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ぐるっと枝幸プチ観光・歌登エリアの自然とアウトドア‼

旧歌登町の概要

旧歌登町は宋谷管内南部に位置する内陸の町、かつては町の80%が森林に覆われ森林王国として栄えたが、今は丘陵地帯に牧草地が広がる酪農の町。冬は零下40度近くにもなる北海道でも指折りの寒冷地として知られる。自然は豊かで森林王国の片鱗を見せるが特に徳志別川河床から発見された謎の動物化石、デスモスチルスの産出は有名で、減水期には化石の出た河床が見え今も貝化石が多量に産出。デスモスチルスは1997年9月に徳志別川寿橋近くの河床で、完全に近い1個体の化石骨を含む多数の化石骨が発見、発掘され、古生物の生態に貴重な資料を提供した。1300万年前に生息していたデスモスチルスは健康回復村に敷地内にある「ふるさと館」に展示されている。寿橋の手前にはデスモスチルスの看板があり川原に降りて下ると減水期なら川中を横切る岩盤帯に貝化石が多数あるが見えるだろう。

歌登健康回復村地図へ

歌登健康回復村道北地域は過疎化の波が最も進んだ所で歌登も例外ではない。過疎化対策ではないだろうが枝幸町辺毛内に温泉とスポーツ施設を一緒にした一大リゾートエリア歌登健康回復村をもち、施設も充実 ゴルフ場、キャンプ場、森林浴コース、フィールドアスレチック 、テニスコート、バーベキュー場を完備、中核にグリーンパークホテルがあり、殆どのレジャーに対応出来る。7月下旬から8月上旬にかけてラベンダーが見頃となる。森林館やふるさと館もあり、歌登の歴史と文化の発信基地にもなっている。観光コースから外れているが、それだけに穴場的な存在だ。アウトドアーのベースキャンプにも向いているが、徳志別川での釣りが目的のキャンパーには上徳志別の元小学校を利用した上徳キャンプ場の方が良いかも。但しこちらは有料となる。

歌登ふるさと館

歌登ふるさと館メインは今から1300万年前、この地に生息していた全骨格の揃ったデスモスチルスの化石。東洋のクロンダイクと呼ばれた頃の本物の砂金の他、日本一の砂金塊レプリカ。馬橇に丸太を積んで運ぶ剥製の馬は今にも動き出しそうな迫力がある。幻のイトウが悠々と水槽を泳ぐ姿も圧巻だ。歌登の歴史や北方的な自然をジオラマや郷土資料等をつかった紹介もあり歌登では見逃せない存在だ。◆開館時間 9時30分~16時30分 TEL:0166-8-3004◆休館日 月曜日「祝日と重なるときは翌日に休館」

道北スーパー林道地図へ

歌登・道北スーパー林道美深町より函岳の懐を貫き歌登に抜ける林道は更に風烈布林道を走りつなぐとオホーツクに達するスーパー林道だ。最近は割と整備も行き届いているものの、 快適なツーリングコースとは言い難いが、林業関係の人や山菜取りの人以外でこの林道を利用していたのは、名流徳志川の上流に釣りに入る釣り人が圧倒的に多い道だ。最近加須美峠からこの辺で最も高い山、函岳に山頂に通じる道が開かれた。函岳には尾根筋を道路が通っていることもあって北見山系の展望を存分に楽しむことが出来る。林道は峠付近からは森林限界を超えるため一面熊笹や灌木に覆われた高原のパノラマが開ける。山頂には山小屋があり休憩も可能、一度は通ってみてほしいところだ。行く前には車の点検整備と燃料の補給を忘れずに林道は山菜取りの車が多いので、安全運転に心がけよう。函岳に寄って走ると70㎞を越えるまさに道北スーパー林道なのだ。

歌登の自然

歌登・寿橋下流自然環境は他の町村に比べて森林の占めている割合が高く、森林王国の片鱗を見せる。特に徳志別川の源流域は未だ原始の森の風格がある。函岳と黒岩山を水源とし、豊かな森から流れ出る徳志別川は比較的水量が安定、魚類の遡上を妨げる物もなく道北きっての名釣り場となっている。デスモスチルスの化石が産出した地層はデスモスチルスが闊歩していた。 1900万年前に浅海から瀬海域に堆積した地層で貝化石や木片など他に亜炭層を含んでいる。寿橋を渡って50㍍ほど進んだ所から右折し250㍍ほど進むとこの地層が露出しているが、この地層をタチカラウシナイ層といい徳志別川流域に割と広く分布していて、貝化石は頻繁に見かける。タチカラウシナイは上徳志別から乙忠部に方面行く途中にある地名、川名。

