駅逓跡と記念碑を巡る旅
中央道路沿線の駅逓所と慰霊碑 網走~留辺蘂‼

中央道路沿線の駅逓所と慰霊碑

 中央道路は網走市から網走湖西岸をとおり女満別町~北見市端野地区~北見市街~北見市留辺蘂地区~佐呂間町~遠軽町生田原~遠軽町~遠軽町丸瀬布~遠軽町白滝~北見峠~上川町~旭川市街までで、その沿線に駅逓が建設された。建物は北見側と上川側では多少異なる様だ。開設時は無人の施設が多く、人と官馬が配置されるのは少し遅れ、内陸部で駅逓が本格的に利用されるようになったのは明治28年頃からのようです。開拓使は明治18年に駅逓の直轄方式廃止し民営化をはかっているが、中央道路沿いの駅逓は野付牛駅逓所を除きすべて新設の官設駅逓で中央道路をどれほど重視していたのかよくわかる。ここでは網走から旭川までの中央道路沿いにある12ヶ所の官設駅逓所跡(碑のある所)をメインに駅逓と中央道路開削犠牲者の慰霊碑を紹介する。碑文は文字種の変更、句読点の追加などで読みやすいようにしたが内容の変更はしていない。場所が市街地以外の所では出来るだけGPSデーター(ハンディGPSやカメラでの測定値)を付したがあくまで参考程度に。

網走刑務所にある碑

中央道路開削起点・・網走刑務所外庭

 網走刑務所への唯一の通路~鏡橋を渡り敷地内に入っていくと左側に「私の手は厳しいけれど わたしの心は愛に満ちている」アムステルダムの刑務所の門扉の刻字からと書かれた大きな碑がある。碑文の一部から「明治23年3月 原始林に覆われ笹と葦の茂るこの地に 中央道路開削の拠点として、釧路監獄署網走囚徒外役所が開設された。以来 百年 この地で 罪を問われた人々が 厳しい試練に耐えて更正に励んだ」と有るように網走刑務所は中央道路開削のため全国の監獄から移送された1200人の重犯罪受刑者を収容するために造られ、非人間的な強制労働により200名前後が死亡、1000人以上の囚人が行方不明とのことで中央道路沿線各地に慰霊碑がある。網走刑務所対岸にある中央道路起点説明板のある所が網走駅逓所跡ということです。

中央道路開削起点モニュメント 網走市 MAP

中央道路開削起点

 明治24年ロシアの南下に備え北方警備と北見地方の開拓を目的に網走~旭川間の開発道路として開削されたが、網走側の起点は網走川右岸の網走刑務所前で『中央道路開削工事網走分監工区起点の碑』がある。中央道路は札幌から北海道の中央部を縦貫してオホーツク沿岸に達する路線で、網走から釧路へ通じる道でもあった。北見峠から網走を経て釧路にいたる道は北海道集治監、特に網走監獄の囚人労役と犠牲によって完成した道路で北見道路、通称・囚人道路とも呼ばれている。開削された中央道路(北見道路)の網走~北見市端野町緋牛内迄は道道104号線・緋牛内~北見~留辺蘂地区間は国道39号・留辺蘂地区~佐呂間町花園間は道道103号線・佐呂間~旧生田原町間は共立峠(現在はルートが異なる)、旧生田原町~北見峠までは国道333号がほぼ当時の経路。中央道路開削起点のある所に網走駅逓があったという。網走駅逓は北海道宿駅制の研究では漁場持の藤野番屋から明治5年に駅逓の性格を持って独立したと云うことのようです。明治15年の旧札幌本庁駅逓取扱人一覧にはないが、中央道路開設期には稼働していたと思われるのも詳細は不明・・明治37年に再設置され取扱人は田野国重でした・・大正14年廃駅となっています。◇GPS:N44°00’51.50” E144°14’09.41”

二見ヶ岡 国道創設殉難慰霊石碑 網走市 MAP

二見ヶ岡・国道創設殉難慰霊の碑

 明治100年、北海道開拓100年にあたって何をするか決まらずにいた時、慰霊碑の建立運動をしていた留辺蘂にある白龍山遍照院の隆弘尼僧が、町村会に訴え満場一致で建立が決まったという。碑には囚人の埋葬地と思われる場所から集められた各地の土がおさめられているとの事だ。

