カウンター

ぐるっと後志プチ旅1
ぐるっと後志・坂と運河の町 小樽市を巡る旅‼

朝里大橋小樽市

朝里大橋小樽巡りで最初に行ったのが朝里大橋、朝里から道道1号線でオタルナイ湖(朝里ダム)に向かうとダムの下流側で半径150m程のカーブを360度回る朝里大橋で通称「朝里スカイループ」で高度を稼ぎダムに着く。橋を渡るとき僕は下を見ないようにして運転した。堤頂から朝里スカイループの全体を見られ、展望台まで行けばダムの全景とループ橋や遠く日本海も眺望できるという。◇所在地:小樽市朝里川温泉2丁目 ◇Gmap:マップコード

小樽運河

小樽運河有名な観光地なので概略のみ。運河の全長は1140m、運河の幅は道道臨港線に沿った部分では20m、北運河40mで大小4つの橋があり、撮影スポットになっている。北海道開拓の玄関口として発展してきた小樽港は、はしけ(台船)を使って荷揚げしていたが、取り扱量の増大ではしけが直接倉庫の近くまで入れる水路を作ったのが始まりという。海岸の沖合いを埋立て造成され大正12年に完成した小樽運河だが埠頭岸壁の整備で退役となった。その後の埋立てを巡る論争を経て一部を埋立て、幅の半分が道路となり、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残し、散策路や街園も整備され今の姿に生まれ変わった。◇所在地:小樽市色内?港町

小樽市総合博物館旧小樽鉄道資料館

旧小樽鉄道資料館

旧手宮駅の跡地と小樽鉄道資料館は小樽市総合博物館に引き継がれ、鉄道鉄道資料館や蒸気機関車資料館の屋内展示と公園化された旧手宮駅跡地の屋外展示と施設などからなっている。小樽市総合博物館正門前にクロフォード像、中に入ると明治17年・アメリカ製の「しずか号」、屋外展示は機関車庫1号、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁などの他、史蹟となっている明治18年開通した北海道の鉄道始発点を示す北海道鉄道開通起点碑などがあり、北海道の近代化遺産となっている。ここでの1番人気は敷地内を走る国産最古のアイアンホース号「機関車庫3号1885(明治18)年製・国指定重要文化財」のようです。小樽総合博物館手宮口横には動輪のモニュメントと北海道鉄道発祥駅の碑があったまた同敷地内に別棟で蒸気機関車資料館や機関車庫3号(鉄道記念物)があり、&。手宮口の正面から続く旧手宮線跡が残っている。#9671;所在地:小樽市手宮1丁目3番6号 ◇Gmap:マップコード

ジョセフ U クロフォード之像

クロフォード之像 碑文1「SHOULDER TO SHOULDER/TO OPEN A WAY/Daniel Meloy American Consul.Sapporo/ジョセフ.U.クロフォード之像/小樽市長 安達與五郞」碑文2「光動千里/日本国有鉄道 北海道総支配人 大石重成」碑文3「開拓之先駆/日本国有鉄道 総裁 十河信二」碑文4「北海道に始めて鉄道が開通したのは明治13年11月28日手宮・札幌間の22哩でありました。ジョセフ・クロフォード技師は開拓使の招きによって來朝され、異國の僻地にあつてよく風雪と闘いこの大業を成し遂げられました。それから75年の歳月が過ぎ、いま本道の沃野は拓け、文化は進み、當時を偲ぶの情ひとしおであります。こゝに故技師の銅像を建てゝ、その遺徳を永く後世に傳えるものであります。/孝治撰/昭和31年6月10日/クロフォード技師銅像建設期成會/會長 手宮連合町會長 宮尾直治/副會長 手宮連合町會顧問 西 富士松/委員長 小樽市議會議員 谷井清信/副委員長 小樽市史編纂員 倉内孝治/銅像製作者 中野五一」※北海道開拓使が幌内川上流の石炭を道外に移出するため鉄道を敷設し石狩川を利用して運送する計画され、米国から鉄道技師であるジョセフ・ユーリー・クロフォードを招いて測量を開始した。クロフォードは測量の結果、幌向太付近は湿地で石炭の積み替えには不適地であり、路線を幌向太~小樽間を延長し、小樽港から石炭を積み出す様に提案。北海道開拓使長官であった黒田清隆はクロフォードの提案を承認し明治13(1880)年1月、小樽市内から幌内鉄道の建設が開始された。クロフォード之像は小樽市総合博物館前にある。◇建立年:昭和31年6月10日 ◇建立者:クロフォード技師銅像建設期成會 ◇所在地:小樽市手宮1丁目3番6号 小樽市交通記念館 ◇Gmap:マップコード

