後志・檜山エリアを巡る旅
日本海・追分ソーランラインぐるっとプチ旅‼

島牧賀老高原、追分ソーラン奇岩ロード、瀬棚町

本目岬島牧村

本目岬

最初は国道299号沿いの本目岬、小高い山の様に突き出た岬の北側に灯台があり、入り口の本目神社に車を止める小スペースがあり、鳥居の間から上に登る道がついているが、観光用ではないので荒れている。灯台に行くなら草の伸びる前が良さそうだが途中の階段は危険。南側の厚瀬崎を挟んで小湾となりその真ん中に厚瀬漁港があるが周囲に広がる風景はなかなかのもので、灯台の写真も漁港からの方が手軽でしょう。◇撮影地:島牧村港6 ◇N42°44’4625” E140°06’8723”

賀老高原島牧村

賀老高原

島牧には泊川渓谷と河鹿の湯、黄金の湯、カムイ鍾乳洞などサバイバルを楽しむアウトドアエリアには事欠かないが、素人は賀老高原で我慢しましょう(^^; 賀老高原キャンプ場、ドラゴンウォーター、賀老の滝、ブナ林などそれなりに楽しめます。千走川の支流から湧き出ている天然の炭酸水ドラゴンウォーターは駐車帯から案内板に従い河原に下りて進むとまもなくたどり着きます。ただ僕が行ったときは増水で水没気味でした。◇撮影地:島牧村字賀老

"飛龍"賀老の滝 龍神伝説の碑島牧村

龍神伝説の碑

伝説を要約して掲載「寛永8年に島牧でも砂金を産出し、西部金山奉行所の若者が狩場山付近一帯を探索中に、手負いの子鹿を見つけ賀老の滝で水を子鹿に飲ませ傷の手当をして助けたのを滝の主、龍神が見ていた。その後、若者は金山奉行所を預かる身となるが、幕府の厳しい税取り立てに藩主は金を隠すように命じた。若者が隠し場所を探し賀老の滝まで来た時、一頭の鹿が現れ鼻先で賀老の滝の滝壺を示した。判断に迷っていると龍神が姿を現し「わしが守ってやろう」と、金は滝壺に埋められました。それを幕府が知り探索しようと滝壺に近づくと、龍神が崖を駆け登り大洪水となり埋蔵金を手にする事は出来なかった。その後も埋蔵金は龍神に守られ今も滝壺に埋まっていると、いつの日からかこの滝を「飛龍」賀老の滝と言うようになった」と島牧村観光協会の署名。郷土史研究会とは違い信憑性は・・財政破綻で民間丸投げ(場所請負制)にした松前藩に隠し財宝などありそうもない。全文は写真で(^^;◇撮影地:島牧村字賀老 賀老高原

飛龍 賀老の滝島牧村

飛龍 賀老の滝

賀老の滝は日本の滝100選にも選ばれて落差70m、幅35mを誇る北海道最大級の滝で狩場山の雪融時が怒迫力と、運が良ければ午前中に虹が架るという。滝まで駐車場から徒歩で往復40分程、崩壊した遊歩道は補修されウッドチップか敷詰られているが濡れていると異常に滑る。滝の全面で真下もよいが、滝コースを下る途中に脇にそれ滝見台へのコースもある。
◇撮影地:島牧村字賀老 賀老高原コース ◇N42°35’8877” E139°59’7466”

賀老高原 ブナ原生林島牧村

ブナ原生林

狩場山周辺は北限帯最大級のブナ原生林で、須築川源流部(瀬棚)は森林生態系保護地域に指定されている。賀老高原は林木遺伝資源保存林として保護され、遊歩道から直径50cmから1mもあるブナ林を見られるという。賀老の滝コースにもブナの巨木が見られたが、急斜面で伐採を免れ大きなブナの木が残っているようです。◇撮影地:島牧村字賀老 賀老高原滝コース

茂津多岬駐車場島牧村

茂津多岬駐車場

狩場トンネルと茂津多トンネルの間にある小さな駐車公園、国道とは防護壁で仕切られ目立たない。駐車公園に茂津多岬の石碑があるが、駐車場からは茂津多岬は見えず距離もある。道央と道南、島牧村と瀬棚町の境界で日本一高い?茂津多岬灯台があり、須築から灯台に林道は通っているが、海岸に下るルートや海岸からのルートはない。◇N42°71’31,8” E139°50’31,9”

