ矢が飛んでメノコの背中に刺さった。いつの間にかカツラコイに潜んでいたのか、キタミアイヌが三十人ばかり、チャシの上に現れ鎧を担いで逃げていった。キリコポイエカシは、帰ってこの一大事を知ると、直ぐ後を追った。そしてモシリヤのチャシ近くで追いついて三十人余りのキタミアイヌを片っ端から切り倒し、その鎧を奪い返した。その時の戦いは実に見事なものであった。釧路春採 山本太吉エカシ伝 ※カツラコイに関する伝説は管理人が見ただけで8話あり、そのうち7話は北見アイヌと戦った話、6話は宝物を奪い返すが、残りは取られたまま。残り1話はクナシリとの戦いに関するもの。※イペタムは鞘から出したら血を見ずには収まらない刀、伝説ではイペタムは敵を脅すのに使用されるが実際に人を切った話は少ない。※山本太吉エカシは「森と大地の言い伝え」の著者チカップ美恵子さんの伯父上。

釧路の河童フントチカムィ

釧路市トンケㇱのペットマイ(もと沼のあった所)という所を霧の深い夜に歩いていると、どこからともなく人の姿が前に現れ歩いている。誰か知っている人かと思って後ろから、返事もしないでさっさと歩いていく。足跡を見ると鳥のような跡なので変だなと思っているとフトその姿が消えてしまい、気が付くといつの間にか後ろから付いてきて、ぼんやりしていると水の中に引きずり込まれてしまう。それで夜になってからこの辺りを一人歩きするものでないと言われたという。近くの春採の沼にも居ると言い伝えられているが、姿は犬のような形をしていると云われていて、この地方ではフントチカムィと言っている。釧路市佐藤直太郎集 ※この辺のカッパ伝説は姿形を除けば東北や関東の伝説と何となく似ているが、旭川のカッパは煙草好きとキムンアイヌとよく似た話で北海道内でも異なっている。他にコロポックルに関する伝承があるという。

義経(サマイクル)のチャシ

義経が釧路に来て弁慶と相談して、チャシを築いたのが知人岬の現在の厳島神社のところであった。海に臨んで阿寒山もよく見えて景色も良く要害も良かったので、大変気に入って長く住むことにした。義経が弁慶と弓勢を競で、西に向かって矢を放って、義経が勝ったというのは、このチャシの上からだという。上田カム伝

知人岬の神石

釧路港が出来る前まで知人岬にノッコロカムィ(岬を治める神)と言って敬っていた二つの神石があった。昔世界の始まりに男と女の二つの星が人間に幸福を授ける為に、天から天下ってここに鎮まったと伝えられている。大きい方の石をピンネカムィ(男である神)と言い、小さい方をマチネカムィ(女である神)と言って、春の漁期はこの岩に向かって大漁を祈願する祈願祭(カムィノミ)が行われたものであったが、釧路港の築湾工事の時に男神の岩は爆破で壊され、女神の方は土の中に埋められてしまった。北海道庁編・北海道の口碑伝説 ※チカップ美恵子の「森と大地の言い伝え」によると、破壊に気が付いた知人の人によってピンネカムィスマの一部が厳島神社の境内に移され埋められたという。ピンネカムィスマをはじめここでの神石は伝説通りだと隕石と言うことになる。

義経の窓岩

興津の海岸に今でも窓岩という穴の開いた大岩をくぐり抜けるところがある。それは昔義経が知人岬の上にチャシを築いて住んでいた時に、家来の弁慶と東に向かって、弓勢の競争をした。まず弁慶の射た矢は遠く興津の海岸から壁の様に突き出た大岩まで飛んでいったので得意になっていると、義経の矢はその大岩を打ち抜いて、人間の立ってくぐり抜けれるほどの大穴を開けたので、義経の勝ちになった。釧路春採 山本甚吉エカシ伝※東蝦夷日誌に「」昔判官様が手頃な礫を打給ひしかば、岩破れて穴明てといへり」とあり別話もあったようです。

釧路の鯱神レプンカムィ

釧路市の知人岬に、海の中に突き出ている二条の岩脈があって、干潮の時にはそれが壊れた橋桁のように見える。これは昔カムィルイカと言って、海の沖の神様であるレプンカムィ(鯱の神)が陸の神様に会い行くとき、通っていくために作った橋であるという言い伝えがある。レプンカムィがここを通るときは、人間に見られない真夜中か、もし日中であるなら大暴風雨を起こして、人間が外に出て見られないようにして通ると言われている。北海道庁編・北海道の口碑伝説※チカップ美恵子さんの「森と大地の言い伝えに」によると神々が出会うのは年一回という。

白糠・馬主来の地名由来

音別と白糠の町境に馬主来(パシクㇽ)という沼がある。現在でも鳥の多く集まっている所であるが、昔此島を支配していた神様が、船に乗って各地を見廻ってこの沖にやってきたところ、濃霧を吐く魔神が、海上一帯を海霧で包んでしまった為、船を岸に寄せ付ける事が出来ないで困っていると、霧の中から鳥の鳴き声がしたので、その声に導かれて無事に船を着けることが出来た。それ以来ここをパシと言うようになったという。中田千畝・アイヌ神話 ※パシはパシクㇽ(カラス)のクㇽを省略したものか?

