カウンター

ニシン街道巡り
消えゆく近代土木遺産 古平町~神恵内村の袋澗遺構‼

積丹半島余市・古平町の袋澗

積丹半島の東側は西側と比較すると波浪の程度は穏やかであったのか残っている袋澗遺構は少ない。

S1袋澗種田ノ袋澗MAP

種田ノ袋澗 元場所請負人で請負制廃止後に鰊漁家に転身した種田家の袋澗です。種田家は昭和6年頃で余別に6ヵ統、美国に6ヵ統、古平に5ヵ統、余市に4ヵ統の建網場を有す大規模鰊漁家で、この袋澗は種田家所有で唯一残っている澗のようです。堤も崩壊が進行し漁港の防波堤延長で海流が変わったのか砂浜が増え袋澗は埋まり無残な状態だが一目で袋澗とわかる。現存する石垣は積み方が入り乱れて長い間に渡って修築を繰り返した様子がみてとれます。同じ湾内の一角、旧隧道口近くにはソーラン節発祥の碑や明治以降の海難者を慰霊する観音像があります。◇築年月:昭和2年 ◇堤構造:間知練積及場所詰混凝土◇澗利用:放置 ◇所在地:余市町豊浜町 ◇G.Maps:43.248139, 140.712367

S2号袋澗MAP

S2号袋澗跡ニシンの大群で押し寄せるのは「群来=ぐんらい」、そのニシンが産卵し海面一帯が牛乳を流したような乳白色になるのを「群来=くき」というそうで、それが地名に残った群来(くき)町に残る袋澗跡、残っているのは残念ながら袋澗に接した陸側の長い石垣の護岸と船揚場の一部にある石垣、船揚場として使用されているため切澗の深さは保っているが、堤はコンクリート化されている。◇築年月:大正12年 ◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:古平町大字群来町 ◇G.Maps:43.291613, 140.632349

積丹半島積丹町の袋澗

積丹半島の袋澗が半島の西側に集中しているのは、波浪の強さと関係していると思われるが残された袋澗遺構は少ない。また元々アクセス困難な場所あった袋澗跡も多い。

S3袋澗熊木の袋澗MAP

厚苫岬前の袋澗船揚場として利用されているが、船揚場から少し離れて改修された様子のない石垣の堤が現存、堤の先端ほど波浪と経時変化で崩落が進行している。一本防波堤だったのかもう一本の堤が有ったのか見た感じではよくわからない。護岸のような石垣ものこっており石垣の構造はほぼ統一されている。◇築年月:大正8年 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:積丹町大字美国町 厚苫岬付近 ◇G.Maps:43.295892, 140.630848

種田ノ袋澗2 種田ノ袋澗3 種田ノ袋澗4 熊木の袋澗2 熊木の袋澗3 渡辺の袋澗2

S5袋澗渡辺の袋澗MAP

幌武意の袋澗堤は破壊されているが切澗はそのままで、周囲の岩に規則的に柱の跡があり袋澗跡だと分かる。元々は間知練積の堤が有ったようですが、波浪の影響をもろに受けそうな地形で堤は完全に無くなっている。ただ岩盤を掘削した切澗はかなり目立つ存在で、見慣れていれば容易に袋澗とわかるが、護岸より降り口が近くにない。近くにあったというもう一つの袋澗は痕跡もなくなっている。◇築年月:大正3年 ◇堤構造:岩盤上に間知石練積 ◇澗利用:放置 ◇所在地:積丹町大字幌武意町 ◇G.Maps:43.362797, 140.508052

S7袋澗MAP

S7袋澗跡日司トンネル横のマリーナ竜宮(使われていない様子)という建物前で、今は使用されていない様子のミニ漁港がS7袋澗跡になります。コンクリート化されてはいる部分は多いが石垣がそのまま利用されする所もあり澗はそれなりの深さがある。陸側の護岸部分は間知石のようですが、堤では自然石が使用されているのが積丹半島の袋澗としては珍しい。◇築年月:昭和2年10月頃 ◇経営者:斉藤繁次郎 ◇堤構造:粗石練積 ◇澗利用:港の1部 ◇所在地:積丹町大字日司町 ◇G.Maps:43.353830, 140.463524

