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音更川の巨鳥

『音更川の岸、現在の来野駅付近は昔アイヌの家が二三軒よりない淋しいところであった。そこの女の人が子供を背負って歩いていると、急に大きなフリーカムイ(巨鳥)が舞い降りて来て、逃げる隙もなく引きさらって空に飛び上がり、東の方に飛んでいった。それを見たコタンの人が飛んで行くフリーのあとから剛弓で射かけたところうまくフリーに当って、士幌川の東の山の上のアイウシピラというところへ落ちて、危うく女の人は助けられ、それからここをアイウシピラ(矢のある崖)と呼ぶようになった。フリーカムイというのは今は何処にいるんだか、どこから来たんだかわからないが大鷲のことだということだ。』音更町・竹内道太郎エカシ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。

音更川のクシャミ岩

『十勝上士幌から十キロ程上の音更川にエシナウシという岩がある。それは丸い岩を二つに切り割った様に両岸に別れ、その間を音更川が流れている。エシナとは嚔(クシャミ)の事を言うのであって、昔天地を創造したサマイクルカムイが、この岩に腰をおろして休みながら、なにかを焚火の中に入れて焼いたところ、突然に焚火の中のものがはねたので、神様がびっくりして飛び上がり、その拍子に岩が割れてしまったというが、そのとき嚔も出たので、岩の中に大きな洞が出来たと伝えられている。』北海道庁編・北海道の口碑伝説・更科源蔵・アイヌ伝説集より。※エナ=esna=くしゃみ

トキサラ地名伝説

『音更町にトキサラという土地があって、トキサラは沼のわきに耳の様な小沼のついた地名をさすのであるが、ここには次のような伝説がある。昔子供もいない貧乏な独り者の老人が北見から山を越して来て、音更の首長の家を訪ね「音更というところは、鮭の背中が川水の上に出るほど豊かなところだと聞いて、途中草を食べながら二十二日かかってここまでやってきたが、何とかして少しでも良いから魚を捕らしてもらえまいか」と申し入れた。音更の首長は気の毒に思って小川を一本だけこの老人に分けてやったところ、老人は懐から一つの大盃を出して神様に感謝して、その唯一の宝物の大盃への贈り物にしたのだ。音更の首長は感心して、老人にくれた小川にトキタサップという名を付けたのだという。』音更町・細田カタレフチ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。※キサンラ-kisanrap-耳朶

士幌の地名伝説

『或る時十勝音更コタンの者が二三人で、上士幌の方に熊とりにいったところ、川の方に煙りが上がっているので、こんなところに誰がいるのだろうかとそっと近寄ってみると、川原に二十人ばかりの人が集まって焚火をしていた。これはろくなものでないに違いないと思って、物陰にかくれてみていると、その中の一人の老人が「お前達気を付けろよ、ここまで来ると音更の奴ら何処から来るか分からないから、もし音更のものが出てきたら飯を炊いた鍋を川の中に投げ込んで逃げろ、俺たちが鍋を棄てて逃げたところという名がつけば、ここまで来た俺たちの顔も立つからな」といって卑しげに笑った。それを聞いて音更の猟師達は、急に物陰から躍り出たので、びっくりして鍋を川の中に投げ入れたが皆殺しになってしまった。この殺された人達は北見から来た夜盗であったというが、それからこの川をシュオロ(鍋をうるかす)川というようになつたという。』音更町・細田カタレフチ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。※別な伝説ではチオマトーと重なる伝説があり、他にもう一説ある。『昔この土地に小さな砦を築いていた(佐倉付近の士幌川らしい)無頼の徒がいたが、或る年糧食が欠乏して餓死に迫られたとき、「シュゥオロー」と叫んで、入れるもののなくなった鍋を川に投げ入れて「オルベレレー・オルペレレー」と声を上げて泣いたので、この川にシュゥオロという名がついたという。』北海道庁編・北海道の口碑伝説・更科源蔵・アイヌ伝説集より。

他に石狩岳が音更川の源流ということで石狩岳の話を入れましたが他と重複しています。

音更川のオチリシ (人間の育たない地)

