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浜益に残されたアイヌ伝説と義経伝説‼

アエカップ

『岬なり、高十余状の岩突出して岬をなす。昔し下の方より戦に来りし時、ハママシケの蝦夷は此岩の上え在りて矢を放つ。寄せ手は下より上向きに放つに下より放つ矢、岩の中程に当たりて上まで届かざりしとかや。よって上に有り放つ矢にて寄手負逃行しと云。アイは矢、カップは当たらざるを云事のよし。依て浜マシケの土人等は、此処へ木幣を削りて祭りをなすなり。又一説に登ろうと上がり懸れども、峻敷にして上り得ざるが故号ると云。アイカプは出来不の事を云。アイカプは矢当る事也。何れが是なるや。』松浦武四郎・丁巳日誌『高十余状の岩突出す。昔此處の土人、この岩の上より矢を放ち、寄りてもまた下から矢を放ちしが、互に当らざりし故に名付けしなり』松浦武四郎・西蝦夷日誌※ここでは矢が届かないこと、日常では不器用な事を云らしい。地形的に峻険で通行する事が不可能な岩岬に多い地名。

ビサンベツの雷鳴

『日本海岸浜益は伝説の多い所である有るが、ここを流れているビサンベツという川の奥にミズキを伐ったあとがあり、時々雷鳴が轟きわたるという。これは英傑ポイヤウンペの使いが木幣にする木を伐りに天から来る音で有るという。』新十津川村・空知保エカシ伝・更科源蔵編・アイヌ伝説集より。※浜益はユーカラの舞台なので伝説が多いのだと思うが、伝説は断片的な印象がある。

トヌムペツ(乳房の川)

『厚田村にトムヌペツという小川がある。昔、母を失った父親が、子供を育てるため色々と苦心していたが、たまたまこの川の水を飲んだところ、お乳の様に甘かったので、この水を汲んで行って子供に飲ませたところ、子供がそれを喜んで飲み、丸々と肥って健やかに成長したので、神様の乳房川(トヌムペツ) と云うようになった。トヌムとは乳房の事であるという』中田千畝・アイヌ神話※伝承者不詳で元本は北海道蝦夷語地名解にある「kamuy-tonum-pet・神・乳首・水」云々、水が甘いので名付けた。夏は冷たく、冬は暖かいので魚を養えば成長が早いとも説明している。祈詞では川の水を母乳に譬えるのが実際にある様なので、伝説の否定は出来ないが。松浦武四郎の西蝦夷日誌では、風が崖に当たって、それが戻るという事、としており伝説にはふれていない。

魔神のやな

魔神のやな

『魔神が日本海の中に梁をかけて、浜益の方に鰊の回遊するのを妨げようとした。それを知った文化神サマイクルカムイが梁を打ち壊してし、その用材を海岸に積み上げたので、浜益の鰊はさしさわりなく群来るようになった。その魔神の梁を積み上げた用材が岩になって、幌より増毛寄りの海岸にある。』新十津川村・空知保エカシ伝・更科源蔵編・アイヌ伝説集※積み上げられた用材が岩になったのは黒岩トンネル前(雄冬側)の海中に有る岩とされているようです。

浜益語源伝説

『一説にはアママシュケにてアママは穀物、シュケは炊く義、昔判官公此処にて飯を炊き給ひしとも云へり』松浦武四郎・蝦夷日誌『此処をマシケと云訳を聞に、此処はヘロカルシと云処なりし由答ぬ。其ハママシケの名を冠りし事漸々七八十年』松浦武四郎・戊午日誌※この湾に鰊の群来る時は鴎が集まるからだとも云う。

ルエサン

『ルエサン 往昔此岳より爰に神(義経)が下りし路の跡が有という義なり』松浦武四郎・西蝦夷日誌

毘砂別地名由来

『石狩村の先の方約十里、浜増毛の少し南に今ピサンペツという川が有る。この川の流域に黄金山、黒金山、摺鉢山など呼ぶ山が有り、黄金山の上にはチャシコツとは館跡とか砦跡とかいうような意味の名で、これが即ちアイヌ族の史詞ユーカラの主人公ポイヤウンペの居たシヌタプカの地で、ピサンペツはユーカラにいわゆるトミサンペツの訛りであると伝えられる。』金田一京助・蝦夷伝説源流考・因幡勝雄・アイヌ伝承ばなし集成より

浜益の砦跡

『ユカラの英雄、ポイヤウンペの居城トミサンペツの所在については、種々の説が有るが、浜益郡浜益に有るピサンペツの附近に有ったと伝えられ、この附近は蛇が非常に多いので有るが、これは昔ポイヤウンペが戦争した時使った刀が、そのまま土の中で腐ってしまうのがもったいないので、皆蛇になってしまったのであるという。この砦跡は黄金山で有ると云われ、あるいは摺鉢山ともいわれているが、黄金山は砦跡としては高すぎるので摺鉢山であろうといわれている。然しこの山はピサンペツの岸ではなく浜益川の流域にある。』金田一京助・ユーカラの研究・因幡勝雄・アイヌ伝承ばなし集成より※伝承者の一人よるとポイヤウンペの居城とされる砦跡は江戸時代の砂金堀で無くなってしまったとも。

タイルベシベ(黄金山)の伝説

黄金山

『タイルベシベ(丸山)といふ雷盆(スリバチ)を伏たる如き山あり、和人これをコガネ(黄金)山という。其後に廻り、源はアアラ岳と云、石狩樺戸の山に至るよし。一説、昔此タイルベシベは義経公が住居し給ひしと云、其時甲冑を置れしが、今化して皆マムシに成て有と云ひ、また文亀天正の頃に金坑盛んにありし故号くとも云り。』松浦武四郎・蝦夷日誌※ポイヤウンペに関する話の殆どがユーカラに有ると云うタイプで、伝説として残された話は有るのだろうか?。ここでは伝説の原型はポイヤウンペで、それが義経に置き換えられたという事になりそう。平成21年に文化庁よりアイヌ文化に関連する名勝として指定。

アニブトフンナイ

『訳て振舞饗応の事也。昔義経公ヘ此処の土人アシカを捕て奉りし処なりと』松浦武四郎・蝦夷日誌『小川なり。マラフトと云は振舞饗応の事也。昔判官様の来り給ひし時、トドを捕りて奉りし処なる由ヲマと云は前と云義也』松浦武四郎・丁巳日誌※濃昼の首長トミハロと首長の娘と義経の恋愛物語である「浜益の岩ツバメ」という伝説は創作伝説ということの様です。

カムイチフトイ

『判官様此処まで船にて行、此処ヘ陸上し、是より山越増毛へ行玉ひしとかや。依て堅雪のせつ増毛へ御用状を持て土人等行時は此処よりこせしとかや。カムイは判官様を指て云。チプは船、トイは上しと云事也。』松浦武四郎・戊午日誌※浜益村の北端にある断崖をカムイチプトイ(大岩)と言い「判官様がここまで船で来て、そこから山を越えて増毛に行った」という地名に関する言い伝え。この道で凍死者もあったというからここでの判官はカムイ=魔などに近い意味かもしれない。

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