カウンター

☆ Googlewで検索 ☆reference


サイト内検索 Web検索

道央・道南を巡る旅
石狩河口エリアと小樽ぐるっとプチ旅‼

初めに‼石狩河口地域&坂と運河の町・小樽を巡る‼

ここでは2015年に見聞した風景、史蹟などの中で旧駅逓所(跡)を巡り、松浦武四郎の碑巡り、ニシン街道碑巡りは別コーナーとし、それ以外の道央と道南は大雑把に地域(市町村)別にまとめ、館跡は最後に一括してプチ旅にまとめました。道北、空知、十勝、道東は従来のコンテンツに追加しています。

国史 荘内藩ハママシケ陣屋跡浜益

ハママシケ陣屋跡荘内藩ハママシケ陣屋跡(国史跡)は、安政6(1859)年に幕府より蝦夷地警備の命を受けた荘内藩が浜益・留萌地方(増毛を除く)を拝領し、現在の浜益区川下地区に奉行所や大手門、御家中長屋などを建設、主に北方警備や土地開拓などの任に就いたが、慶長4(1868)年に「戊辰戦争」が起こると、建物を焼き払い引揚げ陣屋は放棄さた。ハママシケ陣屋には苫前陣屋より1864年に移動した戸田総十郎もいた。この頃にアイヌの生活を見る機会に恵まれた戸田は後に松本十郎と改名し「アツシ判官」とも称された開拓判官となる。現在の陣屋跡にある大手門は復元されたもので、中に邸舎跡を示す木柱があり、土塁・堀・建物跡の造成跡や建設資材を輸送するために造成された堀跡「千両堀」などの跡が残っている。ただ国史跡と言うも荒れ放題で、草が伸びてしまうと大手門以外は何も見えない。千両堀は名前とは裏腹に予備情報がないとただの明渠にしかみえません。陣屋跡入り口にある川下神社はハママシケ陣屋と同時期に建立された。◇所在地:石狩市浜益区川下◇N43°35’30” E141°23’71”

いしかり砂丘の風資料館石狩川河口域 石狩市地図へ

いしかり砂丘の風資料館石狩川河口地域全体をひとつの大きな博物館とみなし、海・川・河口の自然と歴史、縄文時代の砂丘の人々についての展示をする河口地域の中心施設として2004年に開館したいしかり砂丘の風資料館がある。1階の展示は川・河口・海の3つのゾーンに分かれ、地域の自然や歴史に関する資料を展示。海のゾーンには巨大なクジラの骨やオオワシ、ゴマフアザラシの剥製、石油採掘の模型、800万年前の石狩地図を展示。河口のゾーンではチョウザメの剥製がある。川のゾーンには石狩川やサケ漁の歴史、石狩は日本で始めての缶詰工場ができた場所でもある事から資料館内に缶詰マシーンが設置され、150円でマイ缶詰を作る事ができる。2階は5000年前から300年前の石狩紅葉山遺跡の出土品や、縄文時代のサケ漁と木の文化なども展示している。
◇所在地:石狩市弁天町30-4 ◇N043°14’72,42” E141°21’00,64”

旧長野商店石狩市指定文化財 石狩市

旧長野商店

いしかり砂丘の風資料館の隣にある石狩市内最古級の石造建築物。店舗は明治27年、石倉は明治10年代とされる。いしかり砂丘の風資料館のチケットで入館できる。石倉は他にも存在する。◇所在地:石狩市弁天町30-4
◇N043°14’72,42” E141°21’00,64”

石狩灯台と石狩浜石狩川河口域 石狩市MAP

石狩灯台と石狩浜石狩川が石狩湾に注ぐ河口部の「ハマナス自然公園内」にある。約1.5kmにおよぶ砂嘴が公園(一部海浜植物保護地区)となっており「ビジターセンター」の前から遊歩道(木道)が整備されていて河口部尖端近くまでいける。灯台は明治25年設置・点灯という道内最古級で、建設同時は現在の灯台位置が河口部だったようです。建築当初は木造六角形黒白だったが、明治41年に鉄製円柱、1965年に無人化された。現在はコンクリートで補強されている。
◇所在地:石狩川旧河口部  ◇GPS N43°15’37.30” E141°21’64.50”