藻岩の滝?せたな町

藻岩の滝

藻岩岬付近で須築(スッキ)トンネルと橫滝トンネルの間で須築トンネル入り口手前にある滝。冬は氷瀑となり春の融雪時は豪快な滝となる。横滝?は旧道に入らないと駄目だがこの藻岩?は気軽にみられる。ただ滝の景観は国道工事で以前とは変わってしまった。◇撮影地:せたな町瀬棚区北歌島

獅子岩せたな町 MAP

獅子岩

瀬棚区の美谷トンネルを挟んで奇岩が多いが、その中で変わっているのが獅子岩。昭和初期には「アネコ岩」と呼ばれ、頭上にアイヌの力持ちが担ぎ上げたという1つ75kgの石が3個あったというが、北海道南西沖地震で崩落したという。獅子岩になったのはそのあとのようで、獅子が海に向かって吠えている姿に似ていることから今の名前になったという。最近はトース岩という方もいるようだ。美谷トンネルの北側に案内板がある。◇撮影地:せたな町瀬棚区北歌島

奇岩 窓岩せたな町 MAP

奇岩 窓岩

瀬棚区の島歌川河口近くにある岩で案内板標柱が立っている。岩の大きさの割には大きな穴で窓岩と呼ばれ、正面から見ると窓から遠くに亀岩、冬はトドが見えることもあるという。松浦武四郎の西蝦夷日誌では「窓岩、本名フヨンチシと云、穴の義也」とあり。◇撮影地:せたな町瀬棚区歌島

奇岩 亀岩せたな町

奇岩 亀岩

瀬棚区の島歌川河口近くにある複数の岩が重なって見える奇観。角度が決まればリアル亀に見えるが、角度がズレるとただの岩と化す。ここでは岩の組み合わせの妙で楽しむが、沖にも変わった形の岩があり退屈はしない。この岩は窓岩の窓越しに小さく見える。◇撮影地:せたな町瀬棚区歌島

三本杉岩せたな町

三本杉岩

瀬棚市街の北端で海上に3つ並んで聳え立つ高さ30m近い安山岩の岩峰。三本の老杉のように見えると云うのが名前の由来のようで、瀬棚町のカントリーサインになっているが杉にはみえない。馬場川の河口側、謎のタコの像近くが岩と岩のバランスも良くいが、ここから見ると手前の岩は根元は繋がり昔は窓岩かも、奥側は独立した岩で実際は二つの岩。瀬棚港の周囲には三本杉岩の他に防波堤に接して立つ蝋燭岩や離れて輪掛岩、南側に懸島が聳えるが、岩峰は火山噴出物の火道の名残らしいとか、地学の教材みたいです。◇所在地:せたな町瀬棚区三本杉

謎の人魚姫と大タコ像瀬棚港

謎の人魚姫

瀬棚港近くで三本杉岩のほぼ真正面で国道沿いの防潮堤前にかなり大きな人魚姫の像がある、説明文らしき標示物は無く由来もよくわからない謎の人魚姫がいた。それだけで終わらないのが瀬棚で馬場川よりに大タコの像があった。此方は何かの施設にタコを載せた感じなのだか・・・ちなみにこの辺の防潮堤に上がると三本杉岩がよくみえる。◇所在地:せたな町瀬棚区三本杉

荻野吟子開業の地碑

荻野吟子開業の地碑

日本最初の女医・荻野吟子は、1897(明治30)年瀬棚に入り荻野医院を開業。瀬棚児童会館そばの開業地跡に、医療活動はもとより婦人会や日曜学校等を創設し、地域の文化振興にも貢献した彼女の功績を讃え、病院・開業の地を記念する碑が建立されている。◇所在地:せたな町瀬棚区本町3区

荻野吟子女史像せたな町

荻野吟子女史像

平成13年に瀬棚区支所前に建立された像は、荻野吟子生誕の地・埼玉県妻沼町と隣接する熊谷市の有限会社「野口石材店」社長、野口孝氏より寄贈されたもの。この年は荻野吟子生誕150周年にあたり妻沼町と荻野吟子の墓所にも同じ像が建立されている。◇所在地:せたな町瀬棚区本町7区

荻野吟子顕彰碑せたな町

荻野吟子顕彰碑

日本女医第1号の荻野吟子女史は瀬棚町で開業、10数年を地域に貢献。荻野吟子女史の功績をしのび昭和42(1967)年、北海道百年を記念し開業地跡に建立したが平成12年に瀬棚町開基120周年を記念してた旧瀬棚駅跡地に荻野吟子小公園内を整備し顕彰碑を移設。◇所在地:せたな町瀬棚区本町9区

