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赤岩青厳峡と隠れた紅葉の名所双珠別‼

占冠村双珠別

占冠村・双珠別

滝の有る川というアイヌ語の地名に由来する双珠別は、占冠の中でもまだ自然が残された地域です。文字通り滝も有ります。でもここでは何と云っても紅葉、双珠別川にかかる『みかえり橋』から見る紅葉が素晴しい眺めです。北海道の紅葉は黄色主体の所が多いが、この辺ではモミジが多いようで鮮烈な赤が一際目立っているのが特徴ともいえる。

双民館

占冠村・双民館

双民館は1998年3月に廃校となった双珠別小学校を再利用した地域の創作活動や交流はかる施設。研修、宿泊施設として利用出来る。嬉しいのは研修や研究目的であれば一人でも宿泊可能な事だ。長期滞在を考えている人は検討の価値有り、また館内には郷土資料室があり占冠村の歴史や開拓時代の様子を知る事が出来る。◆占冠村双珠別 TEL:0167-56-2121

イトウ アイリス ガーデン

占冠村・イトウ・アイリス・ガーデン

国道237号線沿いにあるジャーマンアイリスを中心とした広いガーデン。白樺の中にロックガーデンやベンチなどが置かれた休憩所あり。雪割草、高山植物、宿根草の自家生産苗を直売しています。管理人はここでヒマラヤ産という竜胆の一種、ゲンチアナ・テルニフォーリアと云うブルーの可憐な一鉢を購入した。園内には宿根草のホオズキなど珍しい種類もあった。収穫期には農産物直売所もオープンする。ドライブ途中の休憩などにはもってこいかも。それで気に入った花でもあれば、プレゼント用にというのも良い。国道を挟んで「ファームインのら」を開設している。
◆占冠村字双珠別 TEL:0167-56-2685

庄司留七氏縁の地

占冠村・庄司留七氏縁の地

イトウ・アイリス・ガーデンのある地は占冠最初の駅逓開設と同じ明治37年に、山形県出身の庄司留七氏が入村した地でもあり占冠で最も歴史のある所です。庄司留七氏は占冠教育界に偉大な足跡を残し、双朱別という文字を考案したのも彼とされている。イトウ・アイリス・ガーデンのある地は占冠の歴史とは切っても切れない関係で結ばれた史跡であった。

占冠の銘木 スモモの老木

占冠村・スモモの老木

樹齢百年を超えた「スモモ」は庄司留七がこの地に入村した明治37年に植樹したと言われている。「スモモ」の木はさほど珍しくは無いが、この「スモモ」は現在各地に見られる樹種とは異なるそうで今では殆ど見られない種類という。その木がイトウ・アイリス・ガーデンの敷地内にあります。

占冠の銘木 旧双朱別小のクロミサンザシ

占冠村・クロミサンザシ

昭和15年に双朱別小学校の生徒達が山から掘り出し校庭に植えようと、運んで行く途中で悪路と登り坂で動けなくなってしまったところ偶然に通りかかった農家の人が馬で運んでくれたと云う逸話がある。それから察するに当時よりそれなりの大きさであったと思われ樹齢は優に百年は超えていると思われる。
◆現・双民館敷地内(旧双朱別小学校)

森のふくろう ※現在閉店しています。

占冠村・森のふくろう

森のふくろうとは占冠に関する事を即教えていただける双珠別にあった食事処。店の中にはふくろうのグッツが所狭しと並んでいて壮観でした。マスターは占冠郷土史研究会の重鎮でも有り、占冠の歴史に関して知りたいことがあればこちらに聞くのが一番かも。◆占冠村双珠別 TEL:0167-56-2069