7106 しづか号

7106 しづか号 館内に入ると最初に見える蒸気機関車7016 しづか号は大宮鉄道博物館の 7101 弁慶、大阪交通科学博物館の 7105 義経とともに幌内鉄道で活躍した蒸気機関車。「しずか号」はアメリカから輸入された蒸気機関車でH.Kポーター社製、カウキャッチャー(牛よけ)と呼ばれる前部の排障器とダイヤモンドスタック(火の粉止め)と呼ばれる大きな煙突が際だっている。「しづか」は昭和27年に苗穂工場で復元され、同年10月の鉄道80周年記念で原宿駅宮廷ホームで7105「義経」とともに展示された後は札幌苗穂工場で保管されていたが、昭和37(1962)年から北海道鉄道記念館にて保存されている。昭和38(1963)年10月10日に準鉄道記念物指定された。「しずか号」の後方に展示されている1等客車「い1号」は内部も見学できた。◇所在地:小樽市手宮1丁目3番6号 小樽市交通記念館

北海道鉄道開通起点標

北海道鉄道開通起点標 説明板より一部引用、明治13(1880)年1月8日、手宮から着工した鉄道工事は同年11月28日札幌まで開通。北海道で最初、日本では3番目の鉄道がここ から始まりました。この鉄道は幌内で産出された石炭を船に積み込める場所まで輸送する事を目的として建設された。北海道の鉄道がこの地から生まれたことを記念し昭和17(1942)年に手宮駅構内に起点標が建てられ(昭和41(1966)年、後世に伝えるべき鉄道文化財として,旧国鉄により準鉄道記念物に指定されている。碑表面「北海道鉄道開通起点/ 鉄道大臣 八田嘉明書」碑裏面「本鐵道ノ創業ハ明治ノ草創開拓使ノ企圖ニ成リ石炭輸送ノ目的二併セテ将來全道ニ敷設セラルヘキ鐵道ニ連絡セシムル計書ノ下ニ起工セラレ明治十三年十一月十八日比ノ地ヲ起點トシテ手宮輕川間ノ開通ヲ見ルニ至ル是レ實ニ本鐵道ノ創始ニシテ開拓ノ業亦之ニ拠リテ大イニ興ル所トナレリ 茲ニ近藤仙太郎氏之カ記念碑ヲ建立シテ寄贈ス及チ本日除幕ノ式ヲ行ヒ偉業ノ跡ヲ永ク伝ヘンコトヲ庶フ/昭和十七年十二月十二日/札幌鐵道局長 濱野信一郎撰/札幌鐵道局総務部文書課長 赤木 渉 書」※準鉄道記念物指定第6号、起点標の中心点が北海道における鉄道起点となります。◇建立年:1942年12月12日 ◇建立者:近藤仙太郎(近藤工業株式会社 創業者) ◇所在地:小樽市手宮小樽交通記念館 ◇Gmap:マップコード

北海道鉄道発祥の地碑

北海道鉄道発祥の地碑 碑文ょり 「北海道の鐵道發祥地は手宮驛である。その由来は明治6年に北海道開拓長官黒田清隆が幌内煤田採掘の計画の下に技師を派遣して調査研究させた結果に基づきまづ幌内幌向太間は鉄道を建設し幌向太からは石狩川を船で川口に下り小樽に運送する計画を樹てた事に始まる。明治12年3月に線路の測量が開始されたが偶々冬季河水の凍結石炭積替の手数等のため不利であろうとの意見が出て鐵路により直接小樽港手宮に運送する事が最も有利であると認められ幌内手宮間56哩の一部手宮札幌間の鉄道が敷設される事となった。明治13年11月18日遂に手宮輕川間が開通し列車は辨慶号機関車をもって運轉された。ついで同月24日に札幌まで開通し更に命じ15年末に札幌幌内間が竣工しここに手宮幌内間が全通した。以後鐵道は逐次延長されて今日の發展を見たのである。その第一歩は正しく手宮驛からであつて北海道の鐵道發祥地と稱する所以である。しかるにこの由緒深い手宮驛の旅客取扱が太平洋戦争酣の昭和18年10月に國策によつて廢止された。以来市民は尠からず不便を感じていたが20年8月終戦を迎えると共にこれが復活の聲は油然く起こった。ここにおいて有志は手宮驛旅客取扱復活期成同盟會を結成し會長に西富士松を推して運輸當局に復活請願を續け幾多の迂余曲折を経て23年11月10日に列車は漸く南小樽驛まで復活した。しかし乗換のための不便が頗る多く重ねて直通列車運転を要路に懇請した結果24年9月から岩見澤驛まで二往復の直通列車の運轉を見るに至ったのである。これを機會に手宮驛の由来に併せて長年月に亘り献身的努力を画した西會長の偉大な效績を勒し碑を建立して記念とする」とあり。◇建立年:1949年11月18日 ◇建立者:手宮駅旅客取扱復活期成同盟会 ◇所在地:小樽市手宮 小樽交通記念館 手宮口左側 ◇Gmap:マップコード

