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ぐるっと後志プチ旅5
黒松内町・蘭越町・寿都町・島牧村を巡る旅‼

弁開凧次郎翁終焉之地黒松内町 太成MAP

弁開凧次郎翁終焉之地碑弁開凧次郎翁は847年、八雲町のコタン生まれで、20歳でコタンのリーダーとなる。アイヌ名はイカシパという。イカシパの意味は「何にでも優れている」という意味という。和名は「弁開凧次郎」と表記されているが、弁開は父親のベンケイからというが、凧次郎についての由来は不明。獣医や園芸家(薬草)として活躍するが、1902年の八甲田山遭難事件の際、八雲町のアイヌの若者で組織された救助隊を率いて捜索活動を行った事で知られる。1919年、72歳で長逝、観音橋のたもとに弁開凧次郎翁終焉之地碑がある。詳しくは「ウェブ絵本版・辨開凧次郎翁物語」で検索を。生誕地の八雲町内に説明板、八雲落部神社に御所の松と弁開凧次郎翁の説明板がある。この碑の隣にも弁開凧次郎を顕彰した碑がある。◇黒松内町太成 観音橋横の小公園 ◇Gmap:マップコード

馬頭観音碑東川

馬頭観音碑 昭和初期の地形図では今の黒松内町東川が猿朱別で太成が来馬となっているが、猿朱別は官設サルシュベツ駅逓所(取扱人工藤重治氏)の所在地だった。駅逓の痕跡を探して旅をしていた頃に猿朱別が気になり何度が尋ねたが目的は果たせず、見たのは東川集会所横にある神社境内にあった大きな馬頭観音だけで駅逓に関連した碑などはなし。かつては豊浦町禮文へ道がありサルシュベツ駅逓所は豊浦町禮文と黒松内や白井川への中継駅逓で廃止は昭和5年、入植者以外では鉱山関係者にも利用されたでしょう。当時の猿朱別を偲ぶには遅い昭和23年9月建立で、自然石を利用した大型の馬頭観音碑、建立者不詳です。◇所在地:黒松内町東川 ◇Gmap:マップコード

角十の杉記念保護林角十地区

角十の杉記念保護林 説明板より転載「この杉は、明治30(1897)年頃、角十地区入植の際に建立した角十神社に、住民が入植を記念して植樹奉納したもので、樹齢は約100年と推定されます。現在神社は統合されて現存しておりませんが、開拓記念碑とともに開拓当時をしのぶ記念樹として地域住民に親しまれています。昭和47年3月26日指定 北海道」とある。それからすると現在は150年に迫る樹齢ということになりそうです。神社の跡に「熱郛神社本址趾」裏面に「大正拾壱年九月 氏子中」刻まれた碑がある。◇所在地:黒松内町白井川 角十地区 ◇Gmap:マップコード

角十地区 開拓記念碑

角十地区 開拓記念碑 ここには大正15年建立の開拓25年記念碑、昭和22年9月建立の開拓50周年記念碑、昭和47年8月建立の開拓75年記念碑、平成9年8月建立の開拓百年記念碑と25年刻みに4基の開拓記念碑があり建立者や協賛者の氏名は刻まれているが、それ以外の碑文は見られなかった。同じ開拓記念碑でも25年周期である所を他では見た記憶がない。角十は歌棄・磯谷の場所請負人だった佐藤家の屋号のようです。◇所在地:黒松内町白井川 角十地区 ◇Gmap:マップコード

熱郛役場跡広場の石碑

熱郛役場跡広場 「道の駅 くろまつない」と国道を挟んである熱郛役場跡の広場に白井川地区に点在していた石碑が集められているようで、塾郭の開祖とされる横村義兵衛之碑 明治廿五年此處二開拓ノ鍬ヲ入レル・白井川地區七拾周年記念協賛會 昭和三十六年十一建之、白井川地区の開拓功労者のであった加藤岩吉翁之碑 白井川地区七十周年記念協賛会・昭和三十六年十一建之、白井川開拓百周年記念の碑・平成三年八月、熱郛馬頭観世音、牛乳感謝の碑・昭和五十年八月建立、なと白井川開拓の歴史を物語る石碑が並んで立っている。白井川では鉄道が開通してから駅逓が設置されたという希な所で、道内では数少ないが人や物流のルートが変わった事が要因なのでしょう。◇所在地:黒松内町白井川 ◇Gmap:マップコード