白糠・馬主来の地名由来2

昔白糠アイヌ鱈釣りに出、ふき流されし時、海霧深く何処とも知りがたしによって、海神に祈りしかば、空に鴉の声致せしゆえ、その声のした陸の方に船を寄せれば、この沼に至りしと。よってそのアイヌここに木幣(イナウ)を作りて、この沼に奉る。松浦武四郎・東蝦夷日誌 更にもう一話あるも、厚内のオタフンベと話の筋書きは殆ど同じなので十勝の伝説で掲載した。

白糠のオショロコッ

白糠町から二キロ西ヘ寄った海岸の丘にあるオショロコッと言う沢である。オショロとは尻のことで、コッは乾沢のことであるが、この丘で昔義経が、より鯨を蓬の串に刺して焼いていたところ、串のもとが焼けて焚き火の中に倒れ、鯨の油に火がついて炎が大きくなったので、義経はびっくりして尻餅をついた。その跡が沢になったのであると伝えられている。白糠町 貫塩喜蔵エカシ伝
※古い記録では松浦武四郎の東蝦夷日誌にあり。以下その部分を転載「義経公此処にて蓬の串に鯨をさし、焼給し時の串折れしかば、火が飛たりと、其時驚て尻餅つき給しによってなずけしものと」とあり。“osor-kot=オソコッ”は“尻餅をついた跡の窪み”という意味になる。

白糠のオショロコッ

昔弁慶と義経とが、釧路の知人岬から弓勢の競争をしたとき、義経の矢はここまできて土に深く刺さり込んだが、弁慶の矢は半分も飛ばないで落ちてしまった。義経は鼻高々に「どうだ俺の弓の勢いはたいしたものだろう」と自慢すると、沖の方から「そんなに威張るな」という声が聞こえたので、声の方を見ると波間から海馬が頭を出して笑っていた。義経は大いに怒って、すぐさま射殺して引き上げ尻から串をさし込んで土に突きさし、火を焚いて焼いた。火に当たっているうちに居眠りをはじめた。海馬はじゅじゅ油を滴して焼けていたが、串に火がついて燃え、急にドスンと大きな音がして、火の中に落ちたので、義経はびっくりして尻餅をついた。その時へこんだ尻跡だという。白糠町 矢石オシコネシエカシ伝
※話の導入部が弓勢の競争で、結果を笑われその相手を射殺して焼く。相手が海馬という事で珍しい伝説。

白糠海岸の一本松

昔弁慶と義経とが、釧路の知人岬の所にたってあたりを見ていたが、誰の矢が遠くまで飛ぶかやってみようと言うことになり、二人は各々一本づつのエゾマツの矢を此の岬から射た。ところ弁慶の矢はやっと大楽毛と庶路の間に達したのに、義経のものはそれよりずっと先に飛んで白糠海岸のオショロコッの所まで達して、その丘に刺さり根が付いて、たった一本孤立したエゾマツになった。それで白糠コタンでは、このエゾマツをポンシュンㇰと言って、神様に酒をあげるときは、必ずこのポンシュンクにもあげたと言うが、山火事(昭和7年頃)で焼けて枯れてしまったという。白糠 貫塩喜蔵エカシ伝
※このとき弁慶の射た矢も根付いて大楽毛川の河口にある一本松になつたという伝説が残っている。その松は鉄道工事で切り払われてしまったとの事です。

鹿の下る山

白糠と十勝の国境に、ウコタキヌプリという山があり、山へ猟に行くときは必ずこの山に木幣を捧げる事になっている。ここはユケランヌプリとも言って、昔、鹿を司る神様が天から鹿を下ろしたところであると言い、最近まで、良く雷鳴がして、鹿が下ろされる音がしたという。足寄や白糠地方に鹿の多かったのは、この山に降りた鹿が峰を伝って人間の里へ集まって来るからだと言い、白糠ではこの山の峰続きになっている石炭岬やサシウシの岬(サシウシチャシ)に酒を捧げ、鹿を下げてもらうように祈願したものである。白糠町 差間三平エカシ伝