碑 文
百年にわたり、開拓者精神に燃えた父祖先人の高い理想と労苦が今日の網走管内の発展となってあらわれておりますが、とくに当地方開発の端緒となった網走と旭川とを結ぶ国道建設は、明治二十四年四月、東北海道貫通中央道路として工事を開始し、当時現在の網走刑務所に服役中の受刑者の多数の血と汗の協力により完成したものであります。北海道百年の意義ある年にあたり、殉難者に慰霊の誠をささげるため国道創設殉難慰霊の碑を建設しさらに近年とみに増嵩しつつある交通事故の減少と交通安全を祈念し「交通安全観音像」を建立したものであります。
昭和四十三年十月
国道創設殉難慰霊の碑建設期成会
会長 佐藤 忠吉
◇設置場所:網走市字二見ヶ岡 ◇GPS:N44°00’02.67” E144°10’23.11”

荷揚坂跡石碑 網走市 MAP

北山・荷揚坂跡の碑

 「国道創設殉難慰霊の碑」がある二見ヶ岡から嘉多山の丸山公園まで進み交差点を左折、道道嘉多山美幌線の坂道を下りた右手に荷揚坂が有った。以前は荷揚坂の石碑が有ったというが3度目の訪問時で発見した。明治24年釧路集治監網走外役所の受刑者1200人を使って、網走と石北国境に通じる中央道路開削という前代未聞の難工事が始まる。この時、網走から工事のための食糧や資材を船に積んで、網走川を遡り、網走湖を渡って嘉多山の船着き場に荷を降ろした。集治監はここに仮監をつくり、受刑者が沢伝いに丘の上まで道をつくり、馬で荷物を運びあげ、それで荷揚坂の名が付いたという。後に端野や北見に入植する屯田兵が同じコースを辿り、船から上陸し荷揚げをしたので荷揚坂という名前がついたとも・・どちらも本当らしく聞こえるが真相は?
◇設置場所:網走市嘉多山・網走湖西岸 ◇GPS:N43°56’25.5” E144°07’26.7”

第壱号越歳駅逓所跡石碑 網走市 MAP

嘉多山・第壱号越歳駅逓所跡の碑01

説明碑の全文
明治24年ロシアの南下に備えた北方警備と北見地方の開拓を目的に開削された中央道路は、札幌から北海道の中央部を縦貫してオホーツク沿岸に達する路線であり、北海道集治監、特に網走監獄の囚人の労役によって完成したものです。この旭川~網走間(225km)の道路が整備された事により、明治25年3月15日網走の一号越歳駅逓をはじめとして旭川の12号駅逓まで中央道路沿いに12カ所、駅逓が順次設置されました。駅逓とは、北海道にあまり人が住んでいない時代に、開拓のために北海道に渡ってくる人や旅をしている人に宿泊所として、人や馬を貸し出したり、更に郵便業務の取り扱いを行っていました。その起源は、江戸時代の1779年に置かれ、駅逓運営者は取扱人と呼ばれ、旅人たちにとって旅の疲れを癒す処として、まだ見ぬ未開地の生活や現状を知るうえでかけがえの無い助言者であり指導者でした。開拓者たちの寄り合い場であるなど、開発の先鞭としての駅逓の存在意義は交通の面からだけでなく北海道の開拓とは切り離すことのできない関係にあったのです。とりわけ、越歳一号駅逓は、屯田兵や開拓移民が網走湖を船で渡り内陸へ入るための最初の第一夜であり、旭川方面からの旅では最後の宿となったこの駅逓で、先人達はどんな夢を描き、そして現在、私達はその夢の果てに生きています。しかし大正元年網走~北見間に鉄道が開通すると同時に駅逓利用者は減り大正2年駅逓は廃止され、その役目を終えたのです。駅逓碑建設は網走の歴史の原点である「網走監獄」と中央道路との深い関わりの中で、網走の歴史を蘇らせる事業であり、博物館網走監獄開館20周年記念事業として、オホーツクの歴史への追憶と先人の思いを糧に未来に繋げる架け橋となる事を祈念し、駅逓跡地真向かいに建立します。
平成十五年十一月
財団法人網走監獄保存財団
博物館網走監獄館長  小野塚 正衛