初代戸長役場跡地之碑白炭地区

初代戸長役場跡地之碑 黒松内町には緑橋近くの黒松内発祥之地碑横と旧熱郛村で白炭の2カ所に初代戸長役場跡の碑がある。制札壱番の地に近い白炭は旧熱郛村で主に歌棄の住人によって拓かれ歌棄郡に属し、旧黒松内とは行政区が異なっていたので歌棄の戸長役場が置かれていたたとしても不思議ではなく、二つの初代戸長役場跡地之碑がある理由と関係あるか・・。碑は黒松内開村百二十周年で黒松内町が建立した。昭和30年に黒松内村、熱郛村、樽岸村中ノ川地区が合併し「三和村」となり、同34年5月に「黒松内町」と名をかえ現在に至っている。◇建立年:平成十一年九月建立 ◇建立者:黒松内町 ◇所在地:黒松内町白炭 ◇Gmap:マップコード

初代戸長役場跡地之碑黒松内地区

初代戸長役場跡地之碑 黒松内町に二つある初代戸長役場跡之碑の一つで黒松内発祥之地碑と並んで立っているが、位置的にはこちらの碑が旧黒松内町の初代戸長役場跡と云う事になるのでしょう。明治4(1871)年に開拓使は、黒松内花岡宿脇本陣の設備と構内を官設宿場とする計画を立て有珠郡紋鼈村から13戸入植、伊達家家臣、横山勝四郎ら13戸の入植は駅逓創設に伴う人員を確保することも目的のひとつだったと思われ、その一角であったと思われる所に黒松内発祥之地碑の有る。初代戸長役場跡之碑は黒松内開村百二十周年を記念して黒松内町が建立した。◇建立年:平成十一年九月建立 ◇建立者:黒松内町 ◇所在地:黒松内町黒松内 ◇Gmap:マップコード

黒松内発祥の地碑黒松内地区

黒松内発祥の地黒松内町の緑橋のたもとの民家横に黒松内発祥の地碑(昭和34年)が建立されている。黒松内山道開通前から松前の花岡利右衛門が定住し、天保4年に今の緑橋の黒松内口に花岡宿という宿場と渡船場を運営していた。それ以前はアイヌの人による木賃宿があったとの事で古くから交通の要衝(後の黒松内山道)であり、ニシン漁が始まる前は出稼ぎ人の通行が増え一日に数百人が宿泊したという。開拓使は明治4年に黒松内駅逓の設置を布告し、虻田会所の出張所でもあった花岡宿(黒松内本陣)の施設(黒松内花岡宿脇本陣)を利用し、官設宿場として黒松内駅逓を開設、官設駅逓創設に伴い有珠から伊達家家臣、横山勝四郎ら13戸が入植し開拓を始めたが、これは定住者のいない地域で駅務を支える人員を確保が必要であり助郷的な意味合いがあると考えられる。駅逓舎は旧来の花岡宿を利用したのか新たに建設されたのかは判然としないが同年10月に開駅している。駅務は開拓使虻田郡出張所の管轄であったが何度か変更があり、最後は寿都郡出張所の所管となる。黒松内駅逓の廃止年は不明だが、函館支庁の支配だった明治12(1879)年の駅逓制度改革で官設駅逓を廃止して人馬継立とする民営化方針で黒松内も私設駅逓として営業したと思われるが、2年後に村民に委託、廃止年は不詳。当時の花岡家は二代目花岡治兵衛の代で後に初代黒松内村戸長を務めている。明治21年に再設置され鉄道開通後の明治36(1903)年に黒松内駅前に宿を移し、花岡屋として開業したというが明治39年に廃止。◇建立年:昭和34年8月26日 ◇建立者:黒松内町 ◇所在地:黒松内町黒松内93 緑橋付近 ◇Gmap:マップコード

フィッシュ アンド 名駒蘭越町 名駒

フィッシュ アンド 名駒尻別川は国土交通省が平成11年実施の一級河川水質検査で清流日本一というだけあってサクラマスやサケの他に鮎とイトウなど生息魚種も多彩で、フィッシュ・アンド・名駒では尻別川流域町村と尻別川の生態系を模型や映像などさまざまな資料を駆使して紹介している学習体験施設ですが、学習ツアー等以外では入館者は少ないようです。尻別川での各種漁法と、えさ釣りからルアー&フライなど釣りに関する実物展示などもあり、尻別川での釣りに興味がある人にはうれしいかもしれません。尻別川はアユやヤマメなどの渓流釣りで知られている川ですが、フィッシュ・アンド・名駒の横を流れている目名川は資源保護河川で釣りは出来ません。隣接して遊歩道とパークゴルフ場がある。◇所在地:蘭越町名駒町201-5 ◇Gmap:マップコード