白糠サシウスチャシの伝説

昔、サシウスのチャシに美しい女の首長がいた。その名をホルペチヤ・カムィ・メノコと言った。あまり美しいのでカンドコロカムィ(天上の神様)が天下ったのではないかといわれたものだ。この女首長は立派なシトキ(胸飾りの玉)を持っていた。それを聞いた厚岸の首長が奪い取ろうと、部下を船に乗せ不意に攻め寄せてきた。サシウスコタンのアイヌは常に恐ろしい評判の厚岸首長が来たと聞いただけで、はや逃げ支度するという大騒ぎになった。しかし、女首長は少しも騒がず、静かにチャシの中央にたって、天に向かって神の助けを乞う祈りをしたとたんに、忽ち旋風が巻き起こって、チヤシに半ば攻め上った厚岸勢は木の葉のように吹き飛ばされて、サシウスの東の方で皆殺しになった。そこをチコップと言うのは、皆殺しにしたと云う意であるという。白糠町千葉ヌイフチ伝

白糠・庶路川上流の地獄穴

白糠町に有る庶路川の上流から阿寒に抜ける穴があると古くから伝えられ、これはあの世に通じているアフンルパロではないかと言われている。昔、2匹の犬が熊を追ったところ、熊はこの穴に逃げ込んだので、2匹の犬も続いて後を追って中に入って行ったが、一匹は熊を追って阿寒の麓ヘ抜けることが出来たが、一匹の犬は遂に出てこなかった。それで穴が二つに分かれていて一方はあの世に続いているのでは無いかと言われている。美幌町 日下ユキフチ伝 ※ahun-ru-par⇒入る道の口⇒あの世への入口。

音別海岸の蜂神

十勝の厚内の中間辺りにオトベという所があり、そこに砦の跡がある。この砦に昔爺さんと婆さんが住んでいたが、ある晩婆さんが水汲みに川に降ていったところ、耳輪に月の光が当たってキラキラ光って見えたので、厚岸の者(強盗団)が矢で射殺した。そのあときっと爺さんもいるに違いないと待っていたが、爺さんが姿を見せないので海岸に砂を盛り上げて鯨の姿を作り、その上に魚の皮をあげておいたら、鴉がそれに集まって騒いでいるので、砦の中の爺さんは鯨が寄ったのだなと思って砦を出たところ、厚岸方に射られ、着物が破れ睾丸も傷つき、川を飛んだら川の中に睾丸が落ちてしまった。それでも逃げて音別あたりまで逃げたが、そこで殺されてしまった。厚岸の連中は勝ち誇って歌を歌いながら沖を船で通ったら、蜂の大群が飛び出して厚岸勢に襲いかかつて刺し殺し、たった一人だけ事実を伝えるために生き残った。それでその蜂の居たところを音別の人が通るたびに木幣をあげ、そこをチノミ(我ら拝む所)と言うようになった。白糠町 相戸ヤエフチ伝 ※現在の地形図に有る白糠町庶路川沿いの乳呑の事か・・

音別の炭川

釧路市音別の尺別川の隣にパウシュペ(尺別川の支流という別説もある・現在の地形図にその名は無い)という小川がある。昔この附近の海上で鯱と海馬とが争いを起し、大いに戦ったことがあるが、鯱の方が負けそうになったので、この小川に逃げ込んで必死に川上に向かって泳ぎあがり、どうにか海馬から逃れる事が出来た。落ち着いてから海に戻ろうとしたが、勢いよく突っ込んだ為、体を廻す事も、後戻りする事も出来なくなって、そのまま川を埋めてしまった為に、川は炭のように真黒くなってしまったという。パシとは炭の事でウシュ(正確には us=ウㇱ となる)はある所、ペはものという意で、炭のある所という事である。中田千畝・アイヌ神謡集

音別川の洪水

音別川の上流7~8里も入った所にカラマ(現在名は本流、カラマンベツ橋がある)という所がある。昔厚岸アイヌが船でやってきて、ここで木で魚の形を作り、それに魚の皮を被せて川の中に入れ、それをマレッキ(魚突き専用の特殊な銛)で突いて「カラマ カラマ カラマ」と言って騒いでいると、山から大水が出て(山津波)きて皆それに流されて死んでしまった。その後誰かが狩りに行って泊まったりすると、川の中を走る音だとか、水を汲んできて小屋に水をかける音とか、人々の騒ぐ声や木を伐る音で眠る事の出来ない所だという。白糠町 相戸ヤエフチ伝※命ある者は神が作るというアイヌ民族の思想があり、昔は生き物を彫る事はしなかったという。karは作る、maは泳ぐというような意味か?

参考文献

基本的な参考文献は弟子屈・釧路地方に限れば「森と大地の言い伝え」チカップ美恵子著がお勧め。義経と弁慶の原型はサマイクルとオキクルミと思います。江戸期に書かれた松浦武四郎の著作にもかなりの伝説が記録されているが簡潔なので後に書かれた伝説と比較用には良いと思う。

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