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滝上渓谷公園とアウトドア情報‼

滝上渓谷

滝上渓谷

市街地の中央を東西に流れる渚滑川の渓谷は、「錦仙峡」と呼ばれ「北海道観光百景」に選ばれた事もある景勝地で白亜の滝、白馬の滝、蚊龍の滝、洛陽の滝など自然の滝や半人工の滝があります。滝だけを見に行くにはものたりないが豪快な渓谷の核心部を構成する欠く事のできない滝。渓谷の両岸には延長2km余りの遊歩道があり散歩には手頃な距離。春は雪解け水が残る激流と映える新緑、夏は木陰の涼、秋は紅葉と四季それぞれに楽しめるが特に紅葉は知られざる名所。自然の残っている渓谷沿いでは小鳥の姿も多い。

滝上町の滝

白亜の滝

錦仙峡の中には自然、半人工の滝などが5滝、此処は滝を見るというよりは渓谷の一こまとして滝を見るという事になる。他にも滝はあるが簡単にいけるような場所には無い。洛陽の滝で遡上してきた鱒たちが虚しいジャンプをしているのを滝上町は絶景と云っているが、よく考えるとこれは自然破壊の末路、本当は人にも鱒たちにも悲しい光景なのです。

浮島湿原

浮島湿原

浮島湿原は滝上市街地から約35㎞、標高850mにある高位湿原、明治41年に発見された面積約700haの湿原70余りの沼があり、その沼の中に湿原植物の根になどよって形成された浮かぶ島があり、沼の中で漂う浮島の姿は秘境そのもの。沼には、山椒魚やカエルが生息。沼付近一帯にはエゾイソツツジ、コケモモ、チングルマ、モウセンゴケ等の湿性高山植物が部分部分で群生している。浮島の他に不思議な事いえば、わずか1mしか離れていない隣の沼の水位が違っていること。湿原には案内板や木道が整備されています。湿原への入り口は滝上町側と隣の上川町側の2ルートがあるが距離は滝上側が短いが登りはきつくなるのを覚悟で。

渚滑国道ダウンヒル

画像枠

旭川から滝上町を目指す途中の直線道路に高低差約80mの道がある。道内にはジェットコースターの道と呼ばれる名所は何カ所か有るが一ヶ所の落差は最大級で国道となると此処くらいかも。滝西の集落を過ぎてS字カーブを抜けるとやや登った後に突然に前方に視界が開け吸い込まれるように落ちていく感じです。一番低い五線川を渡る左側に森林鉄道の名残か古い鉄橋が残っている。人も車も少ないが下り坂で直ぐスピードオーバーになるのでご注意を。

チトカンニウシ山の伝説

石狩川と網走川の分水嶺、上川と北見の国境のチトカニウシの山は神聖なる神の山、人間がそばを通っただけでも雨が降り、登ると神罰で大荒れになるという伝説の山である『昔、神代の時代に、多くの神様が集まって、この国でどの山が一番高いかということで議論になった。ある神様は夕張の奥のカムイシリヌだといい、他の神様はヌタクカムシュペ(大雪山)だといい、またチトカンニウシの方が高いと言い張る神様もあったので、それではどれが一番高いか試してみようというので、神様達は夕張の奥のカムイシリの上に集まって、そこから大雪山とチトカンニウシをめがけて弓を射てみることにした。神様の射た矢は大雪山の方をかすって、チトカンニウシの胸のあたりに、当たったのでこの山が一番高いということになったのである』川村ムイサシマツフチ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より ※実際のチトカニウシの標高は1400mほど、北海道の最高峰である大雪山旭岳は2290mです。

小檜山博文学碑

滝上町・小檜山博文学碑

小檜山さんの生地オシラネップ原野18線に小説「風少年」の一文を刻んだ文学碑が平成21に建立された。場所は国道273号線から濁川の市街地で左折し道道617号線オシラネップ原野濁川停車場線に入り、車で15分程かかります。1983年『光る女』が第17回北海道新聞文学賞・第11回泉鏡花文学賞を受賞、後に映画化された。2003年・本人の自伝に当たる『光る大雪』が第7回木山捷平文学賞を受賞している。◇GPS:N44°06’31.5” E143°05’02.5”

