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稚内市と宗谷に伝わる昔話とアイヌ伝説‼

抜海岩に関する伝承話

第1話
『 昔、ここに非常に仲のよい若夫婦があったが、ふとしたことから夫婦喧嘩をし、夫は他の女と船に乗って宗谷海峡の方へ行こうとした。それを見ていた妻は、抜海岩に登って、天に向かって、海が荒れるように嘆願した。すると大暴風が起きて、二人の乗った船はたちまち波に呑まれて二人は死んでしまった。それ以来この岩に登ると宗谷海峡が荒れて犠牲者が出るといわれていた。(加藤彬輯)』
第2話
『 昔、天塩アイヌと宗谷アイヌの戦いの時の事である。天塩アイヌが礼文アイヌに応援を求めた。礼文アイヌは海を渡ってかけつけたが、戦いは一進一退であった。礼文アイヌは帰国のため抜海から船出しようとしたが、暴風にはばまれ長い間の滞在を余儀なくされた。一人の礼文アイヌの若者がここのメノコと恋仲となりついに子供までできた。しかし若者はある夜ひそかに二人を残して礼文に帰ってしまった。裏切られたメノコはこの岩によじ登り、若者の名前を呼びつづけ、子供を背負ったまま岩になってしまった』※抜海岩に関する伝承には二通りの話がある。抜海の地名は古くは秦億丸、上原熊次郎、松浦武四郎の記録に有るが上記の伝承は触れていず、本来はもっと単純な話で和人による脚色は有りそうだが、当地の漁師は是を信じていて抜海岩に登る事は固く禁じていたと云う。武四郎の記録から『大なる丸き石の上にまた三囲位の丸石有り是二七五三をはりエナヲをたてまつる也』とアイヌ信仰の神聖な場で有った。アイヌ語地名は「カムイミンタラ」でご覧ください。「カムイミンタラ公式サイト

抜け出した利尻山 龍神沼伝承話

『エナヲトウゲに至るや神沼(カモエトウ)、周り8丁、リイシリの島は是より抜け出たと云て、土人(アイヌの人達)至て尊信して、エナヲを指して通る』またカモヱトウという沼があって『是は利尻島の山霊の神水と申し伝うなり』また『カムイトウといえる沼有。此長三丁ばかり巾一丁ばかり。岸には蘆萩生茂り中程にいきて深し由、夷人(アイヌの人達)共決して此水を飲事を禁ずる也・中略・又小魚有る由なれども、此沼はリイシリの霊神の御手洗なりて捕る事なし。これを恐れ崇むること甚だし』松浦武四郎の日誌※沼は稚内市の坂の下に有り今は「龍神沼」と呼ばれ利尻山が沼に映り込む。現在も龍神信仰があり坂下神社社殿が沼の側に有ります。

みさき神社の御神体伝承話

『豊魚石大名神という有。その大きさ三尺くらいの堂の中に有るなり。往昔海岸に打上がる故、沖ヘ持行投たりしが、またその夜爰に来たりしと。依りて小社を立て安置したるが、その年より此処鮭の大魚せし故、神に祭るとかや。然るにこの石段々大きくなりて、今は堂一杯になりしと。元は一升徳利位の物なりしとかや。実に不思議なる事なり。乙名史郎治申口』松浦武四郎・西蝦夷日誌
「投げてもまた寄ってくる事が四五度にして不思議に思い、当所の土人(アイヌの人達)小社是に安置・・・3年ほどして石の大きさが倍になりいよいよ心霊有る事を知りて崇神する」松浦武四郎・戊午日誌※最初に記録されたのは安政5年の「戊午日誌」と細野五右衛門の「西蝦夷地地名附」でありその後の伝承話の原型となっている様で武四郎の記録以来5つの伝承話がある。和人が後に是を信仰する様になり新たな伝承話が出来た様に思える。別名「おがり石」は石が大きくなった事からの様だ。

