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別海町の歴史遺産と鉄道遺構を巡る旅‼

別海町郷土資料館

別海町01

別海町の自然や先史時台や、別海開拓の歴史など8テーマーに分けて展示している。目を引くのは復元された開拓小屋と天然記念物シマフクロウの剥製。入館料は加賀家文書と共通です。◇別海町別海宮舞町29番地 TEL:0153-75-0802

加賀家文書館

別海町02

平成12年に開設された文書館。加賀家は江戸時代から明治初期に野付を中心にアイヌ語通訳をしていた家で、加賀家文書の殆どは野付半島に住んでいた加賀家7代目である加賀伝蔵が書き残した。館内では加賀家文書資料を7つのテーマーに分けて展示してあった。加賀伝蔵は松浦武四郎とも親交があり文書館には松浦武四郎のコーナーを設け、彼から直接贈られたという知床日誌などが展示されている。文書館には野付半島にあった耕作地の場所を示す図をパネル展示してあった。加賀家文書は北方史史料集成 第2巻に収録。◇別海町別海宮舞町29番地 TEL:0153-75-2473

幻の街「キラク」

半島先端部には江戸時代にかけ港町として繁栄し遊郭もあったと伝えられる謎めいた幻の町。2000年にUHB放送で『蜃気楼の彼方に消えた街・キラク』NHKの『ほっからんど212』でも放送された事が有る。半島先端部の外海側には江戸時代に番屋が建ち並んでいた事がわかっていて、今も土塁や溝、敷石が残り、半島の最先端付近からは古銭や食器の破片が出る。幻と呼ばれるのは古文書や古地図には「キラク」の記録が全くないにも関わらず街の痕跡が残されている事による様だ。

野付通行屋・番屋跡遺跡

野付半島は1774年に和人による漁業がはじまり文化、文政、天保年間には鯡漁などが最盛期を迎え、1799年に通行所が置かれ、漁業と北方交易の要所として栄える。江戸末期には漁業も衰退、船舶技術の発展により海上交通の要所としての役割も薄れ、明治時代末期には終えている。文化から安政年間に当地を訪れた松浦武四郎の「知床日誌」には「海の色が変わって見える程に鰊が群来ていた」との記述もあるが「蝦夷日誌」では「ここは只止宿所になるばかりにして、さして漁猟なし」戊午日誌では風連湖からニシベツ川付近まで「鰊漁で繁水晶いわん方なし」と有る事から全く不振と云う事では無かった様だ。キラク伝説に有る畑については不明だが、野付半島での畑作の契機については近世蝦夷人物誌二編に登場する農夫茶右衛門の項に詳しい、戊午日誌の中でも畑の様子が記されている。

日本国有鉄道(国鉄)標津線

平成元年に廃線となった標津線本線と支線を合わせて別海町には8駅あった様ですが、既に20年以上経過し、建造物も盛り土された線路跡や橋梁などを除けば殆ど残されていないが、光進駅と上春別駅にはホームが残る。別海駅の駅前広場には記念碑のみ、西春別駅と奥行臼駅には遺構が保存されている。別海市街から奥行臼駅までの区間をフットパスとする試みがなされている。

鉄道記念館 鉄道記念公園

別海町05

平成元年4月に町民に惜しまれながら廃止された標津線が、根釧原野の開発に果たした役割とその功績を永く残すためJR西春別駅跡を鉄道記念公園として整備。園内には保存車両等とあわせ公園整備時に建てられた記念館内に記念乗車券から制服、信号器具など標津線ゆかりの品を150点以上展示保存。◇別海町西春別駅前西町1-2

国史 奥行臼駅逓所

別海町08

駅逓は交通不便な地に駅舎と人馬を配置し、宿泊と運送の便をはかるため設置された北海道独特の制度で其の起源は寛政年間と言う。奥行臼駅逓所は当地草分けの山崎藤太郎氏を取扱人として明治43年に開設されたもので、別海町に設けられた9ヶ所の駅逓所のなかで現存する唯一の建物で北海道の指定文化財。大正年代に1部立て建てかえがあったと言う事ですが資料館として一般開放。奥行臼は根釧原野の中でも歴史が古く、明治末期から入植が行われ開拓者の交通の要所であった。すぐ近くに樹齢500年というミズナラの巨木が有ります。◇開館:五月から10月◇休館日:第1と3月曜日◇閲覧無料・期間中管理人常駐◇別海町別海奥行15-12

旧跡 奥行臼駅

別海町06

平成元年4月に廃止されたJR標津線の中で、別海駅と並び一番古い歴史を誇る駅が駅舎と構内を廃線当時の状態ほぼそのままに保存されている。また奥行臼駅は昭和46年に廃止された村営軌道の乗換駅で、別海の南の玄関口でもあった。◇別海町別海常盤町280

旧跡 村営軌道風連線

別海町07

風連線の歴史は戦前に始まる馬を使用した簡易軌道。昭和38年に動力化され別海地域唯一の交通機関として、地域の人だけでなく牛乳や生活物資の輸送に活躍したが、車社会の到来によりその歴史的役割を終え昭和46年に廃止となった。廃線後はそのままの状態で保存されディーゼル車両と転車台が残されている。◇別海町別海常盤町280

伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱

別海町03

伊能忠敬の第1次測量では蝦夷地南岸を測量し最北・最東端である西別まで到る。伊能忠敬は千葉県佐原の人で隠居の年齢に達してから暦学天文の勉強をはじめ、北海道の正確な地図を製作するための第一次測量は殆ど自費で実行、ニシベツ到着は陰暦の8月7日、現在の暦では9月25日、ネムロ迄の測量予定が鮭漁の最盛期のため人手不足で断念したという。この測量結果が幕府に評価され以後の測量では幕府から支援を受け第三次以降は正式な幕府公用となる。入り口から進むと中間付近に伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱が有る。◇別海町本別海・西別川河口右側

本別海の一本松

別海町04

明治の初期、別海町発祥の地(明治以前は西別川河口の北側がベッカイで南側はニシベツ)である西別川河口近くの柳田の番屋側に有った松(当時は数本有ったと云うが現存する唯一の松)で、樹齢は単純計算でも140年近い、別海町の指定文化財です。ここは別海十景なのだそうで鮭シーズンには尾白鷲の姿を見る事もある。◇別海町

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