蘭越町発祥の碑名駒

蘭越町発祥の碑 道道752号線と267号線の交差点から100mほど南西の旧市街地(公営住宅跡)に石碑が建っている。碑文より「蘭越町発祥の地/歴史に感謝を 未来に夢を/明治32年(1899)8月 尻別村から分村し,南尻別村となり小沼に戸長役場を置く ここに先人のはるかな偉業を尊び 蘭越町開基00年を記念し建立いたします/平成11年8月9日/蘭越町長 宮谷内 留雄/RANKOSHI」※明治5(1872)年に箱館支庁の管轄となって尻別村が開かれたが、明治32(1899)年に尻別村は北尻別村と南尻別村に分割され、南尻別村の戸長役場は目名(現在の名駒町)に置かれた。明治35(1902)年に近隣の4村が合併し磯谷村と改称され、大正3(1914)年2月に村役場が蘭越に移転した。 戦後の昭和29(1954)年に蘭越町となって現在に到る。開拓初期は駅逓も置かれ蘭越の中心地でした。◇建立年:平成11年8月9日 ◇建立者:蘭越町  ◇所在地:蘭越町名駒町 ◇Gmap:マップコード

百基昇揚・母校を偲ぶ碑名駒

百基昇揚・母校を偲ぶ碑 百基昇揚の碑は明治25(1892)年に開校した蘭越町立名駒小学校開基百周年記念碑で平成4年に建立され、母校を偲ぶ碑は平成13(2001 )年3月の閉校を記念した碑で名駒小学校の校歌が刻まれている。その隣に「教えの庭はわが名駒」と刻まれた玉を持つ子供達の像があり、奥の旧校舎は企業が利用し立ち入りは出来ません。通りすがりに見ただけなので碑の裏側は未見。◇所在地:北海道磯谷郡蘭越町 ◇Gmap:マップコード

村岡平吉 頌徳碑港町

村岡平吉 頌徳碑 頌徳碑は碑文の彫りが浅くて判読は難しく村岡平吉氏の全体像が浮かばない。判読可能な部分を繋いで部分的に分かるのは、こんな事なのかなの疑問符付きで「村岡平吉は明治2年に能登国で生まれ明治二十三年に渡道。村民が切望していた尻別川への架橋に率先寄付、金八千五百円など 橋の竣工にあたってその功を讃えてこの碑を建てた」のようですが当てにはなりません。碑の傍にある小さな仏堂の由来は不詳。◇建立年:昭和10年10月30日 ◇所在地:北海道磯谷郡蘭越町 ◇Gmap:マップコード

牛馬頭観世音港町

牛馬頭観世音馬頭観音はよく見かけますが牛と馬が一緒というのは初めてで、非常に珍しいものと思います。馬頭観音、馬頭観世音は仏教における信仰対象である菩薩の一尊であり、観音菩薩の変化身という六観音の一尊にも数えられているとか、普通は文字のみの碑で菩薩像や彫られた碑は少ない、まして牛馬馬頭観世音となると北海道に何基あるでしょうか・・・道内に限定してネット検索してもヒットはしませんでした。碑はかなり年期が入っているようで、かつて牛や馬が人とを助け動力の要となっていた時代を思い出します。牛馬頭観世音は蘭越町 道の駅 シェルプラザ・港のパーキング側にあります。◇所在地:蘭越町港町1402-1 ◇Gmap:マップコード

海神社磯谷

海神社文化4(1807)年のある日、漁師が尻別川で漂流の木像二体を拾いあげてみると一体の背に「いそやのたけ寛文6年丙午8月11日初登浦山円空」とあり、もう一体の背には「らいねんの山」とあり、二体あわせて能津登岬の洞窟内に奉斎した。その後、地元住民の豊漁祈願のため協議の結果、天保2年社殿を建立し奉遷するという。以来明治9年に村社、同22年の稲荷神社との合祀を経て明治33年に社殿改築というが経年変化をそれほど感じない。道内では数少ない円空作の菩薩が有ると云うが公開はしていない。また2体とも現存するのかもわかれません。◇所在地:寿都町字磯谷町能津登4番地 ◇Gmap:マップコード