ヤムワッカ番屋の由来 稚内原名

『此処の名義は住昔度々幽霊此処え出たるより号るとかやシリクランとは暗闇に極わろきものが出る義を云。エンルンは岬の事なり。然し敢えて幽霊と云うものに限らざるよし』中略『此処の番屋を通称ヤムワッカの番屋と称し、また傍に土人村(アイヌの人達)有りけるが、是をヤムワッカ村と云えり。その番屋有る地をシリクラエンルンといえども、その名あまり不吉なるによってヤムワッカと称し来る也』『シリクラエンルン此処船幽霊が出る義』松浦武四郎の日記※観光協会などでは絶対に見られない曰く付きの伝承話。シリクラエンルンは現在の稚内港付近の事。

声問のチドカンウシ伝承話

『昔大洪水があって、二日二晩この地帯一面洪水に洗われて、付近のアイヌコタンがほとんど全滅し、この山も僅かに頂上の部分だけが水から出ていたので、一人のアイヌがそれを見て、その山頂めがけて毒矢を射かけたところ、矢が山頂に命中するとたちまちのうちに大洪水がひけてしまったという』奥野清介・伝説と異談
『洪水のときこの山の頂だけが、僅か射石ほど水の上に出ていたので、チドカンウシと名付けた』永田方正・蝦夷語地名解※稚内の声問川筋にチドカンウシという山がある。「我らがいつも矢を射るころ」「chi-tukan-us-i」という意味ですが松浦武四郎の日誌にはない地名。

カムイシャパの大亀伝説

『その名は神頭という』松浦武四郎の西蝦夷日誌
『此処少しの岬平山也その上に木幣が立リ』蝦夷日誌
『神の酋長、古ヘ亀来たりし事あり故に神の長として之を祭り木幣を立てたるところ』蝦夷語地名解
※亀に関する伝承はオホーツク海では少ない。亀は海を支配する神とか海を支配する長老とも言うとの事で、神話とのつながりが深い生き物という。ただ亀をカムイシャパといういうのは他では聞いた事はなくオホーツク方面の言葉なのか。枝幸町にも大亀伝説が残されている。

源義経試し切りの岩伝説

『昔源義経がのがれのがれて、ついにこの蝦夷の最北端まできた。見るも哀れな姿であった。コタンの人々は「あの刀も使いものにならないだろう」と云う声を聞いた義経は、やにわに腰の大刀を引き抜き、そばの大岩めがけて切りつけた。不思議な事にさながら大根でも切るが如く、この大岩はパクリと口を開いて二つになったと云う』
宗谷岬近くの第一清浜(オンロコマナイ)海岸に大きな岩が、さながら刀で二つに切られた様な岩があったと云うが、その岩は港湾工事でなくなってしまったという。

サルウンクルナイ (柵内)

『サルはシャリといふ事。ウンクルは人なり。昔シャリ場所の夷人来て此所に居たる故』『舎利土人昔合戦して多く死にたりと云り』松浦武四郎・西蝦夷日誌。
『宗谷のアイヌ云う。昔サルのアイヌ此所に兵を伏し出でて宗谷のアイヌ伐ちしと云う。然れども史に拠ればサルアイヌ魯人を伐ちソーヤアイヌを救いたることある』永田方正・蝦夷語地名解
宗谷アイヌと戦ったのは史実にあるメナシ(根室納沙布と霧多布連合軍)アイヌとの抗争と思われ、シリウスと混同しているのでは?

カネクロ沢の不動の水伝説

『江戸時代、宗谷のコタンに大変親孝行なオキミルクと言う娘がいました。早くに母を亡くし、目の不自由な父親と弟達と暮らしていました。働き手の父の目が不自由な為、彼女は朝から晩まで、一生懸命働き一家を支えていました。その頃、和人が建てた宗谷厳島(いつくしま)神社がたいそう御利益が有るという事を耳にした彼女は「和人もアイヌの人間も、神様は差別なさるまい」との信念で、父親の病気の回復にお百度参りの願をかけました。コタンの中には和人の神社に願をかけるオキミルクを白い目で見る人もいましたが、熱心な彼女に次第に応援するようになりました。満願の日、最後の祈願を終えて眠りについた彼女の夢枕に天女が現われ「カネクロ沢の清水(しみず)で目を清めよ」と告げました。夜が明けてカネクロ沢を探し当てたオキミルクが清水を持ち帰り父の目を洗うと、一夜の内に視力が回復したのです』 ※カネクロ沢の伝説は何話も有るが古い「北海道の口碑伝説」では和人伝説でその後脚色されたものか・・この話は数少ないアイヌ伝説という形だが、アイヌの文化神であるオキクルミの名をオキミルクと変更、性別も意図的に女性と変えたとしか思えない内容。アイヌ文化神のオキクルミやサマイクルが普通の人として登場するのは、アイヌ支配のため意図的な信仰操作があった疑念をいだかせ、カネクロ沢の伝説はその代表的例なのかも。このような伝説は伝承者不詳というのが多い。伝説の舞台となったカネクロ沢は、宗谷と富磯の中間にあり、大きな説明板が設置されている。

