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広大な敷地にある本格派オートキャンプ場でコテージとトレーラーハウスはキャンプ用品が無くても利用は出来るがなんと言っても冬でも利用可能というのがポイント。センターハウスには団らん室や売店、パーク内には野外ステージやMTBコース、パークゴルフ場など設備も整っている静かなキャンプ場で広い芝生からは日高山脈と更別の田園風景が望める。更別川の朝霧や霧氷など幻想的な風景を見たり、撮影するには手頃な場所ですね。学校教育関係の行事には割引が有ります。◇更別村字弘和541番地62 TEL:0155-52-5656
更別村には10kmを超える直線道路が平行して何本も東西、南北に走っていて、道路沿いや地平線に並ぶから松の防風林が普通にみられ十勝らしい風景が広がっている。その中に所々に『かしわの大木』が残されているが、これらはかつて更別原野を覆っていた原生林の生き残り。
更別村の南東にある協和地区の高台からは、広い十勝平野と南北に連なる北海道の背骨『日高山脈』が一望できる。キャンプ場付近も十勝らしい景色が広がっている。更別村の町営牧場のある更南付近は標高300m前後の高さで場所によっては見晴の良い所が有りそうだが・・・探してみね。
猿別川は幕別の川というイメージが強いが源流は日高山脈の山裾、更別町更南付近に発して更別の原野を流れ下りサケ・マスの孵化場の上流でイタラタラキ川と合流、そのごサッチャロベツやサッチャルベツ、サラベツ川の流れを集め幕別町に入って糠内川と合流し十勝川に流れ込みます。十勝管内でも湧水の多い川として知られていますが、更別の中ではイタラタラキ川が特に湧水量の多い川として知られている。水温は年間を通して安定しているため冬期間も凍らずに川面が開けている。凍てついた朝は川面一面から川霧が立ちこめ木々は樹霜で輝き幻想的な風景を作り出し、時にはダイヤモンドダストを見ること。
更別村では豊かな湧き水を利用した養魚場が多いが更別フィッシュファームでは釣りもできる。ニジマスにヤマベ、オショロコマの釣りが楽しめるが、此処では更にギンザケも釣りの対象になつていて管理釣場としても面白い存在。竿の持ち込みもできルアーやフライ、えさ釣り、冬場も釣りが楽しめということだ。食堂は営業停止との事、近くに食堂など飲食店は無いので用意していった方が良い。◇更別村勢雄519 TEL:0155-52-2062
更別町更南付近より発して更別原野を流れ下るため水質は見た程には良くない。酪農地域の水質汚染は程度の差はあるが徐々に進行しているのはどこも同だが、猿別川は湧水が多くあまり目立たない。中でもイタラタラキ川は湧水量が多く湿地帯が天然の濾過槽となっていて雨で他の川が茶色になっていても此処だけはそれ程変わらず、道東の西別川や美留和川とよく似ている。猿別川やイタラタラキ川ではニジマス、ヤマメ、オショロコマが釣れるが、釣り堀などから脱走したとものという話もあるが魚影はそれほど多くはなさそう。
駅逓碑を探しに行って出会った発祥の地碑。ここで最初の移住者は明治38年で富山県人、山田嘉一郎兄弟という。その頃は駅逓以外には何も無いところであった。サラベツという言葉通りの湿原と原生林を切り開いて現在の更別に至ったという記念の地で、平成5年に更別村教育委員会の手によって記念碑が設置されている。◇更別村勢雄東1線11号
碑裏面の碑文より
「明治30年、更別原野に始めて道路が開通し、ただ1箇所の駅逓が設けられ更別村開発における最初の拠点となった地点としてここに印す。昭和47年9月、開村25周年を記念して建立する」とある。イタラタラキ駅逓所跡説明板によると、明治30年に帯広から広尾に至る仮定県道を設ける事になる。明治31年、その中間にイタラタラキ駅逓が、滋賀県出身の吉川茂吉氏を取扱人として開駅、大正5年に廃止している。碑と説明板は更別町が設置したもので道道更別幕別線沿いの東和橋付近。
◇所在地:更別村字勢雄454番地1 ◇GPS:N42°38’28.3” E143°51’36.5”
高さ3mの碑と説明板が更別村によって平成4年に建立されている。説明板によると、大正10年に廃道となっていた旧広尾道路がサラベツ地区の開発拠点として再開発された。その時苫小牧の出身の原信夫氏が駅逓取扱人として下イタラタラキ駅逓が開駅した。イタラタラキ駅逓廃止から5年後である。碑は道道更別幕別線沿いの親平橋付近にある。
◇開駅年:大正11年02月 廃駅年:昭和08年06月
◇所在地:更別村字更別基線129番地 ◇GPS:N42°40’27.8” E143°12’59.2”
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