官設上渚滑駅逓所

滝上町・官設上渚滑駅逓所 駅逓の詳細まではわからないが、碑は国道273号線沿いで雄鎮内センター前で国道際にある。国道から道道996号を渚滑川の方に進むと渚滑線・雄鎮内仮乗降場が有ったが今は何も残っていない。上渚滑という名が散見されるが大正7年に紋別郡渚滑村から分村し滝上村になった当時の名残、滝下・メナシ間の渡船場が近くにあり交通の要衝だったようで、明治44年にサクルー駅逓所と共に開設された滝上最初の駅逓でしたが大正4年に滝上市街地に移転している。◇設置年:明治44年02月 廃駅年:昭和03年02月 ◇移転年:大正04年04月 滝上に移転 ◇初代取扱人:宮地勝長 ◇現住所:滝上町雄鎮内55線(旧上渚滑原野54線)

滝上官設駅逓跡の碑

滝上官設駅逓跡の碑

上渚滑で開設されたが、その後滝上に移転(前記参照)している。駅逓の移転は入植者が奥地に入ってくるとそれに併せて移転した例が多くあるが滝上官設駅逓所もその一つでした。大正12年に渚滑線が開通、鉄道開通で駅逓廃止というのが一般的だが、滝ノ上駅は単独線の終着駅であり、滝上駅逓は峠駅逓や滝下への中継駅逓だったことから昭和3年まで営業、駅逓廃止後は旅館を経営していたという。駅逓跡の碑の碑は芝桜で有名な滝上公園と渓谷公園を結ぶ旧市街の旧道沿いにある。滝上町の駅逓跡碑では官設滝上駅逓所、北滝上駅逓所、奧滝上駅逓所となっているが正式には滝ノ上駅逓所、北滝ノ上駅逓所、奧滝ノ上駅逓所のようです。◇所在地:滝上町元町(旧市街) 滝上公園近く。◇GPS◇N44°11’44.6” E143°04’51.6”

北滝上官設駅逓所跡の碑

北滝上官設駅逓所跡の碑

滝上原野20線に開設されたというが、現在は三区20線となっているようで、西滝市街の少し手前で古タイヤ処理場付近。国道の20線バス停から林道方向に100mほど進むと左側に石碑。滝西の集落と思われがちだが、そこまでは行かない。滝上町の駅逓跡碑は昭和47年に設置されているがここだけは平成になってから再建された碑で他とは雰囲気が異なっている。◇所在地:通称西滝 滝西集落手前 #9671;GPS◇N44°07’14.2” E143°00’20.9”

奥滝上官設駅逓所跡の碑

奥滝上官設駅逓所跡

国道273号線滝上町中心から上川方へ向かう事約20km、最後の集落に残る商店もすでに閉鎖、この空店舗を過ぎて間もなく道路右側に「奥滝上官設駅逓所跡」の石碑がある。奥滝上駅逓所は大正9年開駅と云うが駅逓協会報では大正13年と開始年が異なり民営期間があったのかも・・・駅逓跡碑横に木製の門柱?があるがかつての校門かも。◇現住所:滝上町五区・通称滝奥
◇GPS:N44°02’05.1” E142°59’44.9”

サクルー官設駅逓所跡の碑

滝上町・サクルー官設駅逓所跡

裏面の碑文より「上渚滑駅逓所(現オチンナイ55線)と共に此処に設置され大正六年、上藻興部へ移転する。取扱人 由良与三郎」とあった。碑は滝上郷土史研究会により昭和47年に建立されている。駅逓開設は明治44年で上藻興部に移転する迄の営業、移転後に上藻興部駅逓所と改称している。碑は士別市朝日町から滝上町に向かい上紋峠を下り奥札久留小学校跡を過ぎ札久留を越えてすぐ左側にある。◇GPS:N44°10’50.2” E142°58’08.7”

オシラネップ(上雄柏)官設駅逓所跡の碑

上雄柏官設駅逓所跡の碑 駅逓開設の実質年は昭和9年、駅逓制度が全廃された時迄残ったいた駅逓。碑横の建物は旧郵便局というが駅逓を改築をしたものか?駅逓の雰囲気は残っていないうえ建物は崩壊寸前。オシラネップ原野濁川停車場線、上雄柏小中学跡より少し奥。滝上町にはかつて存在した総ての駅逓跡に碑が建っている。こういう地域は道内でも数少ない。※駅逓の詳細は「駅逓跡を巡る旅」を参照してくださると幸いです。◇所在地:オシラネップ原野24号
◇GPS◇N44°04’48,0” E143°04’17.8”

滝上町の自然と観光スポット

滝上公園2 滝上公園3 滝上公園4 滝上公園5 滝上公園6 滝上公園7 滝上公園8 滝上公園9 滝上公園10 滝上公園11 小檜山博文学碑 滝上町・浮島湿原

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