沿革と取扱人
明治25年3月開駅、取扱人・内山清吉 大正2年4月30日廃駅
◇二見ヶ岡から北見方向に進み丸山公園を過ぎてまもなく左側に大きなモニュメントと碑がある。駐車は6台前後可能なスペースが有ります。
◇設置場所:網走市字嘉多山 ◇N43°56’26.6” E144°06’49.3”

鎖塚供養碑・鎖塚観音像・六地蔵石碑・地蔵 北見市 MAP

端野区緋牛内・鎖塚供養碑・六地蔵01

鎖塚供養碑 碑文
端野町開基八十年記念
明治24年北海道長官永山武四郎氏は、網走と旭川を結ぶ国道開設の急を感じ網走、空知両監獄の囚人凡そ千人を動員し、5月上北両端より着工12月完成の突貫工 事をした。此の道路が北見の開発に貢献した事は言うまでもないが、工事の際死亡し路傍に埋められた墓標なき囚人は三百に余るとも云う。此の三基も亦(また)彼等を縛った鎖だけがその上に残されてあり是を鎖塚と呼ぶようになった。此処に供養碑を建て尊くも哀れな御霊を永く弔う。
昭和五十一年十月
端野町緋牛内鎖塚慰霊奉賛会一同建立

北見市指定文化財「鎖塚の区域」案内板
明治24年(1891)、網走・上川間に中央道路が開削された。この工事には約1500人もの釧路集治監の囚人が使役されたが、4月から12月という短期間に約163kmもの距離を開削するという突貫的な難工事のため200人以上の囚人が倒れて亡くなった。この鎖塚の土饅頭はそのとき亡くなった囚人の墓標のひとつとされている。ただし地形の変化等があり、その形状については現在よりもかなり低かったと考えられる。端野町の開拓は明治30年(1897)の屯田兵の入地により、本格的に始まったが、その入地に至る道路はこの工事によって作られた。
平成4年2月27日指定
北見市教育委員会

 墓標と云っても実際に遺骨が埋められていたという事ではない。土饅頭の高さは道路工事などで基盤が下がったため相対的に高くなったと云うことの様だ。
◇設置場所:北見市端野区緋牛内 菊池坂 ◇GPS:N43°52’59.91” E144°01’06.24”

2号駅逓所(緋牛内)跡の碑と案内板石碑 北見市 MAP

端野区緋牛内・2号駅逓所跡01

2号駅逓跡案内板
端野町の駅逓は中央道路開削翌年、明治25年(1925)二区に設置された。その後美幌端野間の道路が開通した事により、明治38年(1905)中央道路との合流点である現在地に移転した。当時の駅逓取扱人は斉藤嘉藤次で有り、大正11年(1992)駅逓としての役目を終えた。石碑の位置は当時の駅逓の井戸の近辺にあたり、石碑のある高さが、当時の道路の高さでもあった。
平成5年3月 端野町教育委員会

2号駅逓跡碑文
明治38年1月浜網走、緋牛内間の道路の開通にともない中央道路との分岐点にあたるこの地に、2区東17号線から2号駅逓が移設され、斎藤嘉藤治が駅逓取扱人となった。(2号駅逓跡碑は階段を登った所に有り周囲三面が金網で囲まれている)
昭和58年10月建之
端野町長安田智幸

沿革と歴代取扱人
明治25年3月開駅、取扱人:生田錫三郎 明治38年2月移転『緋牛内』と改称
明治36年8月~斎藤嘉藤治 明治43年9月~斎藤正雄 大正11年2月10日廃駅
◇設置場所:北見市端野区緋牛内 ◇N43°53’03.47” E144°00’10.25”

2号駅逓所跡(第一次)石碑 北見市 MAP

2号駅逓所跡(第一次)

 中央道路開削翌年、明治25年(1925)二区に設置された。その後美幌端野間の道路が開通した事により、明治38年(1905)中央道路との合流点である現在地に移転した。旧2号駅逓所跡碑(昭和59年建立)は国道沿いでバス停東17号線近くの民家前に有る。
沿革と取扱人 ◇2号駅逓所跡を参照してください
◇設置場所:北見市端野区緋牛内 ◇GPS:N43°52’10.50” E143°57’02.04”

