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ぐるっと胆振プチ旅1
苫小牧・安平・厚真・むかわ町を巡る‼

開拓使三角測量勇払基点蝦夷地開拓史跡公園 苫小牧市MAP

開拓使三角測量勇払基点北海道指定文化財 史跡「開拓使三角測量勇払基点」碑文より「開拓使は三角測量による正確な北海道地図を作成するため、明治6(31873)年3月からお雇い米国人James.R.Wasson(ワッソン)を測量長に任命し、5月から三角測量で最初の作業となる基線の設定に取りかかった。ワッソンは初め、石狩川上流に基線を考えたが、設定に必要となる見通し距離を得ることが出来ず、計画を変更し勇払原野での調査となった。その結果、勇払と鵡川間の直線約14kmに基線を設定、区間の両端に目標台と石柱を建てて基点とし、勇払基線のおおよその計測を行った。翌明治7(1874)年ワッソンを継いだ米国人Murray.S.Day(ディー)の指揮により、勇払基線の本格的な測量が行われることとなった。ディーと日本人助手らは計測を精密にするため、天体測量を実施し、勇払起点の経緯度を北緯42度37分34秒、東経141度44分46秒とするとともに8月に米国製機械の到着後にこれを使用して勇払起点から鵡川起点への測量を実施し、勇払基線の測定値を14,860.26461959mとした。もう一方の鵡川基点は発見されていないが、この勇払基点は当時の最新技術を駆使した、わが国で最初の本格的三角測量議場施設であり、ここからは多くの日本人測量技術者が祖だったと北海道史上ならびに、わが国測量史上貴重な文化財である。昭和42年3月17日指定 北海道教育委員会 寄贈 苫小牧測量設計事業協会』石碑右下の写真には「明治7(1874)年、全道の測量に出発するディーら一行」と刻まれている。※測量の事業は明治明治9年12月に中止され、未完成の状態で開拓使の北海道実測図が刊行されている。勇払基点は昭和37(1962)年6月に勇払中学校校内にある排水溝脇の盛土中央で発掘で地表から80cm掘り進んだところに銅鋲を打った30.3cmの正方形の石柱が発見され、風化を防ぐため地中に保存されてるが、三角にデザインされたケースの上から覗き見ることができる。勇払基点に関連する記念碑や標柱は4基あり、平成30年になってむかわ町にも記念碑が建てられた。◇指定年:昭和42年3月17日 ◇設置年:不詳 ◇設置者:北海道教育委員会 ◇寄贈者:苫小牧測量設計事業協会 ◇所在地:苫小牧市字勇払132番地49 勇払ふるさと公園内 ◇Gmap:マップコード

蝦夷地開拓移住隊士の墓苫小牧市指定史跡MAP

蝦夷地開拓移住隊士の墓勇払開拓史跡公園内の墓石群はかつて勇払原野に散在していたのを戦後になって集めたもので、最も古いのは八王子千人同心が勇武津に移住した寛政12(1800)年のもの、新しいのは江戸時代最後の慶応3(1867)年に建立されたものという。江戸幕府の下役人で武蔵、甲斐国の国境警備と治安維持を任務としていた八王子千人同心が、幕府に蝦夷地勤務を願い出て寛政12(1800)年に約100名が2隊に分かれて白糠と勇払に入る。隊員50名は鵡川町の町汐見で、畑作地開墾と警備に当たるも、寒冷と栄養不良、疾病などで1年足らずで3割が死亡し入植者は離散、入地以来8年が経過した文化5(1808)年、鵡川を放棄するに至った。ここに祀られているのは勇武津場所にかかわりのある勇払会所関係の墓石9基10人分、八王子千人同心関係の墓石4基9人分、場所請負人関係の墓石2基7人分の他不明の墓石3基3人分で合計18基、29人分となっている。また苫小牧発祥の地であり東蝦夷地における和人最初の墓とも言われる。白糠町には八王子千人同心頭のひとり、原半左衛門縁の地碑がある。入り口に勇払開拓の礎八王子千人同心顕彰之燈が左右にあり、墓地の中央に勇払会所上役の鈴木歳郎源重礼建立の地蔵尊がある。苫小牧市が設置した蝦夷地開拓移住隊士の墓説明板がある。◇市史跡:昭和31年3月10日指定 ◇管理者:苫小牧市教育委員会 ◇所在地:苫小牧市字勇払132番地38 ◇Gmap:マップコード