恵比寿神社と江差追分記念碑歌棄

恵比寿神社と江差追分記念碑「忍路高島およびもないがせめて歌棄磯谷まで」と歌われた所で稲穂岬という小さな出岬に碑がある。稲穂崎横の石積みの護岸はかつての船着場跡、稲穂崎の先端部にあるのは恵比寿神社、道路を挟んで向かいは歌棄鰊御殿がある。松浦武四郎の西蝦夷日誌にエナヲ岬が時々出てくるが、その殆どは豊魚を祈願し木幣を奉げ海神を祭った所のようで、海岸ではアイヌ民族の祭場を引き継いでいる神社もある。峠のエナヲは木幣を奉げ通行の安全祈願をした場所で意味合いが異なる。◇所在地:寿都町字歌棄町有戸 ◇Gmap:マップコード

東海丸戦没者慰霊之碑

東海丸戦没者慰霊之碑 碑文より「大東亜戦争の終戦も間近にひかえた昭和20年(1940年)7月15日午前6時35分寿都港外ににおいて、大図汽船株式会社所属の海軍指定船「東海丸」がアメリカ空軍の銃撃を受け軍属船員7名、軍人9名が□烈な戦死を遂げられました。ここに英霊の50回忌を迎えるにあたり謹んでご冥福を祈ります。以下省略」※寿都湾にいた輸送船東海丸がアメリカ海軍のグラマン機に二波の攻撃を受け軍人・軍属船員ら16人が戦死、東海丸は大破し寿都湾に沈んだ。33回忌に当たる昭和52(1977)年7月7日、遺族や元船長・元船員らを寿都町に招き慰霊祭が執り行われている。火葬場所の跡には「東海丸戦没者慰霊之塔」と書かれた木碑が建立され、火葬場所から掘り出された遺品や遺骨が遺族に手渡された。その後は寿都ライオンズクラブが慰霊祭を挙行していたが、現地の慰霊之塔が老朽化したため平成7年に町内の龍洞院境内に黒御影石の慰霊碑として再建された。慰霊碑には氏名の判明した軍属船員7名、海軍軍人一名の氏名が刻まれているが軍関係の8人は不詳となっており今も身元がわかっていないという。 ◇建立年:平成7年7月 ◇建立者:寿都社会福祉協議会 ◇所在地:寿都郡寿都町新栄町147 龍洞院禅寺 ◇Gmap:マップコード

弁慶岬と弁慶銅像政泊MAP

弁慶銅像寿都と島牧の境界に突き出た岬で、昔、アイヌたちはポロ・エド(大きい岬)と呼んでいた。松浦武四郎の「西蝦夷日誌」では、ここをベニツケウと称し、その形が獣の背に似ているから付けられたとしているが、一方、武蔵坊弁慶が甲冑を曝されたところで弁慶岬ともいう。別にマレイ岬ともいうとも書かれている。他に義経伝説の一つとして語られてきた話もある。義経がアイヌ民族の神にとって変わる話は各地にあり、和人による意図的なアイヌ民族への信仰操作という説もある。弁慶岬公園に弁慶像があり夕日の名所とか。島牧でルアーマンから聞いた話「釣りに行った友人が弁慶岬でヒラメを釣ったらしい」と、本命は別な魚だったようですが、外道でヒラメを釣るなんて(^^; ◇撮影地:寿都郡寿都町政泊町弁慶 ◇Gmap:マップコード

弁慶の土俵政泊

弁慶の土俵 弁慶岬の西側で国道近くで海側の小高い丘の上に観光協会が設置した石碑があるる。説明板殆ど読めないのが、前に見た時は「義経は平泉から南部、津軽を経て北海道に渡り、この寿都に滞留し、ここ糠森ではアイヌの人々と相撲に打ち興じたという。その土俵は幅20m、周囲は300mほど土盛りされ、4本の柱の跡や大きな下駄の足跡があったと伝えられている。この町ではあらゆる災難と闘いながら義経を守護した弁慶の気力と体力を神業と信じ守護神としてあがめる風習がある。町役場のそばには弁慶の下駄をまつる弁慶堂がある。寿都町観光協会」書いてあったが・・・幕末の探検家・松浦武四郎は蝦夷日誌に「この處に弁慶の角力場と云物有、巾凡十余間、土俵の如く丸く土を積み上げたり。是恐らくは土塁なるか」と記しチャシとみたようだが、宇田川洋著「アイヌ伝承と砦(チャシ)」の全道チャシ分布図にはカムイチャシの印があったが・・。◇建立年:平成7年7月 ◇建立者:寿都町観光協会 ◇所在地:寿都郡寿都町政泊町 ◇Gmap:マップコード

