第弐章・徴用と花蘇芳(続)

 徴用使役の日から三日が過ぎ、外界は快いまでに澄みきった晴天である。
ザッザッと炉端で自家栽培の煙草をきざんでいる
徳治の背に窓ガラス越しに陽射が注いでいる。

『自家製煙草は味が悪いがこうやって手を働かせれば幾らでも喫えるのだからな怠慢けてなんか居られん。物資不足の御時世、質より量だからのー』

笑顔で今朝一握りの茎煙草を干し棚に吊るし、乾燥したのを庖丁でザッザッときざみかけている。側で針仕事をしていた久子は、戦後の激しい時勢の変動によって好きな煙草を買って喫えない徳治の心情を察し、思わず運針の手を止めじっと徳治の手先を見つめそっと立ち上がった。

『お舅さん、私がきざみましょうか?』

『いあいや もう終わる お前はお前の仕事をしていなさい』

舅の言葉に久子は座り直して運針を始めた。先刻より駒を廻して遊ぶ広光が

『やあ、やあ、廻る。爺ちゃんも母ちゃんも見て!見てったら!』

徳治は広光を愛撫する為

『おっ、おっ~よく廻るのー』

大袈裟に驚異の表情を作り広光に言い、駒を見た。駒はすぐ転び

『そーれ、もう一度。母ちゃんどうして?
どうして見ないの?見なくちゃ駄目だよ!』

徳治と久子の視線を集め駒を廻すが、広光の意思に逆らうかのように駒はすぐ転んだ。その格好が余にもいぢらしく可愛かったので徳治も久子もどっと一度に笑い崩れた。平和でのどかな靄々たる零囲気が醸だされた、その時

『“こんにちは 誰か居ませんか”』

物音がして久子は玄関側の障子を開けると、其処に綿羊毛皮のシューバを着た見知らぬロシア人が立って、陰険な目付きで久子を凝視する。
久子は急に不安になった。

『“貴方の家の苗字は何?”』

久子に問いかけるも久子はそのロシア語が解からず困っているとそれを聞いていた徳治が顔を出した。

『“やあ、御主人。今日は”』

ロシア人は知人の如く徳治に握手を求めた。

『“君は、確か配給店の?”』

『“はいそうです。昨日ご主人は公団からどんな物をを積んできましたか?
大方箱物だろうね”』

『“はい、確かに箱物でした”』

『“どんな箱?”』

『“木箱でしたかそれが?”』

『“木箱、バターの箱ですね、何個積んで来ましたか?”』

『“はい、35箱です”』

『“三十五個、数が合わない
公団では貴方が45箱積んで出たと行って来てるんだ、一体如何してくれます”』

『“わしは知らない事です、他で聞いてください”』

憮然として徳治は言い放った。パーヴェルは昂ぶった抗議を聞き、今まで胸の内に蠢いた憤りが怒りとなり、みるみる随意の炎を顔に表し徳治を睨みつけ

『“嘘はよせ、俺は酔っていようと知っている。さあ、荷物をどうしてくれる”』

怒気を荒げてパーヴェルは徳治に詰め寄るが

『“とんでもないっ、私は知らない、疑うなら昨日の人に聞いてくれ;
まったくとんでもない事を言う”』

『“なにっ、まだ嘘を言うか、嘘を”』

『あっ!危ない』

久子が息を呑んだ一瞬ビシッ、ビシッとパーヴェルの拳が続け様に徳治の頬に飛んで来た。マローシャは徳治を叩きつけ

『“こいつ、これでも嘘を言うきか!”』

彼は益々顔面に紅を刷った様に激昂し、息詰まる程徳治の所に觸れた。
一方徳治は激昂しかけるも弱りきった己の体力と敗戦国人の現実が圧し掛かり激昂を冷静に制した。

『“私は絶対嘘つかない、それは貴方の誤解です、私は嘘つかない”』

『“ふん、そんな言い訳より盗んだ荷物を今日中に返せ
返さなければ警察に突き出すぞ!”』

大声で怒鳴りつけた。どうなる事とこの結果を慮ばかり蒼白となり唯オド、オドする久子をマローシャはぞっとする陰湿な眼つきで睨みつけ

『“マダム、ダメ、警察署連れて行く”』

そう言い終えぬうちに徳治の左腕を粗野に掴み土間に引き降ろそうとした。

『許してください、いけません!』

『“えっ?何するか!”』

久子を突き飛ばした。彼女は床に横転し目から止め処なく涙が湧いて来る。切々と屈辱ひ何処まで耐偲ばねばならぬかと思うと異国で居住事の惨めさが骨の髄まで味はされる。パーヴェルは尚も言葉荒げに徳治を罵り最後に

『“ケイサツ、アリマス”』

陰険な声で吐き捨て去った。

『まあ、口惜しい、ひどいロスケ。お爺さん痛いでしょう、大丈夫ですか?』

『いや、痛くはないが、あのな~昨日の徴用でわしは四十五箱も積んで来たと言ってきた、藪から棒に十個の荷物が紛失していると言うのだ、
しかし困った事になったぞ』

徳治は首を項垂れ腕を組み一点を凝視し思案深けに耽っていった。久子も只ならぬ徳治の様子から冤罪を規せられるかも知れないと言う不安に包まれて

『相手はロスケですものね!』

目に見えぬ不安が脳裏に喰い込み彼等の胸を曇らせた。まさに晴天の霹靂である。靄々たる一家の零囲気が一人の闖入者の投石によって一瞬の内に崩れ去り、その波紋が次第に舅嫁の胸の内に逆巻いて来る、其処に山田の主婦が訪れた。