宗谷岬の石 弁天岩

『宗谷岬の灯台より0.5kmほど稚内よりの陸と海の中に二つの石がある。沖の石には10cm四方位の綺麗な模様と、縄の切れた様な形がついている。この石は文化神サマイクルの本妻で、模様の様に見えるのは宝物を入れる箱で、サマイクルと喧嘩をして家を出て行く時に、入口で躓いたので箱をしばっていた縄が切れたのがそのまま石になったのだ。どんなに海が時化てもこれが動かないのは、いらい神様と関係のある物だからだという事だ。陸の方の石がサマイクルの妾だ』野沢和助老伝
『沖の方にあるのがおやじで、丘の近くにあるのが嬶(かかあ)だ、背中のところがかけている、小さい石が首飾りなど入れる箱だ』柏木ベン姥伝※これは典型的な伝承といえるようです。

時前サカズキ伝説

宗谷より猿払側に寄った時前にある萌間山の伝説です『時前という所があり、トキマイ原野やトキマイ川というのがあって、ここには杯をふせたような形の山がある。トキマイはドキモイワという事で杯の小山というのであるが、ドーキオマイであるという説もあり、これは杯を忘れた山であるという伝説である。昔、この山でコタンの人々が宝物の杯を持ちよって、酒盛りをやったことがあったが、あまり愉快に飲んだためについ大酔いして皆杯を忘れて帰ったというのである』奥野清介・伝説と異談/永田方正・蝦夷語地名解より。最も古い記録は松浦武四郎の日誌。

東風(やませ)石」というアイヌ伝説t

1話をそのまま
『ピリカタイという所に住んでいた若いアイヌの夫婦があった。或る年その夫が酋長の魚場に雇われて働いているうち、酋長の娘と恋仲になり、二人はしめし合わせて樺太へ渡ろうとして小舟に小さな帆をつけて逃げ出した。ところがピリカタイにいた妻がそれを発見して、夫の名を呼びながら磯づたいにオラムナイの方へ追っていったが、舟と陸ではなんとも追いつく方法がなく、悲しみのあまり子供を抱いてオラムナイの海に投身してしまった。すると今まで吹いていた追風の東風がぴたりとやんでしまい、舟は思うように動かなくなってしまったので、「ヤマセ、ヤマセ」と二人は東風を呼んだが、逆に西の烈風が激しく吹き出して大波が逆巻き、小舟の姿はたちまちその波間に呑み込まれてしまった。その翌朝、オラムナイの河口の沖に二つの大きな岩が現れ、海岸にも子供を抱いたような石が現れた。そして沖の石は風が吹き出すと「ヤマセ、ヤマセ」と呼ぶことがあるという。それで沖の二つの岩は身投げしたメノコの夫と酋長の娘が岩になったのだといい「ヤマセ」と呼ぶ声がするので、一つを東風(ヤマセ)石といい、一つを女郎岩と呼び、磯にある石を子持岩と呼んでいる。(北海道庁編「北海道の口碑伝説」)』
『この物語には二通り有ってひとつは妻子有るアイヌ青年とオランナイコタン酋長の娘と恋仲となり、ある日有小舟で樺太に逃避行を企てた。それが妻の知るところとなり、妻は子を抱いたままその船を追って狂気如く海岸を走り回り「ヤマセよ吹け、ヤマセよ吹けと叫んだ。にわかに暴風雨となり海岸の妻子は大岩小岩となり、沖の船も岩になったと云う。もう一つは北辺警備に来た奥羽藩士とピリカメノコの恋愛物語でこれも一緒になる事は出来ず石になってしまう悲恋物語』
宗谷岬近くの第2清浜はアイヌ時代はo-ram-nayオラムナイで川尻が・低くなる・沢という意味でした。海岸の磯岩に「宗谷の東風(やませ)石」というアイヌ伝説の石が有り稚内市のホームページに紹介されているが全部で8話有り原型が良く分からない。ここでは要約したのと、物語の1話を紹介した。完全な創作民話も含まれ、中にはダリアの花が登場する話もあり、あまりにもお粗末。