勇武津資料館

勇武津資料館シコツ16場所とも呼ばれ、白老、千歳、苫小牧、鵡川、門別などに運上屋があり、勇払は河海両域の交通の要で交易の拠点であり、交易品の集積地として栄えていた。1799(寛政11)年に幕府は蝦夷地を直轄領とし勇払川の東側にかつての運上屋を会所と改め設置した。このとき15場所を統括し勇武津会所として統一、従来の交易施設だけでなく幕府の役所としての機能をもつようになる。翌1800(寛政12)年には、八王子千人同心一行50人が勇払に移住して開拓と警備に従事した。1804(文化元)年、波浪浸食により石碑建立地に移動、下宿所三棟、倉庫七棟、弁天社一社があった。幕府は1821(文政4)年に蝦夷地直轄を解除し松前藩に返還したが1855(安政2)年に再び直轄化している。1869(明治2)年に開拓使勇払役所が置かれ、1872(明治5)年、開拓使出張所となるが、出張所は翌年苫小牧に移り廃止となる。勇払場所請負人は山田屋仁右衛門で明治8年に漁場返上するまで、勇払、千歳や島松駅逓の取扱人、実際の経営は現地支配人がしていた。この建物は八王子千人同心移住200年を記念して2001年に開館したが、残された会所建物の絵や余市運上屋を参考にして勇払会所を再現し郷土資料館としたものです。◇所在地:苫小牧市字勇払132番地の32 ◇Gmap:マップコード

林重右衛門墓碑

林重右衛門墓碑噴火湾沿いに鰊の文化遺産は少ないが、日本海側で見られないのが鰯魚に関連する史跡や遺構でその一つが苫小牧にある。以下は長文だが説明板より転載『江戸時代、苫小牧の沿岸一帯はタルマイ浜と呼ばれ、蝦夷地(北海道)でも有数のイワシの漁場として知られていた。江戸時代末期になって、カイコを育てる桑の木や綿の栽培が盛んになり、タルマイ浜でイワシから作られた漁粕は、肥料として好評を呼んだために、遠くは本州・四国までも出荷された。この豊かな漁場には、函館などの商人や場所請負人から必要な一切の用具を借りた東北地方の漁業者が進出し、最盛期には、出店や茶屋がたつほどのにぎわいをみせた。下北半島で代々漁業を営む網元(親方)の五代目となった「林重右衛門」もこうした漁業者の一人で、春から夏にかけて出稼漁夫を引き連れ、イワシ魚を営んでいたが天保10(1839)年9月10日、タルマイ浜にて39歳の若さで病死した。この墓碑は、刻まれている家印のE(ミツヒキ)に依り、林重右衛門と生前から関係の深かった場所請負人の井筒屋が、有力網元の死を悼み、霊を弔うために建立したものと考えられている。この墓碑からは、江戸時代のタルマイ浜の繁栄の様子と、その漁場を背景とした場所請負人と出稼漁業者との関係、漁業を介した東北地方と蝦夷地のつながりを知ることができ、貴重な文化財である。昭和54年7月4日 苫小牧市教育委員会』※碑文は殆ど判読できなかったが、正面は「法號釋遠澄」、左側面は「天保十亥年九月十日」右側は「南部異国澗 俗名林重右衛門」と刻まれているのだという。苫小牧市指定有形文化財で苫小牧錦岡にある空襲を受けたサイロの近く、踏み切り近くに屋根付きの墓碑、史跡標柱と説明板がある。◇建立年:天保10年9月 ◇建立者:井筒屋 ◊所在地:苫小牧市錦岡 ◇Gmap:マップコード

安平町水田発祥之地

安平町水田発祥之地碑文は読めなかった部分がふるため、安平町設置の説明板より引用する「水田発祥の地/安平町文化財指定第20号/指定日 平成20年12月25日/指定理由 支安平川と明春辺川の交わる北側のところ(昭和44年9月建立:明治26年鳥取県人布広杢太郎が単身この地に踏み込み水田耕作に成功した事を記念して建立}安平町教育委員会」とある。石碑は昭和48年と書かれていたように見えたが再建か?◇建立年:昭和48年11月3日 ◇建立者:判読できず ◇所在地:勇払郡安平町安平  ◇Gmap:マップコード