北海道鉄道発祥の地モニュメント

鉄道発祥の地モニュメント 碑文より引用「先人の夢 希望 願いを乗せ/ここゼロマイルの地 手宮より/切り拓かれていった北海道/今 新たなる起点/未来への翔きとして/記念モニュメントを贈る。1988.9.3-2」※北海道の鉄道は1880年1月に着工され、11月に開通した手宮-札幌間が最初である。この鉄道は幌内で産出された石炭を船に積み込める場所まで輸送することを目的として建設された。当初は幌内から江別付近の石狩川までで川舟への積み替えという計画であったというが、湿地帯と冬期間の石狩川凍結で半年間は川舟による輸送が困難、何度も積み替えが必要なこと等から小樽-幌内間を直接鉄道で結ぶ事になり、鉄道は港のある小樽から札幌~幌内へと伸延された。◇建立年:1988年9月2日 ◇建立者:日本青年会議所 北海道地区協議会 ◇所在地:小樽市手宮 小樽交通記念館 手宮口右側 ◇Gmap:マップコード

手宮駅跡

手宮駅跡日本で3番目の本格的な鉄道で、北海道最初の鉄道は、幌内から小樽港まで石炭を輸送する目的で計画され、アメリカ人技師クロフォードの指揮の下、18803(明治1)年に手宮と札幌間が開通、1882(明治15)年に 幌内~小樽間が全通した。手宮駅跡地は幌内鉄道の起点で「北海道鉄道開通起点・小樽市指定史跡」があり、手宮口に「北海道鉄道発祥駅碑」や「北海道鉄道発祥の地 小樽」のモニュメントなどがあり、旧手宮鉄道施設は北海道の鉄道が石炭と不可分の関係を示す象徴そのものだが、見方を変えると資本による資源略奪が本格的にはじまった記念碑といえるのかもしれない。手宮線路跡は公園や散策路になって残されている。◇所在地:小樽市色内 ◇Gmap:マップコード

手宮洞窟陰刻手宮洞窟保存館

手宮洞窟保存館手宮洞窟は慶応(1866)2年に小田原の石工長兵衛が建築用石材捜しの際に偶然洞窟に入り発見したとされる。平成元年施行の発掘調査で出土遺物から、洞窟壁画は約1.600年前に刻まれたことが判明、国指定史跡となる。昭和2(1949)年にブロンズによる模刻と保存覆屋、昭和61年より風化、剥落防止のため保存修復を開始。平成7年に「手宮洞窟保存館」が完成し、保存された彫刻(陰刻画)を見る事ができるが、僕にははどこが壁画なのかよくわからなかった。国内で手宮洞窟のような彫刻は、フゴッペ洞窟だけですが、このような岩壁画は日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島などにも見られ、続縄文人の日本海を囲む文化の流れと精神文化を知る上で知る上で第一級の遺跡という。写真撮影は許可されている三脚とフラッシュは禁止です。◇小樽市手宮洞窟保存館 休館日:火曜日(祝日は開館) 冬期休館 ◇所在地:小樽市手宮1丁目3番4号 ◇Gmap:マップコード

