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皇室関連、忠魂碑や軍関係は割愛。開拓記念碑等は代表的な碑、特殊な碑などにとどめています。
東旭川屯田公園内に台座に巨大な神居古潭石と小さな三個の石で出来たを碑で、小さな石三個に1文字、あわせて百年史と有る。永山の碑と違い主語が無いので地元の方以外でその意味をすぐに理解出来る方は少ないだろう。旭川屯田百年と云えばもっと具体的な意味で判りやすかったと思うが。東旭川と旭山では屯田と軍関係の碑が圧倒的に多く、軍都旭川が形を変えて生きている。
練兵場のニレは旭川中学校グランド際に有る「東旭川土功組合記念碑」脇の大きな楡の木で、東旭川村練兵場跡である事から練兵場のニレと呼ばれている。樹齢は約300年とされている。練兵場のニレの近くで兵村記念館の横に「神迎える楡」があるがややこちらの方が高さがあり樹齢約300~400年とされている。こちらは由来を書いた看板がある。
東旭川米原の太田神社境内に有る「菊田熊之助翁像」は昭和38年に再建された2代目の像。初代の像は着物姿だったが、戦争のため供出され台座だけ残されていたのを洋服姿で再建。菊田熊之助は当地開拓の功労者で東旭川村・村長としても活躍した人物。銅像の原型制作者に高橋北修とあったが、旭川出身の著名画家で「大雪山の北修」と呼ばれた道展の創立メンバー高橋北修の事か・・
東旭川の奥地は福島県からの入植者を最初に宮城県、新潟県、岩手県からの入植者で開かれた。最初に米原に入植したのは菊田熊之助を団長とするの福島県からの開拓団で米原地区の開拓が始まった。碑は開拓事業が一段落した大正元年の建立となっている。入植の決め手になったのは桑の自生が多く養蚕業を見込める事だった様です。
かつて有ったと云う開館跡に立つ碑が南部団体記念碑と山神碑、台座の形から位置の移動があっ事が判る。岩手県からの入植者で始まるが碑は入植十周年として大正4年に建立。台座は開基七十周期年に設置された。山神碑は旭川市内に2カ所有る内の一つで大山祇園を祀っていた。特定の山とむつびついた信仰として有名では有るが、山神としては特殊といえる。ここには地神も有ったと云う事だが統合され台座跡だけが残っている。神社も統合される時代に入った。
碑文一部抜粋「下南部(共和)地区開拓概要。明治38年2月、岩手県稈貫郡八幡より似内儀次郎を団体長として当地に官地払い下げをうけて原始未開地に始めて入植鍬入れを行った。以来左記の先人の不撓不屈の開拓魂によって遂に現在の平和郷を建設に至ったものである。尚是に併せて富山県人、高田茂一郎氏が高田牧場を開設した」以下省略。大きな碑は他に下南部に2カ所、米原に2カ所、桜岡に2カ所ある。
この様な碑は極めて珍しいかもしれない。旭川の農業史では農民組合運動抜きに語る事は出来ないだろう。豊田はそういう伝統を持った地域という事だ。碑は豊田の大曲交差点際に有り、発祥地の碑隣には同程度の大きさを持つ顕彰碑がある。発祥地の碑は昭和48年、顕彰碑は昭和59年の建立。◇東旭川豊田大曲
説明板より転載「忠別、上旭正の開拓民は長年に渡り忠別川の氾濫に襲われてきた。その一方で用水路の不備から水稲に適した沖積土と気候に恵まれながらも耕作が拡がらなかった。当地の有力者であった三木孫次郎は開拓民の窮状を見かね資材を投じて用水路の整備を図った。後の東川土功組合、現在の東和土地改良区の先駆的役割を担った。この一帯の美田は三木翁と労力を提供した開拓民の賜である。この功績を称えて酒造業の木澤藤三郎が発起人となり、後世に偉業を伝える記念碑として建立した。」以下省略