吉村要三郎記念碑

吉村要三郎頌徳碑遠浅の旧市街地は今より東側というが明治35(1902)年の遠浅開開設で移動したようだ。古い地図に駅逓印のある官設遠浅駅逓所は明治38年3月の開設で明治45年6月の廃止、駅逓取扱人として吉村要三郎氏の名前がある。鉄道開通後の駅逓設置例は数少ないが、遠浅から厚真を経由し穂別に抜ける往来者が多かったのでしょう。現・遠浅八幡神社にある吉村要三郎氏記念碑は元々遠浅228番地にあったのを遠浅八幡神社移設したもので、毎年7月に吉村要三郎氏記念碑祭が挙行されているという。遠浅便取扱所(郵便局)の初代局長、郵便局の向かいはにかつて吉村要三郎氏が経営していたという西田商店がある。吉村要三郎記念碑は碑文より「頌徳/吉村要三郎君は福井懸の人なり。明治11月15日を以て生る。年少夙に鵬志を抱き23歳の春、雪尚深き本道に渡来し農事開墾の業に従い、後安平村字遠浅藪農場に入り、勤檢力行以て克く初志を貫徹し、明治32年西田新蔵他13名の為に、同農場隣接地35町歩餘の官有地を拂下げ、坦々心力を竭し指導奨励の結果、忍ち荊棘を拓きて美田と成し、以て□生の道を啓けり而して君は公共の精神と其の義気に富み、農村便利の為に商店を開き郵便局を設け自ら局長となり、村會議員、地主會長、村農會長等に挙げらる。以て其の得望の高きを知る某寺多年君の深甚□□□顧に感謝し、茲に本碑を建て以て永くその徳を頌する所以なり。」碑にコケが生育して文字が読めにい部分があった。遠浅の本格的な開拓は昭和に入ってからというが、八幡神社境内に東遠浅開基百年記念碑がある。◇建立年:大正11年6月1日建之 ◇移転年:昭和45年8月吉日 ◇建立者:発起人8名・賛同者多数、氏名省略 ◇所在地:勇払郡安平町遠浅458 遠浅八幡神社 ◇Gmap:マップコード

東遠浅開基百年之碑

東遠浅開基百年之碑八幡神社境内にある記念碑の碑文より一部引用「東遠浅開基百年の記念すべき年に当たり幾多の苦難を乗り越えてこられた先人の遺業を称え、さらにこの地を未来に向かって大きく発展させる事を互いに誓い合い、ここに此の碑を建立する。/沿革/明治24年 藪 □□氏は植苗村アビラ(現在の遠浅)の国有地227ヘクタールの貸付を出願し吉村要三郎氏を管理人として藪農場開拓の一歩を印す。以下省略」※碑を建立した東遠浅開基百年記念事業実行委員会の会員と特別賛同人の氏名が裏面に刻まれている。特筆すべき事として農地解放が昭和10年と比較的早いこと、北海道では農場管理人を顕彰した碑として数少ない吉村要三郎記念碑が同所にあること。◇建立年:平成2年7月1日 ◇建立者:東遠浅開基百年記念事業実行委員会 ◇所在地:勇払郡安平町遠浅458 ◇Gmap:マップコード

チーズ発祥の地

チーズ発祥の地遠浅公民館横の角地に安平町設置の説明板と工場跡の定礎(記念碑)が有るのみで観光地ではありません。定礎の裏面に雪印乳業から雪印食品時代の工場史が刻んである。説明板より「チーズ発祥の地/安平町文化財指定第27号/指定年月日 平成20年12月25日/指定理由/日本初の本格的なチーズ工場が昭和8年に建設され、工場生産としては日本における「チーズ発祥の地」/安平町教育委員会」※あくまで工場生産によるチーズ発祥であり、チーズそのものの発祥ではない。遠浅工場は雪印乳業の主要工場でしたが、昭和60(1985)年に大樹工場に集約され、遠浅でのチーズ生産を終。その後の工場は雪印食品北海道工場になるも破綻、今は春雪さぶーるの工場となっている。安平町では今も「プロセスグループ夢民舎」と「チーズ工房角谷」が、酪連からのチーズ生産の伝統を引き継いでチーズの生産が行われている。◇所在地:勇払郡安平町遠浅125-2 ◇Gmap:マップコード