オニキリベツ川 シリウスの伝説

此の伝承も数話有るが一番簡潔なのを紹介『大岬はその昔シリウスといった、シリウスの東端を流れる川がある。昔、鬼山(現在の丸山)に鬼が住んでいて、毎夜シリウスに現れてはメノコをさらった。コタンの若者はある日、大挙してこの鬼を退治する事ができた。鬼を切った血は川を流れ、川の水が真赤になったという。以後この川をオニキリベツ川というようになった』と。ここで云う鬼はロシア人か?サルウンクルでの「サルアイヌ」はこの時に応援に来た部隊と、メナシとの抗争が混ざって伝えられている印象が有るが単なる語呂合わせとも受け取れる。

龍神島とサマイクル伝説

竜神島は後世の命名で本来はチシヤと言う様ですが、ポンモシリとも呼ばれた様です。此の知志矢に関する伝承が松浦武四郎の西蝦夷日誌にあります『チシ崖下本名 チシヤにて泣と云事。昔此辺ヘ大魚来りしを、毎夜変化者取去りしと。(魚を奪われ土人泣たる所へ)シヤマイクル来り大なる石を投入て、変化の者を追ひしより号。又一説チシは高き事ヤとは岡とも云。前にポンモシリと云島有を号とも云』アイヌの文化神サマイクルはアイヌ神話に登場する神で、力は強いが技能、智恵に劣る神、オキクルミは知恵有る正義の神だが、日本海やオホーツクではこの関係が逆転している。

稚内声問・サマエクルなるもの

『北見国宗谷郡声問村アイヌに関する記事。昔サマエクルなるもの(小人又コロポックルと云う)ありて、手や口に刺青を為すことをアイヌに教えたりと、されど見たことはないという』稚内市史

チルライトとコロポックル伝説

『天明の大飢饉の折、餓死寸前となった宗谷アイヌの家に夜ごと食料を投げ込む者がいた。ある夜この者の腕をつかんで引き入れてみると、赤ん坊のような声を出しざんばら髪で口や手首の回りに入墨をした1m位の裸の女の小人であったという。姿を見られた小人は、それからいずこともなく消えていって、再び姿を見ることがなかったという。コロ(蕗)ポ(下)クル(人)と名づけられ、今は伝説となっている』奥野清介・伝説と異談より『宗谷岬からオホーツク海岸を少し北見の方に寄った、宗谷村泊内の近くにチルラトイという土山がある。チルラトイとは、吾々(チ)が運んだ(ルラ)土(トイ)という意味になるが、昔ここにコロポックルが住んでいて、ここに土を運んで砦を作り、戦争をした所であるという』永田方正・蝦夷語地名解より。

宗谷のコロポックル伝説

『北海道にはコロボックルといって敏捷で漁狩猟の技術に優れた背丈の小さい人たちが住んでいた。そこへアイヌがやってきた。コロボックルはアイヌに鹿や魚を分けてやったが、姿を見せるのをいやがった。アイヌの男達は色白で美しいコロボックルの女をさらったのでコロボックルはある夜、遠いところへ去っていった。アイヌの女が口元に入墨をするようになったのは、コロボックルの女を真似たものである。』J.セーリス・日本渡航記 ※1610年代に採録された話の様です。北海道庁編・北海道の口碑伝説と小人の身長以外は内容的にそれほど変わっていない。

宗谷 情けないトドの話(仮タイトル)

