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苫前町を巡る旅

苫前町の史跡と古丹別&悲劇の舞台・三毛別

□ 庄内藩陣屋跡 (史跡)

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増毛の秋田藩陣屋跡や浜益の庄内藩陣屋跡とは違い痕跡すら残されていない殆ど忘れ去られた史跡で今は標柱が有るのみ。陣屋跡は古丹別川に架かる苫前橋から苫前方面に350m程進んだ所で左折、道はまもなく分岐するが更に左折し河口側に向かう道を進むと右側に陣屋跡の標柱あり、陣屋跡と云うからには砲台跡が近くにあっても良さそうだが・・・
◇N○°○’○” E○°○’○”

□ 苫前町水田発祥の地碑

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国道232号を留萌から北上、古丹別川に架かる橋を越えてすぐ右側に大きな石碑と「苫前町水田発祥の地」と書かれた木碑が建っている。苫前農業に多大な功績を残した先駆者として藤田万助翁の没後13年祭に当たる1907年に「水田発祥の地碑」を古丹別に建立、1984年には古丹別川が見える現在地に移設したもの。藤田万助翁は岩手県盛岡生まれの人で36歳の時に北海道に渡り、各地を渡り歩いた後苫前の地に越を据え明治17年より水稲を試作し試行錯誤の後、明治23年に収穫を得、苫前地方でも稲作が可能な事を証明。当時は札幌近辺でも稲作の試作段階であり、苫前で稲作に成功した事は北海道の稲作史上画期的な出来事。
◇N44°16’42.8” E141°39’29.8”

□ 古丹別と松浦武四郎

苫前市街付近の古い地名は「エンルンヲマナイ」と云い、天明5年に苫前場所を開設した時に「トマオナマイ」に居住するアイヌを移住させ、運上屋に元アイヌ居住地の名前を用いた事が苫前の由来。トマオマナイは今の古丹別川の事、「コタンベツ」は「かつて村のあった川」と云う事で、かつてアイヌが居住していた古丹別川沿いの広い地域を意味している。武四郎は弘化3年に初めて苫前を訪れ宿泊、その後は安政3年、安政4年(天塩内陸踏査の往復で2回)、安政5年は苫前に一泊した翌日古丹別川を遡り、イシカルンクシナイに止宿(現在の岩見付近)。踏査後コタンベツ(ここで云うコタンベツは河口付近)に戻り、当時一軒しかなかったセフヌンケ宅(古丹別川の渡し守)に宿泊。その夜は酒宴を催し大いに盛り上がった。古丹別の踏査と宿営、アイヌの強制移住と地名の変遷については「戊午東西蝦夷山川取調日誌」にも書かれている。他に近世アイヌ人物誌に苫前のアイヌが二人登場する事を添えておく。

□ とままえベアロード 熊嵐の舞台

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大正4年12月9日、六線沢で起こったヒグマの悲惨な事件は、のちに吉村昭氏の小説『熊嵐』となり後に映画化されて全国に紹介される。惨劇のあった現場は開拓者の住居やヒグマの越冬の穴までも含めて当時のままに復元。苫前の隠れた人気スポットだが、現地は山奥で今にもヒグマが出現しそうな雰囲気。途中の三渓神社に慰霊碑が有る。
◇N○°○’○” E○°○’○”

□ 古丹別緑ヶ丘公園

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緑ヶ丘公園には約1500本のソメイヨシノが咲き乱れ、初夏はツツジが咲く管内随一の桜の名所。周辺には、スポーツセンターや温泉、食堂もある。古丹別は熊嵐で有名な三毛別に向かうベアロードの入口になります。華やかな海岸に隠れて目立たないが、隠れた人気のスポットといえる。

□ 古丹別温泉 ななかまどの館

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苫前町には内陸部に入った古丹別温泉『苫前町住民センターななかまどの館』は年季の入った温泉で宿泊もできる。広い浴室には、広い主浴槽とサウナ、水風呂がある。単純鉄冷鉱泉の小さな浴槽は昔のような強烈な温泉では無くなったが貧血の方には効果有りそう。ロビーには巨大な木のコブとアンモナイトの化石を展示している。◆苫前町字古丹別171 TEL:0164-65-4351

□ 岩見の一本松 町指定天然記念物

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前町字岩見にあるイチイの巨木で推定樹齢は800年、樹高12m、幹直経1m、幹の周囲は3mを超える。イチイとしては若輩者だが千年を超えるイチイが持っている風格を備えている。北海道の記念保護樹に指定されている。
◇N○°○’○” E○°○’○”

□ 古丹別川水辺の楽校(旧三日月湖)

国土交通省の水辺の楽校プロジェクトを利用して整備されたが特別な施設はない様子。ただ三日月湖(古川)など水辺に容易に近づけるので野鳥観察などには良いかも。

苫前町の自然と景観スポット・ミニギャラリー

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