S13袋澗

S13袋澗痕跡神崎漁港エリアには袋澗が3カ所有ったようですが漁港化で消滅、神崎漁港の堤に石垣の一部が残っているだけです。釣りのついでに立ち寄ってみるのも一興かも。◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:神岬漁港 ◇所在地:積丹町大字神岬町柾泊 ◇G.Maps:43.313897, 140.356476

S18袋澗水口の澗MAP

水口の澗船揚場として今も利用されているようですが、幅も高さもある堤は崩壊がすすみ一部が現存しているだけです。澗の形は実見でも航空写真でも不明瞭、ただ釣りには良さそうな雰囲気でした。またこの辺から見える神威岬は絵になる景色といえます。◇築年月:大正4年 ◇経営者:水口榮五郎 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:&船揚場nbsp;◇所在地:積丹町大字神岬町沼前 積丹トンネル前 ◇G.Maps:43.283225, 140.345410

種田ノ袋澗5 S2号袋澗痕2 熊木の袋澗4 渡辺の袋澗3 水口の澗2 水口の澗3

積丹半島神恵内村の袋澗

泊村と並び袋澗の集中していた神恵内村ですが、波浪の激しさは泊村より波浪が強く波消ブロックが投入された箇所も多く、早くに崩壊したり波消ブロック下に埋没し消えた袋澗が多いと思われる。また国道改修でトンネルが多くなり旧国道沿いにある袋澗跡は海路や全域の徒歩となりアクセス困難な場所が増えてしまいました。ここでは比較的アクセス容易な場所に限定して紹介しています。

S19b袋澗沖の島ノ袋澗MAP

沖の島の袋澗堤がコンクリート製なので一見して袋澗とは気付かないかもしれないが、オブカルイシパークの前にある約4.000m2の「沖の島」にある袋澗。港口を陸側に向け掘削し沖からの波よけに利用した珍しいタイプの袋澗で、波浪への耐性はかなり強そうに見えるが、島に石垣も残っているので後にコンクリートされたのかもしれません。トンネルを越えた所の西の河原駐車場から徒歩で「西の河原」に進み急峻で通行禁止の尾根手前にS18c~S18d号袋澗の二つの袋澗があるが、地形を見れば春先や大雨の後は行かない方が無難な選択ちいえるでしょう。◇築年月:不詳 ◇堤構造:コンクリート ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字珊内村オブカルイシ ◇G.Maps:43.247266, 140.333316

S24袋澗浜中ノ袋澗MAP

浜中ノ袋澗国道の整備で澗の広さは半分以下になった印象だが、波消ブロックが入っていないのは比較的遅くまで船揚場として使われていたのか、澗の水深があり船揚場としていつでも使えそうな雰囲気がある。石垣の崩壊は進行中で水面に僅かに顔を出す程度の高さになっている。◇築年月:大正初期? ◇経営者:浜中又吉 ◇堤構造:間知石練積及場所詰 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字珊内村川白 ◇G.Maps:43.223895, 140.326249

S28袋澗梅澤ノ袋澗MAP

梅澤ノ袋澗ノット川河口右岸に有り今は船揚場になっている。袋澗の石垣は概ね二段程が現存しコンクリート製防波堤の土台に再利用されており、防波堤の先端で低くなった表面部に間知石が見える。澗の深さもあるようですが今は使用されていないようです。旧道トンネル近くに隣接してあったS29号袋澗は一部残存しているが面影が殆どないほどに崩壊してしまった。◇築年月:大正元年前 ◇経営者:梅澤市太郎 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:神恵内村大字珊内村オネナイ ◇G.Maps:43.214907, 140.332292