浜厚真八幡神社厚真町

浜厚真八幡神社ここを訪問したのは厚真町の開祖で明治初期の駅逓運営と渡船場を管理していた青木與八氏の碑を見たかったことが動機だが、神社も過疎で周辺に点在していた碑も統廃合で神社に集められているようで、稲荷社と地神碑、馬頭観音に記念碑二基、顕彰碑が二基あります。入り口横に厚真町立浜厚真小学校の校門が片方だけ残っているが、駅裏にあった時と同じ向きにしたものか、向いている方向に違和感があった。明治年代に簡易教育所があったというが、市街の中心地が上厚真になり小学校は大正14年に上厚真に移転。新校舎への通学に不便なため旧校舎を使用し3学年まで収容ということで、分校のような存在だったようだが昭和56年に閉校している。記念碑は青木氏が入植30年を記念して建立した碑と、青木氏の功績を讃えて浜厚真青年団が建立されたものですが、駅逓に関する事は刻まれていない。ちなみに浜厚真八幡神社も明治3年に青木與八氏が厚真川河口左岸に祠を設けたのが始まりという。◇所在地:厚真町浜厚真 ◇Gmap:マップコード

鵡川アイヌ慰霊碑むかわ町MAP

鵡川アイヌ慰霊碑碑文より「私達の住むこの北海道は、アイヌモシリ(人間の住む大地の意)と云い、大古より多くの人々が住み中世には蝦夷人と呼ばれ現在に至っている。私たちの住む大地の中央を流れる大川は、古来鵡川と云わずモシリカペツと云われていた。この川筋は昔から漁猟の盛んな地で多くのアイヌ達が住んでいた。アイヌ達はこの地の厳しくも豊かな大自然の中で民族の生活、精神文化を継承しつつ生活を送ってきた。明治になってから、先人のアイヌ達は鵡川の開拓に励み今日の町の発展の礎を築く事に協力してきた。この幾多の先人ウタリ(同胞の意)の其の労苦に感謝し、功績を讃え町の協賛を得て、茲に開町百年を記念しこの碑を建立する。平成7年7月吉日建之 社団法人 北海道ウタリ協会鵡川支部」※碑はむかわ町中心部から国道235号線を富川方面へすすみ、鵡川にかかる橋を越えコンビニから右折すると鵡川大漁地蔵堂横の横に大きな自然石で目立つ慰霊碑がある。◇建立年:平成7年7月 ◇建立者:北海道ウタリ協会鵡川支部 ◇所在地:むかわ町汐見町 ◇Gmap:マップコード

八王子千人同心追悼之碑MAP

八王子千人同心追悼之碑八王子千人同心の入植経過は勇払と重なるので割愛、原新助が率いる勇払隊は開拓に不向きな勇払での開拓を断念し、鵡川に主力を移し「鵡川畑作場」を営むが、越冬するには食糧の自給自足が不十分な事や、異なる気候風土により死者が続出し鵡川の地を引き払いますが、入植地の正確な場所はわかっていないようです。 蝦夷地への移住隊は130人で死者総数は33人といい、鵡川では7人と言い追悼碑がある。追悼之碑は鵡川大漁地蔵堂境内の目立たないところにある。碑誌より「今から百六八十四年半士半農の八王子千人同心 原新助(地役)他四十九人が幕府の命を受け鵡川地の警備と農漁業の開拓のため寛政十二年入地せり。享和二年には地役 市川彦太夫と交代この地を支配せりとあり。これが鵡川における開拓の先駆者と思われる。食料の不足と寒さなどの労苦により、病人が続出し帰郷又は死亡により、文化五年(入地以来八年)には鵡川作地場を放棄せり云々と記録がある。この八ヶ年鵡川の地において、開拓のため死を以て殉じられた七人の同心の霊に対し謹んで追悼の意を表し、その遺跡を永く後世に伝承すべく建立する。 合 掌 一九八五年八月」※鵡川大漁地蔵尊境内に建立された追悼之碑には当地で亡くなった市川彦太夫他6名の名前が記されている。◇建立年:昭和60年8月 ◇建立者:? ◇所在地:むかわ町汐見町 ◇Gmap:マップコード