野付牛駅逓所石碑 北見市 MAP

野付牛駅逓所

 通称は田尾駅逓ですが正式名称は野付牛駅逓所で私設駅逓という。地理的に官設でなくとも採算がとれたものか、駅逓の性格も12箇所の官設駅逓とは違い地域密着型であったようです。ただ官設の三号相内駅逓は実質15年程度の稼働年で、相内駅逓の廃駅後は重要な駅逓といえそう。野付牛公園に古い駅逓碑があるとの事で探してみたが、発見出来ず公園の管理人も知らなかった。平成8年の記念碑新設の時に撤去したのか? 8.5.4号野付牛モール(石北線敷地跡を利用した遊歩道)に平成8年に設置された「野付牛駅逓所記念碑」がある。
◇設置:明治33年01月 ◇廃駅:大正12年09月 ◇初代取扱人:田尾民五郎
◇現住所:8.5.4号 野付牛モール 東4号線高架下横
◇GPS:N43°48’44.41” E143°54’16.40”

三号相内駅逓所石碑 北見市 MAP

三号相内駅逓所

 国道39号線沿いラーメン寶龍さん横の角地(北見市東相内町210)に平成8年に碑が設置された。駅逓としての稼働期間は比較的短命に終わった官設の駅逓で明治25年開駅で明治40年頃廃駅となっている。
沿革と取扱人
◇明治25年3月開駅 ◇明治40年頃廃駅 ◇初代取扱人:菅原兵蔵
◇設置場所:北見市東相内町210 ◇GPS:N43°48’13.01” E143°48’49.49”

中央道路開削犠牲者慰霊碑石碑 北見市 MAP

北見市・中央道路開削犠牲者慰霊碑01

慰霊碑碑文 北見市
明治24年春、北海道長官永山武四郎は拓殖と北辺防備のため、旭川網走を結ぶ中央道路の建設を急ぎ、網走集治監の囚人を使役し開削工事に着手した。約8ヶ月間の難工事に動員された囚人千百余名中想像を絶する苛酷な労働により相次ぎ亡くなられた犠牲者は200名を超え、その多くは路傍に仮埋葬され墓標なきまま今日に至っている。平成4年7月、第5区仮監跡と考えられる当地国道の南側、豊田569番地の畑地から一体の遺骨と共に鎖錠前が発掘され手厚く供養のうえ改葬した。北見市開基百年の意義ある年に当たり当市の発展の端緒となった中央道路、現国道39号へ感謝を捧げつつ未だこの地に眠れる尊い犠牲者のご冥福を、お祈りし慰霊碑を建立する。
平成八年七月十五日
北見市長 小山 健一
揮毫 久保観堂
国道39号線沿い、相内市街端にあざやかな案内板が見えます。駐車駐車は路肩に可能。
◇設置場所:北見市豊田 ◇標高157m ・N43°47’43.1” E143°43’55.5”

第四号駅逓所跡の碑石碑 北見市 MAP

第四号駅逓所跡の碑01

 丸山峠の留辺蘂四号駅逓をアイヌはルペシュペと呼んでいたという。取扱人は北村七平から千葉新太郎に代わり、明治35年9月に宮下町ヘ移転、駅逓の宿泊の部分は宿屋とし、郵便・荷物を運ぶ部分を郵便局に分離して留辺蘂郵便局を開設している。初代局長は次女の夫千葉能章であった。千葉能章は後に町会議員議長を歴任、留辺蘂の功労者とされる。第2次第四号駅逓所跡の碑は留辺蘂宮下町市街で国道103号線沿い。

沿 革
明治25年3月16日開駅 管理人:北村七平、取扱人・千葉新太郎
明治35年9月2日移転 明治28年10月5日~千葉新太郎
明治35年9月~光永勝助 大正12年3月31日廃駅
◇設置場所:北見市留辺蘂町・丸山峠&宮下町
◇第四号丸山:N43°49’29.4” E143°38’05.9”
第四号宮下MAP:N43°47’20.1” E143°37’29.0”