上トマム駅逓跡の碑と説明板

上トマム駅逓跡

南トマムからまもなくの所に上トマム駅逓跡の碑がある。ここは石狩水系と鵡川水系の分水嶺であり、かつては石狩と胆振の国境で国標もあったというが、今は占冠と南富良野の境界だ。なだらかに見えるが海抜約570mで金山峠よりも高い。周辺には商店もあったというが今は記念碑以外に何もない。トマムという地名はアイヌ語で湿地という意味で、トマムという地名は各地に残っているので混乱する。文字にすると占冠がトマムで陸別は斗満(トマム)となる。
◇開駅:大正03年11月 ◇廃駅:昭和16年02月 ◇初代取扱人:森数三郎
◇GPS:N43°02’54.5” E142°39’58.3”

下トマム駅逓所跡の碑と説明板

下トマム駅逓所跡

石碑は道道夕張新得線から石勝高原幾寅線に若干入ったところの右手にあり樹林のしたになるが、下草は刈られてきれいに管理されている。下トマムトマム駅よりも少し占冠側の地域で此処から幾寅峠を越えて鹿越に抜けられるが峠はダートで急カーブが続く道。この辺は釣りをする人は魅力的な渓相が続いているが、熊もいそうな雰囲気です。◇開駅:大正14年05月 ◇廃駅:昭和22年03月
◇初代取扱人:山下要助 ◇二代:十塚利三郎
◇現住所:勇払郡占冠村字下トマム
◇記念碑:史跡石柱 ◇GPS:N43°04’02.7” E142°31’54.9”

峠下茶屋跡の碑と説明板

峠下茶屋跡の碑

民営の駅逓に近い経営だった様で馬宿もしていた様です。以下は史跡説明板によると、金山側に旅宿が有ったように占冠側のこの地には茶屋が二軒有り、どちらも馬宿をもしていたというので私設の駅逓と考えても良さそうだ。それだけなら碑等は残らなかっただろうが、峠の茶屋には「おにばばあ」という有名人がいて「おにばばあ」見たさに占冠に転勤を希望した役人もいたとか・・全文は写真で見てください
◇所在地:占冠村字占冠 金山峠 ◇GPS:N43°04’53.0” E142°23’41.1”

占冠駅逓所跡の碑と説明板

占冠駅逓所跡の碑

国道237号線と道道136号夕張新得線の交差点より占冠中央側に若干よった所に青い屋根の物置と民家が有り、その間に碑と説明板があり、脇にポールが立っている。駅逓の時代は占冠の中心地だったが鉄道の駅や高速道路の普及で、今は占冠中央とトマムにその座を明け渡す形になっている。管理人が20代の頃、一年ほど仕事をしていた所でもある。
◇開駅:明治37年06月 ◇廃駅:昭和08年07月
◇初代取扱人:岩崎勝治 ◇二代:吉田正美 ◇三代取扱人:永井彦一
現住所:勇払郡占冠村字占冠
◇記念碑:史跡石柱と説明板 ◇GPS:N43°00’15.7” E142°24’22.9”

ニニウ駅逓跡の碑と説明板

ニニウ駅逓跡

かつてニニウ集落であった真ん中を高速道路が貫通し、キャンプ場は廃止され、サイクリングターミナルは既に崩壊が始まっていた。そんなニニウの入口でサイクリングターミナルの広告塔と一緒に碑があるのは痛ましくもあり、何とも皮肉な風景だ。駅逓時代の鬼峠は既になく占冠側に鬼峠民有林道の急斜度にその一端を垣間見るが、昔はこの鬼峠を徒歩で越えた。
◇開駅:大正06年12月 ◇廃駅:昭和20年09月
◇初代取扱人:小林昇之助 ◇二代:三船留七
◇現住所:勇払郡占冠村字ニニウ ◇GPS:N42°57’27.0” E142°19’50.6”

ニニウ自然の国とニニウの蛍

占冠村・ニニウと鵡川

赤岩青厳峡を下って開けた所がニニウ、占冠では最も古い歴史を持つ集落だったが、現在は一件を残すのみ。広大な公園にあったキャンプ場やサイクリングターミナルはその面影を残すのみ。ニニウは蛍の大発生地として知られる。ニニウに限らす離農後のあとでホタルが復活してきた所は多いようですがここは特別の様ですが、高速道路の開通でそれも過去の事になりつつある。

占冠村の自然と観光ミニギャラリー

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