S28:梅澤ノ澗 S28:梅澤ノ澗 S39:袋澗 S40:袋澗1 S40:袋澗2 S40:袋澗3

S38袋澗二ノ目の澗MAP

S38:二ノ目の澗・道の駅脇神恵内道の駅横にあるミニ漁港で『積丹半島の袋㵎』では袋澗の形が確認出来るが、数度の国道工事や道の駅開設などによる埋立、漁港化等で周囲が変わり、澗の形も変わって港口の頭上を国道229号線の漁火橋が横切り袋澗の痕跡は水路の一部に僅かに残っているだけのようです。道の駅横と云う事で取り上げてみました。◇築年月:大正4年 ◇経営者:米田豊作 ◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:澗利用 ◇所在地:神恵内村赤石大森 かもえないの道の駅横船揚場 ◇G.Maps:43.164862, 140.385798

S39袋澗MAP

S39袋澗参考にした『積丹半島の袋㵎』では大きな石垣が見られたが、今は水面上に僅かに見える程度しか残っていません。堤は布積みと谷積みが複合し一部間知石3段相当の高さが残るも、澗の半分近くが波消ブロックに埋没し埋没を免れた所も礫や石で埋まり浅くなっている。海岸に降りられるようになっているので、見学には好都合だが遺構がそれに見合っていない。◇築年月:大正元年前 ◇所有者:北海道拓殖銀行 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字赤石村大森 ◇G.Maps:43.163107, 140.388229

S40袋澗北村の澗MAP

S40袋澗道の駅まで1kmの表示があり、バス待合所の近くにある今は使われていない船揚場前に有るが波消ブロック投入され岸側は埋没している。『積丹半島の袋㵎』調査の頃と比較すると澗の水深は保たれているようですが、西側の堤は3分の2程の高さになりコンクリートの防波堤に組み込まれている。東側の堤は2段ほど残っている部分もある。S40b号袋澗とS40c号袋澗がS40号袋澗に隣接していたようだが、消波ブロックに埋没したのか痕跡も確認できない。◇築年月:大正元年前 ◇所有者:北海道拓殖銀行 ◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字赤石村大森 ◇G.Maps:43.161986, 140.391384

S41袋澗MAP

S41袋澗かつて船揚場として使用されていたようですが、今は降り口にも消波ブロックが積まれ陸側は完全に埋没している。外防波堤から港口、東側の堤はコンクリート化され東側外の一本堤は先端部が洗い流されている。袋澗の全体像は想像できるが袋澗という雰囲気はあまりない。◇築年月:大正元年前 ◇経営者:橋村定助 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村赤石 ◇G.Maps:43.160784, 140.395743

S42袋澗橋村の澗MAP

橋村の澗陸とほぼ並行に外側の堤が残っているが、全体的に堤の上が削られ低くなっている。乙と丙の間に溝石が見られるが袋澗の半分は波消ブロックの投入で埋没し『積丹半島の袋㵎』調査報告が無ければ全体像は想像も出来ないが、この袋澗は報告書とは少し異なっているようです。◇築年月:不詳 ◇経営者:橋村定助 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字赤石村 ◇G.Maps:43.160375, 140.396919

S30袋澗跡1 S30袋澗跡2 S30袋澗跡3 S42袋澗:橋村の澗1 S42袋澗:橋村の澗2 S42袋澗:畑澤の澗3 S13b:袋澗跡1 S24:袋澗跡1 S24:袋澗跡2 S24:袋澗跡3 S24:袋澗跡4 S41:袋澗跡

S47袋澗畑澤の澗

畑澤の澗半分以上が消波ブロックに埋没し袋澗の全体像が想像できないが、陸地と平行に堤が残っている。一部の堤は基部がコンクリートで上部は石積という他とは違う造りで、築年代は不明だが比較的後年に改修されたのかもしれない。埋没を免れた澗は礫で浅くなっている。◇築年月:不詳 ◇経営者:畑澤要七 ◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:放置・無利用 ◇所在地:神恵内村大字赤石村 ◇G.Maps:43.153745, 140.408318