中央道路開削犠牲者慰霊之碑石碑 北見市 MAP

中央道路開削犠牲者慰霊之碑

慰霊之碑 碑文 丸山峠
中央道路開削犠牲者慰霊之碑
留辺蘂町長坂本悟朗書
明治24年、旭川・網走間に網走監獄の受刑者使役し、粗食と過酷な労働により、約1000名の従事者中200名以上の犠牲者を出し、この中央道路が開削された。昭和59年6月3日、当町花園55号で遺骨2体を発掘した。留辺蘂町発展の端緒となった道路への感謝と犠牲者の冥福を祈念するため開町70年の意義ある年に当り追悼碑を建立する。

昭和60年11月15日
中央道路開削犠牲者追悼碑建設期成会
留辺蘂町
※以上碑文の内容で説明に代える。碑は丸山峠の佐呂間側、第四号駅逓跡の碑を過ぎて間もなく
◇設置場所:北見市留辺蘂町丸山・丸山峠
◇標高316m・N43°49’48.5” E143°38’23.4”

五号佐路間駅逓所跡石碑・説明板 北見市 MAP

五号佐路間駅逓所跡01

 丸山峠から若狭に向かい佐呂間町の境界より少し手前の花園、遠藤氏宅敷地内に五号佐路間駅逓所跡の碑と説明板がある。遠藤氏宅は駅逓の特徴を残し、上藻別駅逓スタッフの話では駅逓そのものというが、改築して60年ほど経ているという。その外観は駅逓そのもの、個人宅なので撮影はしておりません。佐路間駅逓が実際に人馬の継立てを行ったのは明治28年からで和人が定住して人煙を上げたのもこの年からであると。

説明版より
元 佐呂間 5号駅逓 跡
網走-旭川間に中央道路が開通されるや明治25年(実際に業務が行われるようになったのは明治28年)この地に佐呂間5号駅逓が開設され、宿泊、人馬の継立、郵便物の逓送等の業務が行われた。初代取扱人に永井友吉が就任、官馬6頭、雇人1名が配置されていた。

沿 革
明治25年3月16日開駅、管理人:永井友吉
明治44年11月16日『上佐呂間駅逓所』に改称
明治30年頃~快田秀吉(大友明友) 明治36年~遠藤藤次郎 大正13年3月31日廃駅。
◇設置場所:北見市留辺蘂町花園 遠藤宅敷地内
◇所在地・N43°55’39.9” E143°38’20.9”

旭峠駅逓跡 通称:5号峠説明板 北見市 MAP

通称:5号峠

 「中央道路」の生田原と佐呂間の峠は麓に設置された「5号佐呂間駅逓」の名をとって「5号峠」と呼ばれた。大正8年に旭峠を迂回する道路が開通して廃道となっていたが、昭和57年に佐呂間町共立から峠までが林道に改良され「共立峠林道」として再開された。この地域は強制労働で多くの犠牲者を出した所でもあり、昭和59年に旧「5号佐呂間駅逓」の近くから2体の遺骨が発掘されている。峠には「留辺蘂町郷土研究会」が平成3年に設置した説明板がある。
◇所在地・N43°55’39.9” E143°38’20.9”

駅逓所縁の人物・記念碑、施設など

白龍山遍照院北見市

 白龍山遍照院については網走二見ヶ岡の国道創設殉難慰霊の碑でも触れたが、北見道路犠牲者の慰霊に関しては白龍山遍照院と先代の隆弘尼僧を省く事はできない。また常紋トンネル工事で斃れた労働者の遺骨掘り起こしの際、菅笠を被って読経し続けたのは他ならぬ白龍山遍照院の尼僧達だった。遍照院本堂の隣に「慈弘塔」という仏堂があり不遇な運命に弄ばれた「囚人の位牌」が納められている。北見方面からは留辺蘂市街地の手前でJRと交差する橋梁手前から入る。◇住所:北見市留辺蘂町泉369

中央道路沿線・網走~留辺蘂間の駅逓所跡と慰霊碑

二見ヶ岡・国道創設殉難慰霊の碑02嘉多山・第壱号越歳駅逓所跡の碑02嘉多山・第壱号越歳駅逓所跡の碑文端野区緋牛内・鎖塚供養碑・六地蔵02端野区緋牛内・鎖塚供養碑・六地蔵03端野区緋牛内・鎖塚供養碑・六地蔵04
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駅逓(記念碑)を巡る旅

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