☆更新情報など☆
トップメニュー、レイアウトの一部変更。
『ヌプカウシヌプリ(原野にいる山)は十勝のアイヌなら誰でも大事にする山だ。昔十勝川の奥に夫婦山があった。その息子が内地に行きたいと言って出かけた留守中に夫婦喧嘩をし、腹をたてたおかみさんが女の子を連れて釧路に帰ってしまったが、どうしても腹の虫がおさまらないので十勝川の奥の山に槍を投げつけた。途中でそれを見ていたヌプカウシヌプリが「これは大変だ」と立ち上がって槍を押さえようとしたが、つかみ損なって槍のために耳朶を飛ばされてしまった。それで槍が少しそれて十勝川の奥の山の一部の岩を壊した。ヌプカウシヌプリの元いたところに水がたまって然別湖が出来たのだ。内地に行っていた息子が沢山栗をお土産にして帰ってみると、母親がいなくなってあたりが荒れているので、腹をたて十勝には入らずに空知川の奥のユクトラシ(現・南富良野町幾寅)上に立って持って来た栗を全部日高の方へばらまいたので、日高には栗があるが十勝には無いのだ。槍をぶつけられたオヤジ山はオプタテシケ(槍のそれた)山だ。』芽室町・勝川ウサカラペフチ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
『帯広から然別湖に行くとき峠を越す所の山をヌプカウシヌプリ(原野にいつもいる山)といって、山狩をする人々が大事にする山だ。あの山はもっと奥の方にあったのだが、夫婦喧嘩をしてオヤジに背中をど突かれたので、よろけてあそこまでずり出てしまい、元あったところに水がたまって然別湖になったのだ。』芽室町・久木田ヨシノフチ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
『昔、阿寒の山は女山で、日高の幌尻岳と夫婦であったが、夫婦喧嘩をして釧路へ帰るのに別れて音更の奥を通りかかったので、そこにたっていたヌプカウシヌプリが仲裁しようと話をしている、急に幌尻岳が二人を目がけて槍を投げつけた。それが大雪山系のオプタテシケ山をかすって飛んできて、ヌプカウシヌプリにあたりそうになったのであわててヌプカウシヌプリが逃げ出したが、かなわず片方の耳を槍で飛ばされてしまった。今士幌や然別原野のあっちこっちに大石が散らばっているのは、この時のヌプカウシヌプリの耳のこわれてとんだものだ。そしてヌプカウシヌプリがもと立っていたところがへこんで水がたまり、然別湖になった。この山は阿寒の山を助けた偉い山だだから、音更ではこの山に酒をあげるのである』音更町・竹内道太郎エカシ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
『十勝の然別湖はカジカもサルカニも棲息しないで、昔よりイトウより他いない沼であり、この沼の主は大きなイトウだと伝えられている。昔狩人が大熊を見つけて追って行くと、熊は沼に飛び込んで逃げたので、残念に思ってぼんやり見ていると、熊が沼の中頃まで泳いでいったと思ったら、急にプクプクと三十間もあるイワンオンネチェプカムイというイトウの主が、大熊を呑んだがあまり大きいので口にはばけて、大熊の片方の掌を口から出したまま死んでいた。』音更町・細田カタレフチ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
『然別の湖畔で狩人が大熊を見つけたので、両方から挟み撃ちにすると熊は沼に飛び込んで泳いでいって泳いでいったが、途中まで行くと熊の姿は何かに吸い込まれるようにもぐり、やっと浮き上がって少し泳ぐとまた何かに引き込まれそうになる。やっと対岸に泳ぎついたが、疲れ果てて動けないでいるところを湖畔をまわって行った狩人に獲られたが、身体中が傷だらけだった。沼の主のアメマスに呑まれようとしたのを、後脚で蹴飛ばしけとばしやっと岸についたのだ。』帯広市・木村庄太郎エカシ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
『然別の二又の間の山をペットウトゥルヌプリ(川の間の山)とも云うが、セタマシヌプリと云って、狼が天上からはじめておろされた山だ。昔は狼の事もセタ(犬)と呼んでいたものだ。』芽室町・勝川ウサカラベ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
『十勝平野の雷は然別湖の奥と、十勝川の奥から出てくる。この雷が海岸の方へ行ったきり帰ってこないと、天候は一週間くらいもくずつくが、直ちに山奥に戻ると晴天が続く。この山奥に雷がいるのだ。』帯広市・広野ハルフチ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。
観光協会主催の「白蛇姫祭」は然別湖に伝わる白蛇姫の物語からヒントを得たとなっているが、白蛇姫物語という話は創作伝説で、以前は鹿追町でもそう説明していたし作者の名前を公表していたと記憶しているが、最近は鹿追町の伝承と書いてある。発想が極めて日本人的であるが、この話の元ネタになった伝承の存在はあるかもしれない。
トップメニュー、レイアウトの一部変更。