S48袋澗出町の澗MAP

出町ノ袋澗複合ハコ型の袋澗で長さ100mとされ現存する規模としては積丹最大と言う。五段の堤体は薄めで造りは良いも天端部の崩壊が始まり、波をまともに受止める石垣は崩壊しているも神恵内村に残る袋澗遺構としては良い方にはいる。神恵内村赤石の有力親方で道議会議員であった出町初太郎氏が明治末に築設した出町袋澗は建設費3万円(今の貨幣価値では3億くらい)と云い『積丹半嶋袋澗調査圖』によると澤口の澗(S49)に次いで高額という。大正から昭和前期の鰊水揚げは泊と神恵内で道内全体の6割以上というのでその繁栄ぶりがわかります。ニシン場の親方というのは成功すれば億万長者、失敗すれば夜逃げとなることも・・ ◇築年月:大正元年前 ◇経営者:出町初太郎 ◇堤構造:間知練積及場所詰 ◇澗利用:一部船揚場 ◇所在地:神恵内村大字赤石村 ◇G.Maps:43.149315, 140.415269

S48:出町の澗1 S48:出町の澗2 S48:出町の澗3 S48:出町の澗4 S48:出町の澗5 S48:出町の澗6

S49袋澗澤口の澗MAP

澤口ノ袋澗とキス熊一際目立っている奇岩のキス熊の横にかつて設置されていた説明板によると、古宇場所請負人の雇い人だった沢口庄助氏が独立し漁場を経営(古宇場所の下請け?)した。既に安政5年には鰊建網を経営しこの袋澗(初めは岩場を切り抜いた簡単な構造だった)に水揚げしていたという。後にこの袋澗が道内最大となり建造費も積丹では最大と云い、相当な広さがあり並の袋澗ならば2~3個すっぽり納まる規模というが、今はそれほど大きくは見えないもキス熊が良い目印になる。澤口の澗の中で比較的保存状態の良いのはキス熊のある澗で熊岩側と陸側の石垣は保存状態がよい。キス熊岩から伸びる堤は天端部の崩壊が始まり水路を挟んだ外側の堤と東側の堤と澗を仕切る陸側の堤はコンクリートで補強されている。◇築年月:詳細不詳 大正11年に拡張 ◇経営者:澤口庄助 ◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村 ◇G.Maps:43.147101, 140.419667

S48:出町の澗7 S48:出町の澗8 S49a:澤口の澗1 S49:澤口の澗2 S49:澤口の澗3 S50b:澤口の澗4

S50袋澗澤口の澗MAP

澤口の澗袋澗の半分近くが波消ブロックの投入で埋没したが、埋没を免れた部分の堤は崩壊し一番下の石垣が残るだけで、澗内は埋まって浅くなっている。波消ブロックの陰になって道路からは見えないが袋澗跡というのはよくわかります。この袋澗近くの陸側に鯡を加工するのに使用した大釜と煉瓦造りの煙突が立っていて当時の雰囲気が残っている。◇築年月:大正元年前 ◇経営者:澤口庄助 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村 ◇G.Maps:43.145755, 140.421593

S42袋澗:畑澤の澗 S49:澤口の澗1 S49:澤口の澗2 S49:澤口の澗3 S53袋澗1 S53袋澗2

S53袋澗

S53袋澗の護岸堤?竜神岬の近くの小トンネル近く外にある袋澗跡。防波堤の一部が2箇所現存し片方は間知石、もう片方は布石が使われている。道の行き止まりから海岸を徒歩で行くか、釣り人が平盤使に出る時に利用する竜神岬に行く踏み分け道で。途中から海岸に降る(海岸に下る踏み分け道がある)かになります。◇築年月:明治末□頃 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村 ◇G.Maps:43.138468, 140.428925