緑の高原キャンプ場地図へ

歌登・緑の高原キャンプ場健康回復村敷地内の丘の上にある小さなキャンプ場。必要な設備は整っているがなんと云ってもキャンプ場利用が無料でキャンパーに開放されているのがうれしい。キャンプ場からは健康回復村から歌登市街まで箱庭のように展望され爽快だ。もう一つはこの辺では古木が多いせいか珍しくクマゲラが出没すること。丘の上だけに風には弱いが荒天時はセンターハウスに避難可能との事です。ただ無料貸しの用具などはありません。

かみとくツーリストキャンプ場

歌登・かみとくツーリストキャンプ場管理人が学生時代にこの辺で釣りをしていた頃は現役の上徳志別小学校だったが時代とともに廃校となり、1993年に私設のCamp場として生まれ変わり以後多くの釣り人に愛されてきた。枝幸町では唯一の宿泊施設を完備するCamp場で、ライダーハウスです。お勧めは釣り人からカヌーイスト、ライダーまでというところだが気ままな一人旅の方にもお勧めかも。料金もどちらかというとリーズナブルな設定となっているので長期滞在にも有利です。特に限界まで体を酷使する釣り人には超お勧めかも。詳しい事はCamp場の公式サイトで確認をしてください。

デスモスチルスの里

歌登・デスモスチルス発掘現場

絶滅し今は地上にいない動物デスモスチルスとはどのような動物か、化石発見の流れの中で最初は海牛類、続いて長鼻類から有蹄類に近い動物と続き、完全な化石が次々と発見されデスモスチルスの姿がはっきりしてくるに従い属名デスモスチルスと属名パレオパラドキシアをあわせてデスモスチルス目が作られるに至った。簡単にいうとデスモスチルスには色々なタイプがあるということだ。化石は北太平洋沿岸から広範囲に渡って発見されているが北海道からは4タイプが発見されている。中でも多いのがデスモスチルスだ。歌登町で発見された化石は完全な一体で、これからレプリカが制作され各地の化石博物館に。足寄町でもほぼ完全な化石2体が発掘されている。化石の発見された地層はいずれも海成層で歌登デスモスチルスは1.300万年、穂別デスモスチルスは1.500万年、足寄ヘベモトプスは2.500万年前に生息した動物の代表。歌登ふるさと館でデスモスチルスの標本展示をしています。歌登以外では足寄動物化石博物館で殆どのデスモスチルス目の化石と鯨類の化石を見ることが出来ます。デスモスチルス目の化石7体が展示されている所は世界中で、もしかすると足寄だけかも。

歌登簡易軌道ディーゼル機関車

歌登簡易軌道機関車枝幸~歌登~小頓別を結ぶ拓殖軌道の開通は昭和4年というがこの時代の動力源は馬で俗に馬鉄と呼ばれていた。 昭和10年よりガソリン機関となり、戦後は簡易軌道と改称される。昭和37年に動力がディーゼル機関となるも昭和45年に完全に廃止。 写真のディーゼル機関車は歌登ふるさと館前に展示、歌登~小頓別間で実際に使用されていた車両です。

歌登の旧駅逓跡を巡る

枝幸町・上幌別六線(枝澤)駅逓跡の碑

枝澤駅逓跡の碑上幌別六線駅逓跡の碑は道道12号線沿いで歌登市街、民家前の歩道端にある。道路を挟んでイデオスのスタンドです。町史では駅逓開設が大正10年で廃止は昭和10年となっている。北海道庁告知は大正11年で正式認可と1年ほど開きもあるがその間は民営ということでしょうか?。二代目取扱人、長村秀氏は咲来駅逓の取扱人にも出てくる。旧歌登町の駅逓跡には総て碑が建っているが、駅逓の正式名称ではなく通称(取扱人)名となっているのが特徴。此処では正式駅逓名とし通称を()で括ったが、石碑は総て通称名で刻まれていた。※駅逓の詳しい事は「駅逓跡を巡る旅」を参照してくさい。◇現住所:枝幸町歌登西町 ◇GPS:N44°50’31.4” E142°28’29.7”

