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音更町の南端の高台にある花見と花火のスポットとして地元では有名な公園。お花見シーズンはライトアップされ夜桜見物も出来る。公園が出来た頃は『音更公園』と呼ばれていたが昭和35年に『鈴蘭公園』に改名。公園のシンボルになっている高さ13.5mの時計塔やあずまやがあり、広葉樹の森を縫うように整備された遊歩道がある。展望台もあり近隣の町並みや十勝川、日高山脈を望める、本格的ではないがキャンプも可能な都市公園です。
歌碑は鈴蘭公園にあります。松浦武四郎は安政5年4月に富良野から十勝越えの踏査、8月には十勝川流域再精査をしているが、この時は広尾から芽室、然別を経て音更に入り8月27に総乙名シラリサ宅に一泊するが、この時はシラリサは利別に行っており不在であった。十勝日誌では「此のあたり 馬の車のみ津きもの 御蔵建てて つまま欲しけれ」と宿泊した音更川河口付近の惣乙名シラリサ家の柱に書き留めたとある。歌碑は1919年(大正5)に帯広開町25年記念として建立されたと云うから道内に有る武四郎の歌碑として年代物である。ただ武四郎への評価は釧路と似ている印象、当時としてはそれが一般的な武四郎への評価だったのかもしれない。ここではもう一首「何事も 旅はたらはぬ ものなりと なき魂も 心してませ」と詠んでいる。詠んだ所はモケナシの高台(富丘)でした。武四郎の紀行に関しては「松浦武四郎の碑を巡る旅」にて道内各地の記念碑などを紹介しています。◇音更町鈴蘭公園 ◇N42°56’36.9” E143°12’04.5”
祖霊碑は先人の苦難をしのぶため、アイヌ支援に尽力した喜多章明氏ら設立の社団法人十勝旭明社が1966年10月に建立した。住宅街の一角にアイヌ祖霊碑がある。かつて道庁は勧農政策として開進地区(東は音更川から西は国道241号横の丘陵地まで北6~北9線の一帯)に、明治20(1887)年から翌年にかけて点在していたアイヌ民族を半ば強制的に移住させ音更コタンを形成したの。旧土人保護法を制定して、勧農政策として一戸あたり5ヘクタールの土地を給与し定住を図ったという。一方的に土地を奪っておいて給与というのも傲慢な話したが、元々漁労中心のライフスタイルだったアイヌ民族には農業には馴染めず、土地を手放してしまった人が多く勧農政策は失敗に終わる。コタン跡の一角には「喜多章明先生の碑」「中村要吉翁顕彰碑」「開道の礎石音更蝦夷民族祖先累世之霊廟」が並んでいる。毎年4月29日に祖霊碑祭が開催されている。
◇所在地:音更町 開進地区
明治32(1899)年、明治政府が勧農政策として半ば強制移住させたアイヌ民族の子弟を同化政策の方策として明治39(1906)年に「音更特別教育所」(後の開進尋常小学校)を設置し、アイヌ民族の伝統的な自然観や口承文化からの転換を意図した同化教育を昭和6(1931)年まで実施しました。民族の伝統文化を否定した差別的内容でしたが、中村要吉は教育が民族の復権に寄与する事と期待し、私財を拠出してこの学校の設立及び維持のために尽力したという。
◇所在地:音更町 開進地区 音更アイヌコタン跡
音更では最も古い渡船場という、渡辺勝がシカリベツブトに定住し牧場経営が本格化した頃の明治26年に今の帯広市西17条付近にかけて「渡し船」が私設で行われ、明治29年より「たぐり渡船」、明治30年より官設の渡船場となり橋などが出来るまで帯広と音更を往来する重要な渡船場だったという。昭和10年頃まで稼働していたようです。◇所在地:音更町然別
中士幌八号の駅逓と呼ばれていたようで「人馬繼ぎたてと旅人宿」の看板を出していたと云い、宿風に建てられた厩舎だったという。明治25(1892)年に下帯広村に官営駅逓が設けられて以降、内陸部に駅逓が出来ていくが、中士幌駅逓は音更初の駅逓で、明治41(1908)年に開設され市原勇吉が駅逓取扱人でした。牝馬3頭を配置し、大正末期まで運営されていた。駅逓は帯広と現士幌の重要な中継地であり、北に「寺町」(士幌町「美濃の家」付近)が形成され、推定戸数90戸、人口500人で帯広以北随一の繁華街だったという。駅逓は交通網の整った大正14年に廃駅となっています。中士幌駅逓となっていますが音更町内に入るようです。◇開駅年:明治41年05月 ◇廃駅年:大正14年09月 ◇初代取扱人:市原勇吉 ◇所在地:東音更幹線62番地1
平成17年に廃止された旧オサルシナイ林間キャンプ場の跡地。バンガローは撤去されキャンプはできませんが広場のバーベキューハウスやトイレ、ウッドチップを敷いた周辺の散策路など他の施設はそのまま利用できます。大雪山や雌阿寒岳、日高の峰々が望める展望台もありバ-ドウォッチングや森林浴などには十分に使えそうです。◇音更町字長流枝4 ◇問いあわせは音更町役場迄 TEL:0155-42-2111
日高山脈の北部の眺望がよいが地元でも牧場関係者以外に知られていない。音更から道道239号熊牛音更線を芽室方面に進み、芽室町との町界に近い音更町の西側を南北に縦断する十勝中西部広域農道沿いに入ると良い。共愛育成牧場が近くなると日高山脈を眺める絶景の牧場風景に出会える。共愛育成牧場は昭和46年に誕生した大規模育成牧場で生後11~25の乳牛を対象に育成。◇音更町字万年西
観光バスもわざわざ通るというロケーション抜群のルートは国道274号線から上士幌ゴルフ場へ向かって北へ進む道道337号上士幌士幌音更線で、長い直線道路を小刻みにとアップダウンしながら登っていき東大雪の懐に吸い込まれていくようだ。夏は約12Km続く灼熱の路面から立ちこめる陽炎で先が揺らめいて見える程で、北海道らしい道路の一つと云えます。道道は殆ど士幌町の中を走るが音更は入り口になる。
残念な事に此処10年ほど音更町内の河川から足が遠のいており釣りに関しては聞いた話という事になる。まずは最近の話題から音更川にもウチダザリガニが生息するという話、千代田堰堤に魚道が出来て鮭やサクラマスが遡上産卵してもウチダザリガニに食べられてしまう可能性が有ると云う・・・もう一つは魚道が出来た事によってニジマスは基本的に放流の出来ない魚になると思います。ニジマスに限って云えばキャッチ&リリースは単に釣り人のエゴという事で、生態学的には禁止すべきでしょう・・このあとの判断は自分でしてください。釣場の概要としては音更橋から下流の音更川では各橋からの入釣が楽だが下流ほど大場所が多くなる感じがする。魚の居る所と居ない所がはっきりしているので釣場の選択はそれほど難しくはない、十勝川から遡上するモンスターも稀には居るようだ。ただ濁りやすく釣りにならない事が多いのもこのエリアの特徴。十勝川に関しては音更川など支流との合流部などは誰もが狙うポイントだが桁違いに広い川では通い詰めて川を知っていないと釣りには殆どならないと云える。
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