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北海道北部の名寄盆地の南部に位置しかつては広大な泥炭地であった。町名はアイヌ語のケネペツに由来する。ハンノキ川という意味ですがハンノキは湿地帯に多い木で、町内を流れる犬牛別川も同じような意味です。それだけに開拓は困難でした。今では土地改良が進み当時の面影は殆ど残されていません。中央部は剣淵川に沿って広がる平野には水田が広がり、東西は丘陵部となって畑作や果樹、牧場が広がる農村地帯です。気候は内陸性ですが比較的穏やかで寒暖差も近隣の市町村より少なめ、とは云っても夏と冬の気温差が50℃以上ある
旭川と名寄との中間で国道40沿いに有る道の駅。旭川から北は道の駅も少なく、ドライバーには嬉しい場所には違いない。道の駅としては施設はまだ新しく清潔感に溢れている。レストランやテイクアウトコーナーに、お馴染みの絵本のコーナーも。奨めは管理人の独断で、道の駅のベーカリーで焼いたパン。夏の間は産地直売コーナーもオープンしている。◆剣淵町東町2420番地 TEL: 0165-34-3811
平成16年に建物を新築し現在地に移転、施設の充実が図られた。絵本の図書館と美術館の複合施設で、世界中から集められた絵本や一般図書など4万5千冊を蔵書、絵本の原画を約800点所有している。館内では絵本の閲覧、貸し出しをおこなっていており、絵本の原画展示も随時開催している。毎年8月には、絵本の館の来館者の投票により『けんぶち絵本の里大賞』が決定される。入場無料、水曜日休館。◆剣淵町緑町15番3号 TEL:0165-03-2624
剣淵町は屯田兵による最後の団体移住の地でした。明治32年に377戸の入地及び団体移住などによって開拓が進められた。その当時からの多くの資料が保存され、時代ごとに生活の変化がわかる様に展示、農機具展示や貴重な生活用品等から遊び道具まで見学できます。隣接して屯田兵屋があり屯田兵の入植当時からの農具や馬車、書物や各種生活用具が展示されています。兵士の村だと云うのが良く判ります。◆剣淵町緑町15番4号 TEL:0165-34-2235
地元のコミュニィティーの場にもなっているという「けんぶち町観光交流センターまちの駅」は名前通り剣淵町の中心街にあり剣淵町の観光スポット、グルメや特産品、イベント情報など、剣淵に関する情報を発信している。四季の展示などもあり一息いれたい時や観光スポットを探す時に便利ですがアウトドア情報はあまり期待しないこと。◇剣淵町緑町7番1号 TEL:0165-34-2648
アルパカは南米アンデス地方の高地などで飼育されているラクダ科の動物で、体型はどことなく大型のヤギに近い印象だが毛は長い。顔はどことなく羊に似ているが、羊よりは可愛いいです。寒冷地に向いた動物なので年間を通してと云うよりは春と秋や冬などの涼しい&寒い季節がアルパカ本来の姿を見られそうだ。本格的に熱くなる初夏に毛を刈られる、暑い季節は避暑に建物内に逃げているかも。牧場には休憩舎完備で四季ごとのアルパカのビデオ上映もある。◆剣淵町東町3733・入園料500円 TEL:0165-34-3911
ビバアルパカ牧場スタッフのお勧めをこっそり掲載しました。なんでもラーメンは「駅前旅館」が最高と、宿泊はもちろん、食堂としての営業もしている。ラーメンは500円だがカレーとセットで700円と安い、旨いが人気と。パンがお好きな方には「お菓子のやまだ」から出ているバターブレットが最高とか。剣淵町に行ったときは観光用のグルメマップを確保して探してください。◇剣淵町仲町2番4号
ビバアルパカ牧場から桜岡湖に向かう途中の左側にある自家焙煎coffeeと言うことで田舎の隠れ家的存在。店内の雰囲気は凝った装飾とレイアウトでコーヒ党は是非お立ち寄りを、コーヒー豆を好みに合わせ焙煎、販売しています。管理人はビバアルパカ牧場のスタッフの勧めで立ち寄ったのだがお気に入りの一軒を追加する事になった。お急ぎの時は「駅前旅館」、くつろぎたいなら「喫茶工房GC」という感じで。◆剣淵町東町5362 TEL:0166-34-2886
地養鶏を使った燻製、肉、卵、内蔵の燻製は合成保存料や着色料を使っていない昔ながらの燻煙法という。素材の旨味が活きている昔ながらの燻製を知っている方にはお勧めかもしれません。保存が容易なのでアウトドア用途などの他、アレルギーなど健康が気になる方にも!! ◇剣淵町西町6番2号 TEL:0120-016534
剣淵町の妙見寺の駐車場に有り町の開拓記念木に指定されている。北海道の名木100選に選ばれ北海道の記念保護樹木に指定され剣淵町の天然記念物ともなっています。推定樹齢650年、幹周480cm、樹高14mの巨木で屯田兵が入植時にこの老木の下で隊長の訓示を受けたという所で、屯田兵からの繋がりが残る数少ない記念樹。うるさい電線などはレタッチで消しています。
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明治32年7月12日、本道最後の屯田兵337戸が入植、練兵場の南敷地に移住記念標を建て札幌神社の御祭神を奉祭し、入隊式が行われたのが剣淵神社の創まり
剣淵町旭町593
最後の屯田兵が士別に入植するとき、剣淵から老人と子女がアイヌの手を借り小船に乗船して剣淵川を下った。乗船場所は現在の淵道の駅付近で史跡になっている。士別の上陸地点には「屯田兵家族上陸の碑」と説明板がありますが当時の面影は微塵もありません。旧剣淵川は蛇行していてこの辺はかつてビバカラウシと呼ばれていた所です。
船着場の説明板より
明治三十二年北門の警備と本道開拓の先駆者として最後の屯田兵が剣淵町に入地した、この間蘭留より和寒までは建設列車で来たが、それからは道路も鉄道もなく、徒歩で目的の地へ向かわなければならなかった。原始林や熊笹におおわれたなかを老人をいたわれ師弟を背負うなどしてこの処へたどりついたのであるが、士別へむかう老人と子女は歩行がむずかしくこの船着場より小船に乗って下ったところである。今はその面影もないが、史跡としてここに保存する
上川郡剣淵町教育委員会
防風や防雪の為に造られた林は多いが鉄道林もその一つ。ただ鉄道林の場合は簡単に近づける所は少ないが、北剣淵は気軽に鬱蒼とした鉄道林を見られる数少ない所。駅自体は森の中に包まれ全く見えずその存在さえ気付かない事も。駅と云っても板張りホームがあるだけでフェンスすらない、待合室は木造の小屋という感じて忘れ去られた秘境の雰囲気だ。移動には車の方が便利。
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北海道選奨土木遺産に認定。
かつて宗谷線剣淵・士別間は過湿泥炭地のため防雪林の生育に適しませんでした。大正15年、国鉄に赴任した深川冬至氏が、土壌改良により「ドイツトウヒ」を植裁し12.7㎞に及ぶ防雪林を構築する一大偉業を成し遂げ、冬期の列車の安全輸送が確保されました。 その功績を永く顕彰するために、剣淵駅から北へ約600mの西林地沿いの地点に 「深川林地」の石碑が建てられています。 ※線路内は危険な為、立ち入らないでください。
剣淵町仲町20番地先
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