S54袋澗木下の澗MAP

木下の袋澗 『積丹半島袋澗現況調査』の時は現役の船着場というだけあって世界遺産クラスとも云われ、産業考古学会推薦産業遺産に選定された頃に撮影された写真が北海道文化遺産データベースにあるが、セメントの寿命(当時のセメントは80年とか)を越え、どの袋澗も急速に崩壊が進んでいるという。S54号袋澗は竜神岬下の小湾にあるハサミ系の構造で縦横20mの堤体と切澗共によく残っているが、沖側に出ていた堤は殆ど形を失い縦横の堤はともに石積堤の最上段は崩壊し部分的には其の下の段と天端を欠いた状態で悲惨な状況。それでも積丹半島に残された袋澗遺構では旧状を良く維持しているほうです。国道からは見られず歩かなければならないが岬の神社に行く踏み跡程度の道しかないので行くならば草の伸びる前が良い。◇築年月:大正6,7年に改築 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村 ◇G.Maps:43.136312, 140.427724

S56,S56b袋澗MAP

S56b袋澗跡国道229号尾根内橋のかかる湾内で橋より陸側にS56b袋澗の堤が部分的に残り、切澗は湾頭側から土砂に埋かけている。S56の堤部分はコンクリート化されて痕跡は殆ど無くなっている。旧道に進んで見る方が恐怖感はないが・・すぐに行き止まり、季節は早春がいいかもしれません。この辺は神恵内随一の景観を誇る場所です。◇築年月:Bは大正3年改造 Aは大正6年改造 ◇経営者:田中已之松 ◇堤構造:間知石練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村尾根内 ◇G.Maps:S56 ◇G.Maps:S56b

S57袋澗MAP

S57袋澗魚谷大橋の架かる湾内で橋より少し海側に見える。堤は国道と平行に部分的に残存し残っている切澗の中に倒壊した堤体が沈んでいる。石枠の箇所は破壊されたが床掘りと柱の跡が見えるが肉眼で見るのは難しいが、橋の上と弁財澗パーキングより部分的にみえる。◇築年月:大正年代 ◇経営者:武井富男 ◇堤構造:間知練積及石枠 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村魚谷 ◇G.Maps:43.128135, 140.440035

S58袋澗

S58袋澗跡祈石大橋の架かる入り江の山側にあり、石垣がわずかに残る程度。向かい合うように対岸にも護岸の石垣が残るが、高さのある橋から見るので時には恐怖感が先立つかもしれません。怖い思いをして無理して見るほどの遺構ではないので景色を楽しみましょう。◇築年月:不詳 ◇経営者:小倉十兵衛 ◇堤構造:間知練積堤及石枠 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村祈石 ◇G.Maps:43.125205, 140.443729

S59袋澗MAP

S59袋澗跡祈石大橋の架かる入江にありS58と橋を挟んで神泊大橋よりに根石だけの石垣が並び切澗の形から袋澗の形状が想像できます。隣の神泊大橋の架かる入江にはS60号袋澗跡があり痕跡は少ないも切澗で袋澗と分かりますが、偏光グラスでないと水面下の状態は見えないかもしれません。神泊大橋と祈石大橋の間で海側の崖上に大正11年に開通の泊村~神恵内村間の道路開通記念碑があり、説明板に大口寄付者の名前が記されている。寄付者の中に泊村は人達も含まれているが、その殆どは神恵内でも袋澗を築設していたニシン場の親方達でした。◇築年月:不詳 ◇経営者:金澤郁蔵 ◇堤構造:間知練積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:神恵内村大字神恵内村小祈石 ◇G.Maps:43.124319, 140.442386

S54:木下の澗1 S54:木下の澗2 S54:木下の澗3 S54:木下の澗4 S55:袋澗跡1 S55:袋澗跡2 S56:袋澗跡 S57:袋澗跡1 S57:袋澗跡2 S58:袋澗跡 S59:袋澗跡1 S59:袋澗跡2

☆更新情報など☆

 コンテンツのメニュー、レイアウトの変更。

横走り pagetop  戻る  先へ

北海道・番外編

rss10 rss20
アウトドア市場
ムラウチ
まち楽

twitter

サイトバナー

道北の釣りと旅-baner-1