『音更川の沿岸にオチリシというところがある。オチリシとは二つの山または高台の先が合したところで、そうしたところは両方から神様が降りてくるところなので、本来はよいところであるが、良すぎてそういうところには人間がコタンを作れないといわれている。この音更川の岸のオチリシにも昔はコタンがあったところだが神様が降りてくるところであるために、若死にしたりして遂にコタンがなくなってしまった。』吉田厳・人類学雑誌・更科源蔵・アイヌ伝説集より。

石狩岳と雌阿寒の争い (壱)

大雪山系の石狩岳の伝説で『別れて帰った雌阿寒に腹を立てて石狩岳が鉾を投げつけたところ、雌阿寒の耳を傷つけてしまった。そこで怒って雌阿寒が鉾を投げ返したが、その勢いがあまりにも激しく石狩岳が危うくなったとき、ヌプカウシヌプリが駆けつけて鉾を打ち落としたので石狩岳は助かった。それ以来ヌプカウシヌプリは偉い山として、アイヌの尊敬を受けるようになった。そしてヌプカウシヌプリの元立っていたところが沼になり、然別湖といわれるようになり、石狩岳からうけた雌阿寒の耳の傷は化膿して、今も硫黄になって流れ出ているというのである』坂井章太郎・十勝史。更科源蔵・アイヌの伝説集より。

石狩岳と雌阿寒の争い (弐)

大雪山系の石狩岳の別な伝説ですが内容はよく似ている『イシカリヌプリと雌阿寒は元々夫婦山で有ったが、雌阿寒が浮気をして石狩ヌプリを嫌うようになった。ある日雌阿寒の髪飾りである樹木が大変乱れていたので、石狩ヌプリは非常に怒って雌阿寒を打とうとしたところ、雌阿寒は真っ赤な炎の息を吐いて石狩ヌプリに挑戦してきた。そして二つの山は互いに譲らず何日もの間黒煙を上げ紅炎を吐いてものすごい争いを続けたが、次第に石狩ヌプリの方の力が衰えて今にも雌阿寒のために打倒されそうになった。その時これをみていた十勝岳が親友の石狩ヌプリに加勢して、雌阿寒を打ちこらして石狩ヌプリを救った。雌阿寒は炎を噴きながら遠く釧路に逃げて阿寒山になったが、十勝岳から受けた傷が化膿して、今も硫黄になって流れいるといい、十勝岳の元いたところは然別湖になったと云うことである』近江正一・伝説の旭川及びその周辺より。

石狩岳と雌阿寒の争い (参)

もう一つの石狩岳の伝説ですが内容は込み入っており人間くさい伝説『石狩岳とマチネシリ(雌阿寒)は元々夫婦山で有ったが、僅かなことで大喧嘩を起し、マチネシリは二人の間にで来たばかりの乳呑子を抱いて、遠く釧路へ去ってしまったので石狩岳は怒って槍を投げつけたところマチネシリに当たらずに子供の耳に傷つけてしまった。これをみてマチネシリはすっかり逆上して、傍に落ちた槍を拾いとるや、猛烈な勢いで投げ返した。それがまさに石狩岳を突き刺しそうとしたせつな、音更にあるヌプカウシヌプリが走り出て飛んでくる槍を打ち落としたので、石狩岳は危ないところを救われた。それ以来アイヌの人達はこのヌプカウシヌプリを尊敬しオプタテシケップ(槍のそれたお方)というようになった。この山は元々今の十勝然別湖のところにあったのであるが、石狩岳を救うために走り出たので、その跡が凹んで湖になったのが今の然別湖であるという。だから然別湖の深さとヌプカウシヌプリの高さは同じであるという。また釧路に去ったマチネシリは石狩岳の恨みを恐れて、子供をそこにおいたまま、遠く千島のエトロフ島に逃れて、アトサヌプリとなってしまったが、夫に別れ子供を捨てたことを悲しみ、夜となく昼となく泣き続け、その涙が凍って氷の柱となり、この山陰には夏も溶ける事がない氷があるという。そしてもし十勝のアイヌが、この山の麓を通ることがあると、必ず山の上から岩石を投げつけて仇をするので、エトロフに行った十勝アイヌは、決して十勝のものであることを言わないのであるという。なおとのときマチネシリが釧路に捨てていった子供が現在の阿寒岳で、その時の耳の傷は今も残っていると云う事で有る』山越三次郎エカシ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より。

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