説明板より抜粋「この地蔵尊は当地、大正期屯田共有地の開拓民が寄進したものである。忠別川の氾濫による犠牲者が多く身元不明者上七号築堤に流れ着いた。そこで当地の農民は不幸な亡骸を葬り慰霊鎮魂のため当地に地蔵尊を据えた。毎年八月七日には僧侶による法要を営んでいる」「同敷地内の馬頭忠霊碑は、開拓期から百年にわたる農業振興は人馬一体の労務によってなされてきた。物言わぬ農耕馬に感謝し、家族同様の愛馬への想い出を記憶するために大正期に上公有地農民有志が建立した。ここには忠別地蔵尊、馬頭観音、三木孫次郎翁功労記念碑があります。
豊田八幡神社の参道右側にある幹周り320cm、樹高26m、樹齢310年(推定)のハルニレ(別名をアカダモとも)明治末期こ豊田の地に来た人達は山1番に大きいハルニレを背に祠を建て豊饒と発展願った。その祠は今はないが、社殿とその脇に二つの祠がある。ここには地新宮の碑も祭られている。豊田の歴史を見守ってきた風格のあるハルニレです。
◇旭川市東町豊田 八幡神社境内
上南部の水神宮へ行く途中、右手小高い所にある。周り何本もサクラ古木がある所から、かつて植樹されたのであろう。その中でもこの一本が特に姿良く花色濃付きも見事。この地への入植は明治41年頃の事であり、いつしか辺の人たちは、こサクラ下に集い春耕期多忙な一時を割て花見に興じていたという。幹周り260、樹高8m、樹齢約80年。◇旭川市東町瑞穂 加藤重治氏所有
旭山動物園から車で約5分の所にあるグリーンツーリズム型の施設。ポニーなどの動物との触れ合い、木炭作りなどの農業や自然体験、パン・ピザ石窯工房でのピザ作り、五右衛門風呂など宿泊しながらの体験コースが多数ある。中でもモンゴル遊牧民の移動式住居「ゲル」を使った宿泊施設が人気の様です。他に復元屯田兵屋や屯田兵子孫住宅などにも宿泊も可能なほか、芝生のキャンプ場も有る。冬期は休村です。「旭川モンゴル村」のサイトヘ。◇旭川市東旭川町桜岡35番地の3 TEL:0166-37-1113
桜岡にある桜岡観世音自然散策キャンプ場は常設のキャンプ場ではない。利用を希望される場合は「伊藤園 090-9433-3024」に事前に連絡を。「養蚕民家」は平成2年~3年にかけ解体復元された旭川市の史跡。福島団体の一員として米飯地区に入植した松浦繁松氏が郷里の養蚕民家に倣って明治42年に建られた伝統的な建築物。◇旭川市東旭川町瑞穂
動物園から5分程の所にある観光牧場で乗馬が楽しめる施設。上級者の方はもとより、初心者でも乗馬を体験できる。ウェスタンスタイルで馬に乗り、山や川のホーストレッキングと云うのが人気です。どこか懐かしい片田舎の風景は癒しの空間にもなっている。コテージも有り乗馬や田舎の生活を満喫したい方にはお勧めかも。バーガーショップとUSA雑貨古着屋もあります。乗馬の方は予約が必要、冬期間は営業していない。「クラークホースガーデン」のサイトヘ。◇旭川市東旭川町桜岡160-4 TEL:0166-36-5963
昭和16年に小樽の吉村米秋氏の手により完成した吉村煉瓦工場は一般需要の外に軍用煉瓦の製造を行う。最盛期は一ヶ月三百万個のレンガを製造をしたと云う。戦後需要が減ったため工場を廃止、今は煉瓦工場の建物は無く巨大な煙突だけが田園地帯の中に聳えている。産業遺構には違いないが、ひび割れがみられ倒壊が気にはなる◇旭川市東旭川町桜岡
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