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レトロな雰囲気満点の小清水グルメ駅舎のひとつで最も斜里よりにある。旧駅長事務室が『ラーメン喫茶・えきばしゃ』となっている。ここでの人気はツーラーメン、ラーメンツーをうならせるからではなく、山盛りの白髪ネギとその下に刻みチャーシューという2つの具材が入った塩ラーメンなので『ツーラーメン』と呼ぶとか。他に激辛ラーメンも。周りの雰囲気からは駅と言われなければ気が付かないかも。
温泉民宿ですが地元の公衆浴場的な温泉で、やはり地元の方がが多いようです。脱衣所も浴室もこぢんまりとしていて多勢で行くには気が引けるが1人で行くにはぴったりの温泉かも。湯温が高めでぬるめが好きな人にはやや辛いかも・・噂道理良く暖まるが。浜小清水前浜キャンプ場の利用なら温泉の選択肢は此処しかない。多勢で行くなら町営のこしみず温泉の方をお勧め。小清水町浜小清
小清水市街地に隣接した広大な園地内には7月中旬から9月中旬にかけて世界中から集められた100品種以上・700万輪のゆりが咲き誇る。香りの違う多彩なゆりが丘陵に色鮮やかに広がり、辺り一面がゆりで覆いつくされているのは壮観です。品種が豊富なので訪れるたびに違ったゆりが咲いているのが嬉しい。公園内の売店では生花の販売や球根の予約販売なども、食堂も有るのでドライブイン代わりに気軽によるのもいい。リリーパークは国道334線沿いに有り国道391線が交差する市街地の丘陵にある。
小清水町の道の駅から畑作地帯を貫き小清水市街に向かう約5kmの直線道路で遠くには知床連山や斜里岳もみえるスポットもある。整然と丘陵に並ぶ防風林が創り出す雰囲気も道東らしいが、小清水町は東オホーツクでは珍しく防風林が良く残されたいる。ただ連作などの関係で畑の全てがジャガイモ畑と言う事では有りません。
オホーツクの村は『小清水自然と語る会』が小清水の美しい自然を守る事を目的にオホーツク海に面した止別川河口周辺の山林原野を購入し、全国から村民を募集しているナショナルトラスト運動を展開中。『オホーツクの村』は小清水原生花園から東へ約6Kmの所にあり、広葉樹の多い村内には、キタキツネ、エゾリス、エゾシカ等が暮らしている。林内には森林性の野鳥も多く秋にはポンヤンベツ川を遡上する鮭などを狙う大型の猛禽類も姿をみせる自然豊かな所で、野鳥観察や森林浴にはもってこいの所でしょう。映画『子ぎつねヘレン』のロケ地のひとつ。
止別のオホーツク海岸に沿って広がる海岸防災林の中にあり、カラマツ林には1.7kmの遊歩道が整備され『森林浴通り』や『海岸通り』等がある。また入り口から170mの所に東屋と見晴台があり、オホーツク海のパノラマ台になつていて他とはひと味違ったオホーツク海が眺められる。1時間もあれば十分に森林浴を楽しめます。
意外とサクラの名所は無くて小清水では唯一豪華なサクラを楽しめる所。サクラは秋も鮮やかな紅葉が期待できるがその期待を裏切らない紅葉を見せてくれる。じゃがいも街道からもみれるので一寸車を止めてみましょう。運がよい人は祭りの御輿に出会うかも。◇小清水町1区 桜ヶ丘団地向かい
古樋(フレトイ)とは古い地名で蒼渭、振問とも書かれたが、今はフレトイ展望台と神社にその名を残すのみ。フレトイには巨大遺跡アオシマナイと同じように古代からの貝塚跡が有ったがその跡も殆ど残っていない。貝塚跡の碑はフレトイ展望台下にある。そんな歴史を秘めた地域の神社で、浜小清水の方にとっては大切な神社でもある。◇小清水町浜小清
有名な小清水原生花園が途切れるフレトイ展望台の手前、T字交差点付近で、国道より一段低くなっている所に石碑と説明版がある。小清水町教育委員会設置の説明板を要約『駅逓は明治19年、網走根室間の道路開通により設置され、塚本命助氏が駅逓取扱人となり、駅逓所属の牧場12万坪で牛馬を飼育していた。駅逓は旅人宿、食糧品取扱を主な業務とし、移住者のための便宜をはかり、北海道開拓の大きな原動力となった。しかし、その後交通の発達にともない、この駅逓も昭和4年に廃止となった』
小清水市街の端、斜里美幌線との信号交差点より市街よりの交差点角地に石碑がある。小清水町教育委員会設置の説明板を要約『この駅逓は明治24年、釧路道路の開通により、半沢真吉が初代取扱人となり開設された。その後竹中安之助が引き継ぎ、駅逓業務の傍、移住者の指導や世話をするなど開拓の礎となった。又、公共施設の設置や分村等の問題は駅逓において協議され、集会場所としても使われたが、鉄道開発がすすみ昭和4年6月廃止となった』
◇現住所:小清水町184番地
国有林の中を野上峠に向かって進んで行くと、道路の右側に一段低い少し開けた草地の奥に人知れず碑と説明版がある。小清水町教育委員会設置の説明板を要約『明治24年釧路道路の開通に伴い、水本栄助を初代取扱人として開設。翌年、塚本伊勢太が取扱人となった。この駅逓は放牧地に恵まれず、川湯、小清水から半日の道程にあったため宿泊客も少なく経営は極めて苦しかった。明治42年、野川~札鶴(札弦)間の開通により下手の分岐点に移転、釧網線全通により昭和6年5月廃止』今は石碑以外に何の痕跡もない。駅逓の詳細な情報は「駅逓を巡る旅」でご覧ください。
◇水上地区野上峠登坂付近
伝説にも出てくるというアオシマナイですが、チャシ跡(砦跡)として二連の濠が綺麗に保存されている。これだけの壕を簡単に見られるのは陸別のチャシとここくらいかな・・・・他にもあるがこれほど気軽にとはならない。チャシ跡の周辺には貝塚が広範囲に分布していたとの事だが開発でかなりの部分は失われたようです。またここでは「鹿送り」が行われていたのではないかと推測されている。浜小清水に有ったフレトイ(古樋)駅逓の最初の名前が確か蒼瑁(アオシマイ)駅逓所だった。
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