旧日本郵船株式会社小樽支店国指定重要文化財

旧日本郵船株式会社明治37年着工、同39年に落成した石造2階建の明治を表する洋風石造建築で設計者は佐立七次郎氏。建物内部は漆喰壁に北海道産木材のワニス塗装という、建設当時は建物前面に専用の船入澗、輸出入倉庫があり建物の裏側は鉄道という好条件でした。建物は昭和29(1954)年まで使われていたのを昭和30(1955)年に小樽市が譲り受け、昭和44(1969)年に国の重要文化財に指定された昭和59(1984)年から3年間をかけて全面的な修理復元工事を行っている。またその後にも(平成27年)3年間をかけた保存修復工事が行われている。◇所在地:小樽市色内3丁目7番8号 ◇Gmap:マップコード

小林多喜二文学碑MAP

小林多喜二文学碑説明板より一部引用「小林多喜二は日本を代表するプロレタリア作家で「蟹工船」や、小樽を舞台にした「不在地主」など数多くの作品を残している。小林多喜二は秋田県に生まれで(1907)年に小樽に移住、1921(大正10)年に小樽高等商業学校(校現小樽商大)入学、学生時代より創作活動を開始、卒業後は北海道拓殖銀行に就職するが、1929(昭和4)年に退職し、翌年上京。1931(昭和6)年に当時非合法下にあった日本共産党に入党。困難な創作活動を続けていたが、1933(昭和8)年2月築地署特高に逮捕、拷問を受け死亡。1964(昭和39)年に多喜二の同窓生等が発起人となり小林多喜二碑建設期成会が組織され、募られた資金で建立。碑は本郷新の設計で、銅板の碑面左に青年労働者の頭像をはめ込み、右上部は多喜二の肖像レリーフ、左上部に北斗七星、北極星を象った嵌込がある。碑文は1930(昭和5)年11月11日、多喜二が獄中から村山知義の妻籌子への手紙の一部。」

碑文より「冬が近くなるとぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある そこでは人は重っ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知っている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街を ぼくはどんなに愛しているか分からない/小林多喜二(こばやしたきじ)/1903(明治36)年10月13日~1933(昭和8)年2月20日」※碑は小林多喜二誕生100年、没後70年を記念して建立された。公園への定期交通機関はなさそうです。◇建立年:2003年10月 ◇建立者:小樽多喜二祭実行委員会 ◇所在地:小樽市富岡2丁目 旭展望台 ◇Gmap:マップコード

安達與五郎像MAP

安達與五郎像 台座表右に「昭和五十四年八月十一日/小樽市名誉市民/小樽市長 志村和雄」中央に「安達與五郎像/町村金吾筆」し刻まれ、碑文には「医学博士安達與五郎氏は民選第二代市長として昭和二十六年より四期十六年在任された。その間、本市戰後の新建設に精魂を打込み、特に教育施設、民生福祉、保健衛生の充実、道路港湾の整備に卓抜な手腕を発揮され、また本市の新しい総合計画を策定するなど忘れ得ぬ業績を樹立して人々の敬愛を集められた。ここに多数市民の協賛を得てこの胸像を建て永くその偉功を讃えようとするものである。昭和四十二年十一月 胸像建立発起人代表 小樽市長 稲垣 祐」とある。◇建立年:昭和四12年11月 ◇所在地:小樽市富岡2丁目 旭展望台 ◇Gmap:マップコード

日和山灯台祝津パノラマ展望台より

祝津パノラマ展望台赤岩方面の豪快な海岸線から高島岬の日和山灯台、小樽市鰊御殿などを眺望できる。日本海に面しているので夕日の名所にもなっているとか。なぜか「江差追分節名歌碑」と「北海浜節民謡碑」がある。日和山灯台は明治16(1883)年建設、北海道では納沙布岬灯台に次いで2番目(様式灯台という条件をつけなければ太田が北海道最古らしい)に初点灯された。現在の建物は2代目で、初代は木造六角形の灯台という。年一回灯台の無料開放がある。◇所在地:小樽市祝津3丁目 ◇Gmap:マップコード