本目岬港地区

本目岬最初は国道299号沿いの本目岬、小高い山の様に突き出た岬の北側に灯台があり、入り口の本目神社に車を止める小スペースがあり、鳥居の間から上に登る道がついているが、観光用ではないので荒れている。灯台に行くなら草の伸びる前が良さそうだが途中の階段は危険。南側の厚瀬崎を挟んで小湾となりその真ん中に厚瀬漁港があるが周囲に広がる風景はなかなかのもので、灯台の写真も漁港からの方が手軽でしょう。◇撮影地:島牧村港6

賀老高原賀老

賀老高原島牧には泊川渓谷と河鹿の湯、黄金の湯、カムイ鍾乳洞などサバイバルを楽しむアウトドアエリアには事欠かないが、素人は賀老高原で我慢しましょう(^^; 賀老高原キャンプ場、ドラゴンウォーター、賀老の滝、ブナ林などそれなりに楽しめます。千走川の支流から湧き出ている天然の炭酸水ドラゴンウォーターは駐車帯から案内板に従い河原に下りて進むとまもなくたどり着きます。ただ僕が行ったときは増水で水没気味でした。◇撮影地:島牧村字賀老

"飛龍"賀老の滝 龍神伝説の碑賀老

龍神伝説の碑伝説を要約して掲載「寛永8年に島牧でも砂金を産出し、西部金山奉行所の若者が狩場山付近一帯を探索中に、手負いの子鹿を見つけ賀老の滝で水を子鹿に飲ませ傷の手当をして助けたのを滝の主、龍神が見ていた。その後、若者は金山奉行所を預かる身となるが、幕府の厳しい税取り立てに藩主は金を隠すように命じた。若者が隠し場所を探し賀老の滝まで来た時、一頭の鹿が現れ鼻先で賀老の滝の滝壺を示した。判断に迷っていると龍神が姿を現し「わしが守ってやろう」と、金は滝壺に埋められました。それを幕府が知り探索しようと滝壺に近づくと、龍神が崖を駆け登り大洪水となり埋蔵金を手にする事は出来なかった。その後も埋蔵金は龍神に守られ今も滝壺に埋まっていると、いつの日からかこの滝を「飛龍」賀老の滝と言うようになった」と島牧村観光協会の署名。郷土史研究会とは違い信憑性は・・財政破綻で民間丸投げ(場所請負制)にした松前藩に隠し財宝などありそうもない。全文は写真で(^^;◇撮影地:島牧村字賀老 賀老高原

飛龍 賀老の滝賀老

飛龍 賀老の滝賀老の滝は日本の滝100選にも選ばれて落差70m、幅35mを誇る北海道最大級の滝で狩場山の雪融時が怒迫力と、運が良ければ午前中に虹が架るという。滝まで駐車場から徒歩で往復40分程、崩壊した遊歩道は補修されウッドチップか敷詰られているが濡れていると異常に滑る。滝の前面で真下もよいが、滝コースを下る途中に脇にそれ滝見台へのコースもある。
◇撮影地:島牧村字賀老 賀老高原コース ◇Gmap:マップコード

賀老高原 ブナ原生林賀老

ブナ原生林狩場山周辺は北限帯最大級のブナ原生林で、須築川源流部(瀬棚)は森林生態系保護地域に指定されている。賀老高原は林木遺伝資源保存林として保護され、遊歩道から直径50cmから1mもあるブナ林を見られるという。賀老の滝コースにもブナの巨木が見られたが、急斜面で伐採を免れ大きなブナの木が残っているようです。◇撮影地:島牧村字賀老 賀老高原滝コース

茂津多岬駐車場

茂津多岬駐車場狩場トンネルと茂津多トンネルの間にある小さな駐車公園、国道とは防護壁で仕切られ目立たない。駐車公園に茂津多岬の石碑があるが、駐車場からは茂津多岬は見えず距離もある。道央と道南、島牧村と瀬棚町の境界で日本一高い?茂津多岬灯台があり、須築から灯台に林道は通っているが、海岸に下るルートや海岸からのルートはない。 ◇Gmap:マップコード

瀬棚・追分ラインミニギャラリー

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