枝幸町・上幌別(渡辺)駅逓跡の碑

渡辺駅逓跡の碑歌登市街から一番近い駅逓で明治37年開設とあり歌登最初の駅逓のようで、大正12に廃止されている。石碑は道道220号線沿いで元小学校前で道道がカーブする少し前に有ったが、道道の切換工事に伴って元小学校右横側に移転再設置されている。枝幸方面と大友駅逓の中継地で有るとともにペヤマン方面の入口にもなっていたようです。◇現住所:枝幸町歌登中央 ◇GPS:N44°48’28.1” E42°26’22.9”

枝幸町・本幌別(矢野)駅逓跡の碑

天野駅逓跡の碑歌登の駅逓では開設は遅く、碑文によると昭和4年?から昭和15年までの間ここにあったようだ。駅逓所の碑は道道220号線が直角カーブを避けるように改良されたので、旧道側に入ると本幌別の集会所脇に有る。碑の文字が天野とも見えるが取扱人は矢野浅一氏なので矢野駅逓で間違いはなさそうです。廃駅は堀駅逓より2年ほど早い。碑には「昭和五十九年十月開基八十八年記念受彰者一同 建之」と記され設置から既に30年以上過ぎている。北海道庁の告知や駅逓協会報では上幌別26線駅逓所で昭和4年となっているが実地年は不詳、昭和7年に本幌別駅逓所に改称して以後は前期の通りですが、碑文に従うと昭和4年から稼働していたことになります。◇所在地:枝幸町歌登字本幌別 ◇N44°45’54.2” E142°22’37.0”

枝幸町・本幌別(大友)駅逓所跡

天野駅逓跡の碑こんな所にと思うような所で駅逓の碑を見かける事がある。それは峠の麓などなのだが本幌別で見た大友駅逓跡の石碑もその1つですが、笹原の中に石碑が頭だけを出していた。碑文を見ると明治41年から大正15年までの間となっているが、北海道庁の告知では大正13年廃止なので私設駅逓の期間も有る様です。大友駅逓所はその位置から見て上幌別(渡辺駅逓)と音威子府(咲来駅逓)との中継地だったと思われる。道道220号線沿いの駅逓跡碑近くに小さな松林と牛に空き缶があたる道路標識があった。◇所在地:枝幸町歌登字本幌別 ◇N44°43’33.3” E142°21’00.3”

枝幸町・志美宇丹(堀)駅逓所跡

天野駅逓跡の碑宗谷管内の市町村の中で旧歌登町は駅逓所の設置数は多い方で、志美宇丹駅逓所の他に上幌別駅逓所、大友駅逓所、天野駅逓所、大曲駅逓所などが有った。総ての駅逓跡に記念碑を確認していますが、堀駅逓もその一つで、乙忠部から歌登に抜ける道道120号線沿いの志美宇丹郵便局横に碑が有ります。元々は大正11年に上徳志別に設置され、昭和8年に志美宇丹に移転し名称も上徳志別→志美宇丹原野→志美宇丹駅逓所と変わっているが取扱人名から堀駅逓と通称されている。◇所在地:枝幸町歌登志美宇丹 ◇N44°46’08.1” E124°34’39.6”

枝幸町・上徳志別(松田)駅逓跡の碑

松田駅逓跡の碑歌登最後で再奥の駅逓、志美宇丹と仁宇布駅逓の中継を担っていた様です。駅逓は道道120号線の旧道沿いで加須美峠と旧国道が峠へ向かう分岐点にある。此処から仁宇布迄は二つの峠を越える難所だったが、天の川トンネルの開通でルートが変わっり、橋より奥は殆ど廃道化。旧枝幸町に有った7駅逓の内、場所がほぼ正確に分かっているのは乙忠部と音標の駅逓所だけで、他は確かな情報は無く駅逓の碑も無いが礼文駅逓所は植民区画図(地形図)に駅逓マークがある。◇現住所:枝幸町歌登大曲 旧道分岐部 ◇GPS◇N44°40’14.5” E142°34’40.5”

枝幸町の自然と景観スポット・ミニギャラリー

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