『昔ポノサマイクルという神がいた。このポノサマイクルがある日外にでるとサンナイの沖の島にトドが上がっていた。そこでポノオキキリマとともに船を出して、立派な銛に丈夫な柄と綱をしっかりとつけ、サンナイの島に船を漕ぎ進めた。ポノサマイクルは島影から忍び寄り大きなトドに銛を投げつけ、しっかりと両手で綱を握った。ところがトドは七日七晩も海上を北から南へ、南から北へと船と一緒に二人を引きづり回したが、トドは少しもへたばらない。ある日トドがそっと水から顔を上げて二人の様子を見ると二人とも腹がへっていることがありありと顔に出ていたので、「今に見てろ」とトドはまたも水底深く潜って走りに走った。ポノオキキノマはついにたまりかねて「網を切るべ」と言い出したが、ポノサマイクルは「いやここで負けてなるものか」と、手を血だらけにしながらも歯をくいしばって、なおも綱を放しそうにない。しかしポノオキキリマが終に倒れてしまったので、ポノサマイクルも仕方なく綱を切って、「ヤイ憎いトド奴、お前はただの人間だと思って我々をひどい目にあわせたが、今に見てろ、お前の身体に刺さっている銛の木はノリキリだし、綱はイラクサだから、二三日するとお前の身体にはノリキリやイラクサが茂って重くなり、だんだんと重くなり泳ぐこともできなくなる。そのうち銛の柄のシウリが林になって、全く泳げなくなるぞ。そして夜昼七日の大時化にあって山と淵の間にながされ、波打際により上がって腐り、小島になって大きくなったノリノキやシウリを伐りに来る男たちや、イラクサを苅りに来る女たちに小便をかけられて、ひどい臭いめにあうぞ」といって山に行ってしまった。「何をたかが普通の人間のいうことが」トドはたかをくくっていると、二、三日すると時化が来て、いわれた通り浜により上がって腐り、その上にノリノキやシウリが大きく伸び、イラクサが茂り、それを採りに来る人間に小便をかけられ、情けないめにあった。だから人間だと思ってバカにするものではない。と大トドが語った』宗谷・伝承者不詳・更科源蔵・コタン生物記Ⅱより。

宗谷 ウサギの話(ウサギの生胆)

『天気がよいので兎が浜に出て長い後足で砂浜を駆け上がったり駆け下りたりして遊んでいた。みると海岸にまるで縄でも綯ったように、海馬が沢山休んでいる。兎はからかってやろうと海馬の背中にポンと跳ね上がったが、海馬は一向に動こうとしなかった。兎はいい気になって列んでいる海馬の背中をぴょいぴょう踏みつけながら、だんだん沖の方に行って、沖にいる一番大きな海馬の背中に飛び乗った。するとそれまでじっとしていた海馬がむっくり起きて泳ぎだし、他の海馬も皆一斉に沖に向かって泳ぎ始めた。そして大海馬の言うには「馬鹿な野郎だ、アトゥイコロヘンケ(海亀)の妹が病気になって、兎の胆が一番よく効くといって探しているので、俺が仲間を連れて浜に探しに来ていたのに、うまくひっかかったなー」ということであった。とんだことになったと思ったが兎はしらっぱくれて、「それはせっかくなのに気の毒なことをしたな、よい薬になる胆は山の木の枝に乾かしておいて、今持っているのは薬になんかならないつまらない胆よ」といった。海馬はがっくりして「そうか、それでは何にもならない、ではもう一度浜に戻るから、山に乾かしてあるよく効くのをとってきてくれないか。」そういって海馬はまた浜に引き返した。ポンと海馬の背中から陸に飛び上がった兎は、ぴょんぴょん跳ねながら大口をあけて笑いこけ「バカ野郎、どこの世界に胆を二つも三つもあるものがあるんだ」といったとさ。』更科源蔵・コタン生物記Ⅱより。※日本の昔話にある「猿の生胆」とよく似ているとか。

稚内のアイヌ伝承など雑感

史実に残るシャクシャインの戦いと宗谷アイヌとメナシ(根室納沙布と霧多布連合軍)アイヌとの抗争以外では、管理人には資料もなく殆ど判らないが伝承話だけでは説明不可能。アイヌ社会が本格的に商業資本に組みこまれて以後コタンは疲弊、崩壊の一途を辿り、組織的な内部抗争や反抗をする力はなかったと思われる。老婆イヌフミの占いというのが夷人俗話という中に有る。知里博士は「それの音を聞くと」説明されているが、面白いのは人が海になったり山になって占う事だ。海や山を本来人間同様に考えられていたから出来たので有ろうとも記されていた。それが驚くほどに言い当てたとの事である。

伝承や伝説にある原文の「部落」と言う言葉は「コタン」に変更した。

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