旧鵡川駅逓所旧布施旅館

旧鵡川駅逓所鵡川の駅逓は一時の中断を挟んでいるが一貫して布施家によって経営されていた。古くは勇払と沙留太に幕府から引き継がれた駅逓があったが中継地となる鵡川にはなく、明治10年代後半になると交通量の増加、冬期間と内陸への交通確保のため、江戸期より鵡川河口左岸にあった旧小休所附近に駅逓開設が求められるが、いくつかあった旅人宿の中から布施健三氏の旅人宿が第一次官設鵡川駅逓所となったようです。建物は私設と北海道宿駅(駅逓)の研究にあるが、官設駅逓所といっても当時の駅舎は6割以上が私設で、国史に指定されている北広島の旧島松駅逓所や別海町の旧奥行臼駅逓所も駅舎も私設でした。現在の建物は第二次鵡川駅逓所であった明治43年に鵡川駅逓初代取扱人であった布施建蔵氏が建築したと伝えられ、昭和30年に増築したという。国史の旧奥行臼駅逓所とおなじ明治43年で第二次鵡川駅逓でもあり有形文化財としてみても貴重なものです。駅逓は金山線が上鵡川に開通する前年の大正10年に廃止された。建物は胆振東部地震で半壊以上の被害に遭ったが、むかわ町は鵡川の歴史的建造物であり修復保存をきめたという。◇明治18年07月~明治38年12月(第一次鵡川駅逓) ◇明治40年12月~大正12年08月(第二次鵡川駅逓) ◇初代取扱人:布施建蔵 ◇2代取扱人:布施健次郎 ◇3代取扱人:布施明 ◇所在地:むかわ町松風1丁目18付近 ◇Gmap:マップコード

教育発祥の碑 和泉小学校の足跡穂別MAP

教育発祥の碑碑文の一部から「明治25年来住した和人によりアイヌの子弟を小石川シラマオクの家に集め、寺子屋方式教育が始められた。同28年6月、中村平八郎、森本イカシモ、紀藤昆次郎、横山武右衛門、川口菊藏、各氏等が校下各氏の協力を得て公立の新校舎を完成、鵡川尋常小学校累標(ルベシベ※和泉の旧名)分校として創立、これが和泉小学校の発祥となる。---中略---同(明治)40年10月旧土人学校の指定校となり---以下省略」全文は碑の写真でご確認を!! 碑は開校100周年記念協賛会により平成7年に建立されていますが、和泉小学校は平成21年に廃校となり現在は別な施設として使用されている。碑文にある中村平八郎氏の住宅は穂別市街に移設復元され中村記念館として公開。森本イカシモ氏は穂別アイヌの酋長であったという人物で、明治27(1894)年には宿屋と人馬継立業を経営していたとの事、これが穂別最初の駅逓となるようですが詳細は不明。◇建立年:平成7年9月3日 ◇建立者:和泉小学校開校100周年記念協賛会 ◇所在地:むかわ町穂別和泉 ◇Gmap:マップコード

むかわ町穂別地球体験館閉館しました

むかわ町穂別地球体験館宇宙と地球の創成期から現代まで8つのテーマごとに超大型ジオラマでその姿を再現。大人でも充分楽しめるが、サイエンスガイドさんが付くので次代を担う子ども達にお勧めという博物館でしたが胆振東部地震で建物や設備が被害に遭い休館していたが3月で閉館。今後は隣接する穂別博物館周辺を再整備し国内最大級の恐竜全身骨格化石「むかわ竜」の展示する施設を建設する計画という。◇所在地:鵡川町穂別

中村記念館穂別MAP

中村記念館旧穂別村(現・むかわ町)の草分け時代に入植した穂別開拓の先駆者の一人、中村平八郎氏が大正13年に建てられた建物で構造材、造作材ともに広葉樹のニレやカツラを使用しているのが特徴。また開拓自体を象徴するような洋風の建物だが切妻作り、下見張りなど今では珍しい構造もある。建物は二代目の中村耕平氏が受け継ぎ昭和48年まで住宅として使用されていたが平成6年に穂別町に寄贈され、平成16年に穂別市街に移築復元したもので、平成13年8月28日に国の登録有形文化財に登録されています。4台程度のスペースです。◇所在地:むかわ町穂別 ◇Gmap:マップコード

噴火湾&大平洋湾岸ミニギャラリー

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