江差追分節名歌碑 北海浜節民謡碑<

北海浜節民謡碑碑に書かれているのは有名な追分節の文句ですが、通説は江差あたりの女性が、漁期に忍路や高島の漁場に行っている愛しい男を追って行きたいが、その手前のおかもい様(積丹岬の大岩)が女人の通航を許さない。せめてそこに近い歌棄や磯谷の漁場で働いて男の帰りを待ちたいという事のようです。話にはもう一つ裏があって、当時の新興商人(政商)が何とか歌棄(有戸付近)と磯谷(横間付近)場所請負の権利を手に入れたが、ニシン漁場が年々北上するということから、何とかして忍路・高島の場所請負の権利を手に入れようと暗躍したが、事破れて全面的な敗退となった。そのことを書いた落札が喝采を受け歌詞になったのだという。もっともらしい話ではあるが・・・・北海浜節民謡は聞いたことがないが、小樽の忍路、高島の漁場が舞台のようです。江差町鴎島にあった江差追分節とは歌詞が違う。◇所在地:小樽市祝津3丁目 ◇祝津パノラマ展望台 ◇Gmap:マップコード

国史跡 忍路環状列石MAP

忍路環状列石三笠山山麓の緩斜面を平坦にカットし、その面に大きな立石とその周囲に小石を大きな楕円形(33m×22m)に並べたもので文久元(1861)年に発見された遺跡です。縄文時代後期(約3.500年前)のもので、この時代に出現する「区画墓」と呼ばれる集団の墓地と考えられていますが、この時代としては大工事だったのではないでしょうか。隣接する遺跡では巨大木柱が発見され環状列石と関連する祭祀的な遺跡と考えられと考えられているそうです。ストンサークルとしては道内最大級ということですが、草が伸び放題で環状列石が草に埋もれ国の史跡とは思えない状態でした。◇指定日:昭和36年3月10日 ◇説明板設置者:小樽市 ◇所在地:小樽市忍路2丁目 ◇Gmap:マップコード

道史跡 地鎮山環状列石MAP

地鎮山環状列石忍路環状列石の西、約1kmの地鎮山(標高50m)の山頂にある遺跡で楕円形の形に、12個の大石を10m×8mの規模で配置。昭和24年にの発掘調査では中央よりやや南寄りに円形に小さな円石を集めた部分があり、その地下に2m×2m、深さ1m方形の墓穴が発見され、底には川原石とみられる円石が敷かれ、縄文時代後期の区画墓の一種と考えられている。今は穴をコンクリート?で固めてある。ストンサークル自体の草は日陰でそれほど伸びていないが、途中の遊歩道は倒木で塞がれていたりと手入れはあまりよくない。◇指定日:昭和25年8月28日 ◇説明板設置者:小樽市 ◇所在地:小樽市忍路2丁目 地鎮山 ◇Gmap:マップコード

北海道海水浴場開設発祥之地MAP

海水浴場開設発祥之地 蘭島はかつてニシンで栄えた漁村でしたが明治末期には鰊漁のピークは過ぎ、当地に水産加工業を営んでいた丸山三郎氏が用地の無償提供を申し出るなどして蘭島駅の誘致や、海水浴場開設に尽力、蘭島は北海道を代表する海水浴場に発展、北海道内最古にして道内屈指の海水浴場です。碑文より「北海道海水浴場開設発祥之地/小樽市長 志村和雄 謹書」、碑誌より「明治三十五年地元丸山三郎氏の多大な尽力により蘭島駅が開駅となり翌三十六年七月、 同氏が鉄道・報道関係者多数浜に招待し、今後の海水浴場の発展のため協力方をお願いしたることに始まりとされております。爾来今日まで組合員、地域住民一体となり、あらゆる公害より海を守り,北海道の海水浴 場の発祥の地にふさわしく美しい自然環境の もとで、小樽市を始めとし関係機関の指導協力により事故のない快適な海水浴場として広く道民に利用されておるところであります。本年蘭島海水浴場開設八十周年記念を迎えるに際し記念事業の一環として、元組合長武井 一朗氏の土地の寄贈を得て、この地に記念碑を建立す。昭和五十八年七月三日/ 蘭島海水浴場開設八十周年記念実行委員会」※同海岸に忍路よりに丸山氏が建立した鯡塚があります。◇建立年:58年7月3日 ◇建立者:蘭島海水浴場開設80周年記念実行委員会 ◇所在地:小樽市蘭島 ◇Gmap:マップコード

石狩河口と小樽エリアのミニギャラリー

☆更新情報など☆

 レイアウトとトップメニューの一部変更、内容を見直しました。

横走り pagetop  戻る  先へ

地名と伝説

モバイル掲示板

掲示板談話室

相互リンク

rss10 rss20

まち楽

twitter

サイトバナー

道北の釣りと旅-baner-1