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留萌市~初山別村に残されたアイヌ民族の伝説‼

留萌のコロポックル伝説

『チャシコトンナイ比処干昔小人シマノ住ミシト云城跡有。方二丁四方位土垣有中折々土器古キモノ出ルヨシ聞ケリ』松浦武四郎・再航蝦夷日誌『此処昔合戦有時柵結跡也』松浦武四郎・西蝦夷日誌※チヤシウンナイチャシコツは留萌市のオンネナイに現存する遺跡の一つ。伝説では昔コロポックルが築いた砦であり、しかも戦闘があったと書いてある。留萌管内では天塩にもコロポックル伝説があったようです。この地域では小人島という表現で出てくる。

留萌の半神半人

『昔留萌にシリマオッテという大柄な半神半人がいて、嘴細カラスのカララッと狐と海中の妖怪であるコシンプイとを妻にしていたが、このシリマオッテが毒殺されたとき、彼の妻であったカラスと狐とコシンプイが人間に化け、一人は毒消しの薬を与えて祈祷し、一人は笹の葉や松の枝を束ねた手草で身体を清めたので、ついにシリマオッテは生き返ったが、毒のため身体が溶けてしまったので、大男のシリマオッテは小さな男になってしまった。』吉田厳・人類学雑誌・更科源蔵編・アイヌ伝説集

インカルウシ

『昔蝦夷乱の時、此上へ上り、物見せし故号くと。』松浦武四郎・丁巳日誌※今はキャンプ場の有る所で岬の先端部に遺跡が有る。ここからは雄冬方面が一望出来る。

苫前町力昼のチャシ跡

『チシヤ 此上に小人島の土塁跡というもの有。其跡四方に土居有。その中に陶器の古きもの多く有る也。』松浦武四郎・蝦夷日誌※ここではチャシ跡がコロポックルの住居跡とされていた様です。

苫前町の義経

『トママエの長イソマルケという者、シャモよくウキクルミを義経サマ、シャマユクルを弁慶サマなどという。されど我が古老に聞し所と異なり。聞く所のことは、二人は兄弟にして共に此島に生たる人なり。亦二名は一人にして、所により其称かはるといふ説おも伝ふ。終に北の方海を渡りてシャモの国に入給ひしというと』最上徳内・渡島筆記・因幡勝雄編・アイヌ伝承はなし集成より※部分的な抜粋だが十勝や宗谷に有るコロポックル伝説の最後の部分とよく似ているのに驚く。

燒尻島漂着伝説 (羽幌町)

『昔、千歳の山の中で大陥没が起きて、そのあとに一夜のうちに大きな湖ができた。その時の激動で太平洋に大津波が起き、千歳附近はその津波のために洗いさらわれたが、千歳神社のところにあつた山が津波のために切れて流され、海に漂い出て、流れ流れて、ついに遠く天塩の海中にまで行つて止まつた。それが今の焼尻島であるという。この時山の流れて行つたあとが溝になつて江別川が出来たのであると。』白野夏雲・沙流土人間答の記

ケムンヲマナイ

『此處往古大なる鳥の岩有しが、其見ゆる辺には魚が寄らざりしと。依て是を饑饉の神と言置しが、何時と無く其岩うせ、其後は魚が寄来たりしと言伝へぬ。』松浦武四郎・丁巳日誌※更に古い秦檍麿・西蝦夷地名解では当所で饑饉があって人が死んだのでケムンヲマナイという名がついたとなっていた。

初山別地名伝説

『シュシャンベツ シュとは鍋の事、シャンとは流れ下るといふ事也。当所中川有、以前水上にカムイ住居し所鍋流したりといひ伝ふ。よって名とす。』秦檍麿・西蝦夷地名解※北海道蝦夷語地名解では「魚のシシャモ」となっていた様だが、シシャモはこの辺には生息しないので語源は滝の事と思われる。

初山別村のカムイコタン

『ヲマンパル 当所海岸出岬有。右出岬の内二間四方、奥行二三間位の岩穴有り。蝦夷共右の岩穴をカムイコタン江行道と言い伝う。故に名とす。』秦檍麿・西蝦夷地名解※正確な所はわからないが、今の豊岬付近の事と思われる。話の内容から比布のカムイコタンと同じ地獄穴の事か、それとも金比羅神社の鳥居が海中に有るところは、元々アイヌの人達が天候を急変させる魔神に木幣を捧げて祈願していたというので、魔神の居所なのかも?

初山別村・風連別川

『フウレベツ・水底一帯赤盤也。故に名とす。赤き川という義也。又一説に当川上に赤きカムイ住居せしと往古よりいひ伝ふよし。故に名とすとも云ふ。其以前右カムイ、リイシリよりヲフエニシヤ江渡り、それより当川上に来るともいひ伝ふ由』秦檍麿・西蝦夷地名解※赤きカムイは宗谷の伝説を思い出させる。

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