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網走市街から北に向かい海岸町を過ぎたあたりから急崖が迫り二つ岩から岬までは断崖が続く。岬は流氷の展望台といった雰囲気で冬にも人気がある。夏の波の穏やかな時は海底の様子から海底火山の痕跡を見る事ができ、運が良ければアザラシの姿も。能取岬の西側は、東西岸に丘陵地帯、北岸は砂洲を隔てオホーツク海と面して周囲31kmの能取湖が広がる。春大潮の時は潮干狩でにぎわいます。湖口は釣り人がシーズン中絶える事のない人気のスポット。8月下旬~10月上旬にかけての冷たい風の吹き始める季節になるとサンゴソウの群落が真っ赤に色づきオホーツク海の風物詩になっているが、特に卯原内のサンゴソウ群落が有名。
網走市街の南西部に位置する周囲43kmの網走湖はサ□マ湖、能取湖と並びオホーツク沿岸の3大海跡湖のひとつ。湖北側から網走川が流れ出し約5kmでオホーツク海に注ぐ。途中に記念写真のメッカ網走刑務所がある。網走の投げ釣りも湖口から始まります。湖畔には温泉が建ち並び、網走湖の四季折々の変化を楽しめ、温泉郷近くの呼人遊歩道では、四季を通してバードウオッチングを楽しめる。またミズバショウの大群生地がある事で知られていますが、4月下旬~5月上旬にいっせいに開花するミスバショウは見事。網走湖は夕陽の名所ですが、自分で穴場を見つけるのも楽しいかも。冬の風物詩ともなっているワカサギ釣りは手ぶらで行っても貸し用具が揃っているので釣る事だけに専念を。
網走と言えば映画網走番外地で一躍有名になったが、その街を一望できるのが、車で行ける天都山の「オホーツク流氷館」屋上に有る展望台。眺望は抜群で眼下を縫う様に流れる網走川のほとりに立つ網走刑務所と網走を囲むように広がる網走湖、能取湖、藻琴湖、濤沸湖とオホーツク海が見えます。条件が良ければ知床連山まで見る事が出来ます。オホーツク流氷館では大きな流氷とキタキツネが向かえてくれます。流氷のシーズンは実物が海岸にたくさんありますが。
アイヌ語で『チカンプトウ』鳥がいつもいる沼という意味とか。周囲約30kmの湖で小清水町と網走市にまたがっている。冬には毎年オオハクチョウが飛来するが、四季を通じて数多くの野鳥が訪れるためバードウォッチングに最適。オオハクチョウだけなら野鳥観察舎のある北浜の『白鳥公園』がおすすめ。公園近くに北浜原生花園があり、湖とオホーツク海を東西に仕切る様に浜小清水から北浜まで砂州が伸び原生花園を作る。オホーツク沿岸では最大規模の小清水原生花園が連なる。5月1日から10月31日まで原生花園駅に臨時停車するのでこの駅からをみてみましょう。寄り道では駅舎を利用したレストラン北浜が人気。
4番目の道立公園としてオホーツク圏に出来たオートキャンプ場。天都山から大観山方面に向かってすぐでオホーツク海や知床連山も見渡せる。季節によって各種のイベントも実施しています。開設期間は4月29日~10月31日と長く施設もロッジ、カーサイト、パークゴルフ場等などがある。◆天都山 TEL:0152-45-2277
国道39号線、網走市内に入る手前から網走湖が見えるとやがて左側湖畔沿いに呼人浦キャンプ場が見えるので判りやすい。眼前は網走湖が広がっているがキャンプ場の上を国道が通っているので静かなキャンプ場とは言えない。それを除けば昔ながらのキャンプを楽しめる。カヌー、サイクリング、バードウオッチング、それに夕日の景色は写真マニアも納得の名所。◆網走市字呼人 TEL:0152-44-6111
レイクサイドパーク・のとろはキャンプ場やコテージ、パークゴルフ場、イベント会場などの施設がそろっている。キャンプ場は6月~9月までキャンプ場以外の施設は5月~10月まで利用できる。ここの一番人気はパークゴルフ場のようです。何時行ってもパークゴルフを楽しんでいる方がいますが呼人浦キャンプ場等と比べると利用者は少ない印象。◆網走市能取港町5丁目1番 TEL:0152-47-1255
呼人網走湖畔にあるミニ動物園でシマリスが40匹以上飼育されている。道内では野生のシマリスも時折見られるが此処にいるリスたちは良く人に慣れている。リスが足下によってくるので踏んだりしない様に気を付けましょう。小さなお子様連れの家族連にはお勧め。TEL:0152-48-2427
サトイモ科の多年草で一般的には高地の湿地帯でしか見られないが、道内では湖畔や湿地帯に広く生育している。網走湖畔には道内有数の群落地があり観光スポットともなっている。4月上旬から約1ヶ月間が見ごろです。国道39号沿の呼人湿原は遊歩道もある事から訪れる人も多い。
網走の市街地と網走港、帽子岩、はるか彼方の知床が一望できるしおさい公園にに知人岬跡の標柱がある 元々シレト岬は海岸に突き出ていた様ですが、道路開削と港湾工事用に岩が削られ今の形になったという。ポンモイの柱状節理の場所も同じように採石された跡のようです。碑文より「岬の名はアイヌ語の陸地の突き出たところシレトに由来する。松浦武四郎の西蝦夷日誌にも記され、後に知人の和名が当てられた。明治35年にポンモイへの道路開削のため突端部が爆破され、後に大量の砕石によって幻の岬となった」と、シレトはかつて各地にあった地名ですが残っている所は少ない。ここでも松浦武四郎の西蝦夷日誌が引用されている。◇所在地:網走市台町2丁目
アイヌ語のポールポクにちなんで、ポーロの坂と呼ばれた坂道は、シレト岬の難所をさげて網走と斜里方面をむすぶ唯一の道路で、時化で船を網走の前浜に入れない時は、ポンモイに船を着け陸揚げした荷物をかついで坂の上に運び、そこから町まで馬で運んだという。網走南が丘高校の東にある曲がりくねった急な坂道(旧道)で、野付牛(現・北見)に入植する屯田兵も坂を上って網走の町にはいったと云い、近くの海岸に屯田兵上陸の地という記念碑がある。今は危険なため通行止めとなり、道も草に埋もれはっきりしませんが、かつてここには洞窟がありコロポックルが住んでいたという伝説があったという。◇所在地:網走市台町3丁目9
当時は陸の孤島だった北見と釧路を繋ぐ拓殖と軍用を兼ねた道路開削に釧路集治監(標茶監獄)の受刑者を使役し明治23年に開通した。川湯と網走間は全くの新道開削で囚人の疲弊は厳しく多くの犠牲を出して完成したに囚人道路で正式には釧路道路という。この道路は網走から駒場、鱒浦、藻琴の台地を通り 小清水、川湯をへて釧路に向かう道で釧網線の鉄道ができる大正13(1924)年頃までの幹線道路として利用されていた。網走にはこの道路を利用し近郊から農産物が集荷され沿道には多くの商店が並び賑わいを見せていたという。当時はこの道路を釧路街道と呼んでいたという。◇所在地:網走市南4東3
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