瀬棚駅跡せたな町

瀬棚駅跡

ここにもかつて鉄道が走っていた証で、昭和62(1987)年に瀬棚線が廃線になるまでは北海道最西端の駅でした。瀬棚駅跡は「公営温泉浴場やすらぎ館」に変わり敷地内の緑地(駐車場の際)に瀬棚駅跡地記念碑と駅名標が立っている。◇所在地:せたな町瀬棚区本町9区

弁天岬せたな町 MAP

弁天岬

太櫓(ふとろ)は元和8(1622)年に松前藩がフトロ場所を開いたのが太櫓のはじまりのようで、かつて古櫓多、良瑠石、鵜泊などが合併して一つの村を形成していたが今はせたな町に属している。太櫓川の河口付近から鵜泊にかけて岩礁、岩壁が連なる海岸の中で一際目立っているのが弁天岬、岬の頂きに弁天社が鎮座している。下には漁港があり横には海難慰霊碑が建立されている。ここから眺める夕陽は美しいとされ、遠くに奥尻島も望まれる景勝の地ですが、観光地ではないので釣りも気軽に出来そう。◇所在地:せたな町北檜山区太櫓

芭蕉塚せたな町 MAP

芭蕉塚

説明板によると「この芭蕉塚は、俳句を愛しこれを広めるため天保6年6月、上ノ国の住人が俳聖芭蕉の代表作『古池や 蛙飛込む 水の音』石に刻んで地蔵庵(現在の昭光寺)の境内に建立したものである」とあり、石とはいえども風化で判読不能な部分もある。碑は道々沿いにある。
◇所在地:せたな町北檜山区太櫓 ◇ N42°22’52.68” E139°48’59.83”

鵜泊海岸せたな町 MAP

鵜泊海岸

鵜泊と水垂岬の間で鵜泊寄りに剣山の様に岩が立ち上がっている光景がひらけるが他では余り見られない。鵜泊漁港の南側に蛇がドクロを巻いたようにうねった模様のホルンフェルス巨石が海岸を占拠しているが、これはホルンフェルス(接触変成岩)と関わりがなさそうにみえる。水垂岬と鵜泊漁港との間は道幅も狭く見通しも良くない。◇所在地:せたな町北檜山区新成鵜泊

菅江真澄の歌碑せたな町 MAP

菅江真澄の歌碑

江戸時代の国学者で絵師の菅江真澄は寛政元年に太田神社参詣のために久遠を訪れ大成に滞在したときの紀行文「えみしのさえき」に記載されている二首を紹介している。菅江真澄の歌碑はせたな町ではあわび山荘前、太田山神社参道入り口、太田神社拝殿横の3カ所、八雲町では熊石泊川町、あと江差にもあったが胆振地方にもあるようです。最初は太田山神社本殿参道入り口の歌碑より
「行くやらで ここにくれなば苺むしろ しきて太山の花のしたふし」
続いて太田神社拝殿横の歌碑より
「雲のうち 三のみのりを鳴とりの こえかすかなる山のたかけん」
◇所在地:せたな町大成区太田

北海道最古の灯台 常灯篭せたな町

北海道最古の灯台 常灯篭

太田神社拝殿近くの岩の上に灯篭のようなものがあります。これは1857(安政4年)年に点灯されたという北海道最古の灯台を「久遠を知る会」が復元したものという。かつて此の出岬は「じょうとうの崎」と呼ばれていたというが、その由来が常灯篭ということで、神社へ奉納されたものであったという。常灯篭越しに陸路のない尾花岬がみえている。◇撮影地:せたな町大成区大田

円空歌碑せたな町

円空歌碑

美濃国の僧、円空は寛文6年に太田山の巌窟で多くの仏像を作ったというが大正11年に火災で焼失、現在有る仏像は太成の杉材で円空の伝統を受け継ぐ丹生円刀会に依頼して制作したものという。歌碑は霊場太田山の洞窟で製作した仏像を奉納する際に詠んだものとかんがえられているようです。「木にだにも 御形を移す ありがたや 法の御音は 谷のひびきか」参道石段でさえ斜度40度と修行の場で有ったことがうかがわれます。◇撮影地:せたな町大成区大田

島牧~瀬棚・追分ラインミニギャラリー

獅子岩大蛸モニュメント海難慰霊碑太田山神社説明板常灯篭太田神社拝殿
太田神社拝殿2奇岩ロード2奇岩ロード3湯とぴあ臼別1湯とぴあ臼別2鮪の岬の碑
海神社の尊徳像飛龍 賀老の滝松浦武四郎歌碑太田山神社太田山神社瀬棚駅跡碑タヌキ岩潮笛 韃靼漂流記
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