『塞ぎ込んでいなさる様ですか?』

山田は何時もより意気鎮沈している徳治等を不審そうに見ながら言葉をかけた。

『ええ、でも貴方の顔色も悪いわ?如何しまして?』

山田の顔に心の苦悶が表れているのを久子は気付いた。

『今ね、配給店のロスケが来てね。昨日の徴用で家の義が十個の荷物を匿しているって、今日中に配給店に届けろ!届けろって 届けなければ警察に訴えると言って凄い文句をで罵って言ったのよ』

山田の話で徳治と久子は目を思わず交差させ

『あら!私達も経った今、貴方の様に罵られたのよ!』

久子は一部始終を山田に話した。

『ロスケの奴、何か魂胆があるんだ、嫌な事に何かの間違いであってくれると良いが、山田さん?どう思います?』

徳治は神妙な面持ちで言い、山田の胸にも次第に不安が波打って来る。翌日村の駐在所の警察官、デニス・ドラガノフ准尉が徳治の元に訪れ、紛失の事を徳治に濃厚な嫌疑を被せ帰った。徳治は思案の余り

『山田さん、やはり冤罪が降り懸って来た!わしら日本人が以下に弁解しようと糠に釘じゃ。何の効果もない事よりも部落会長に願願い入ってボルシチョフ村長さんに弁明して貰おうじゃないか』

と、そうする事が最善と判断し山田に相談し、一縷の希望をいただき、山田と共に部落会長宅に赴いた。あの日から数日後、細井宅に部落会長の佐藤さんが訪れ、徳治に一通のロシア語で書かれた書状を差し出した。

『爺さん、警察からの出頭命令書だ。明日朝九時までに山田の義と二人でアニワ警察署に出頭する様、駐在所のドラガノフ准尉からの命令だよ』

『えっ、そうか~やっぱり来たか』

予期していた事とは言へ衝動で顔が引き攣るのを徳治は感じた。

『大した事は無いと思うけど、あの翌日村長が納得するまで通訳を介して爺さんの潔白を力説したんだが結局配給所側で荷が現れないので処理上仕方なく警察に届け出たのだからそんなに心配することは無いと思うが』

『そうでしたか、御蔭で心強くなって来た。しかしロスケはわし等と言葉を通じないのを利用して自分で犯しながら狡賢い方法で日本人に其れを押し付け高笑うからな…其れが気になる。』

『うん、それもそうだ。ロスケの常套手段と言うから楽観する事は出来んだろう、もしもの時には微力ながら私が力に為りますわ…』

佐藤は久子の入れたお茶を飲みながら自信有り気に笑った。 徳治は思い出した様に

『しかし物騒な世相になったものですな、夏からもう四人も殺されているし、所で徳田事件は何か解りましたか?』

『いや、解らん。迷宮らしい』

佐藤は徳治に答えた。夏からこの村は四件の殺人事件があった。一人はこの村に住む坂上清一と言う独身の男が強盗に撲殺され驚き恐れさせ、その噂も消えない内にこの村で降伏当初まで自転車店を経営していた徳田は降伏直前妻子を内地に引き揚げさせ小型の漁船を買い上げ北海道へ逃亡する密航者を乗せ一ヵ月半、僅か四十日程で約七万円を荒稼ぎしたが、ソ連の沿岸警備兵に拿捕され船を取上げられた。彼はその金を着物に縫込んだり、二重底の弁当箱を作りその中に入れたりと、考える全ての方法を試みて内地に持ち帰る事が念願であり、それが村中の噂になっていた。その彼が何者かによって自転車修理用のハンマーで撲殺され貯めていたお金が盗み出されていた、一人暮らしの徳田は家を半分に仕切って野中と言う日本人に間貸しをしていて、壁一枚で生活する野中が徳田殺しの有力容疑者として長期、警察の取調べを受け、徳治はその結果を聞いた。

『ほぅ、迷宮?』

『そうだ。悪い通訳のせいで相当痛めつけられたが野中は釈放になった。そうそう、警察署にはその通訳が居るから気をつけた方が良い』

佐藤は思い付いた様に徳治に言った。徳治は困惑し

『悪い通訳?』

『つまり日本人に風当たりの悪い通訳のことさ。警察署には通訳官が二人居て、この通訳官に会うとどの日本人も皆苦しめられるという事ですよ』

『まぁ、何故でしょうか?』

胸を締上げられる様な不安顔で久子は佐藤の話に耳を傾けた。

『その通訳官は戦前大泊(コルサコフ)方面に住んでいたロスケの二世
つまり混血でね』

佐藤はその通訳官の事を語り出した。

『日露戦争後、日本に帰化したロスケ、アレクサンドルには娘が居てね、その子が通訳の母だ。通訳は澄・アレクサンドルと言う名で澄の母は日本人と結婚して澄を産んだが、父は澄が生まれて直姿を消し澄の母は捨てられたと言う訳だ。その母はロスケと再婚したがそのロスケ澄には冷たかったらしいし、学校に入ってからは雑種、雑種と罵られ学校が嫌になり、学友を恨み日本人の父を恨み、さらに日本人全員を恨む様になったそうだ。その一念が成長する彼女を強くし警察の通訳官を志望させ、今花開きその恨みを晴らしていると言う話だ。
まぁ三つ子の魂百までと言うがそれの見本ですよ』

自分の通訳によって日本人を窮地に落しいれ
ほくそえむ通訳である事を佐藤は語り終えた。

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