石狩浜海浜植物保護センター石狩川河口域 石狩市MAP

石狩浜海浜植物保護センター

石狩浜は今では貴重な自然海岸ですが、1970年代以降に海浜植生の破壊が進む。石狩浜の豊かな自然を守り回復させ、後世に遺していくための活動拠点として2000年にオープン。現在、石狩浜の植生・環境保全、自然情報の提供や調査研究、環境学習等に関わるさまざまな活動を市民と行政、研究機関が協働して取り組んでいる。◇所在地:石狩市花川北6条1丁目
◇N043°14’86,81” E141°20’98,50”

石狩八幡神社石狩河口エリア 石狩市MAP

石狩八幡神社石狩八幡神社は1858(安政5)年箱館総社八幡宮の末社として現石狩八幡町に創立された。その後1874(明治7)年開拓使の命で弁天社地内に移設された(弁天社は村山家内神ということで同家所有地の現在地へ移された)が、境内は石狩弁天社の跡地で、八幡神社創建以前の鳥居(弁天社のもの)や手水鉢が残されている。写真では秋味の文字ははっきりしませんが、奉納年の文化十年は読めます。幕末の探検家・松浦武四郎は「再航蝦夷日誌」で「弁天社、鳥居・灯籠・柵皆石にして、はなはだ美々しきものなり」と紹介しています。
◇所在地:石狩市弁天町1 ◇ 043°14’99,72” E141°21’38,99”

石狩弁天社石狩川河口域 石狩市MAP

石狩弁天社鮭を御神体とした社は北海道以外に9社あるというが北海道で歴史的に鮭と関連が深いと云えば標茶の「圭水神社」と「石狩弁天社」があげられるでしょう。石狩弁天社は、1694(元禄7)年松前藩家臣山下伴左衛門により「鮭の豊漁・海上安全」を祈願して建立された伝えられる。1694(文化13)年に石狩場所請負人の村山家が守護神として再興、その時立てられた鳥居に「秋味」という文字が彫られており、その頃は既に秋味という呼称があったようだ。祭神は弁天のほか「鰈鮫」を神格化した「妙亀法鮫大明神」というのも石狩ならではのもの。1874(明治7)年開拓使の命で現在地に移設されたが鳥居は八幡神社の鳥居として残っている。
◇所在地:石狩市本町9-1 ◇N043°14’85,39” E142°21’19,83”

朝里大橋小樽エリア

朝里大橋小樽巡りで最初に行ったのが朝里大橋、朝里から道道1号線でオタルナイ湖(朝里ダム)に向かうとダムの下流側で半径150m程のカーブを360度回る朝里大橋で通称「朝里スカイループ」で高度を稼ぎダムに着く。橋を渡るとき僕は下を見ないようにして運転した。堤頂から朝里スカイループの全体を見られ、展望台まで行けばダムの全景とループ橋や遠く日本海も眺望できるという。

小樽運河小樽エリア

小樽運河有名な観光地なので詳しくは説明はしませんが運河の全長は1140m、運河の幅は道道臨港線に沿った部分では20m、北運河40mで大小4つの橋があり、撮影スポットになっている。北海道開拓の玄関口として発展してきた小樽港は、はしけ(台船)を使って荷揚げしていたが、取り扱量の増大ではしけが直接倉庫の近くまで入れる水路を作ったのが始まりという。海岸の沖合いを埋立て造成され大正12年に完成した小樽運河だが埠頭岸壁の整備で退役となった。その後の埋立てを巡る論争を経て一部を埋立て、幅の半分が道路となり、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残し、散策路や街園も整備され今の姿に生まれ変わった。◇所在地:小樽市色内?港町

旧日本郵船株式会社小樽支店国指定重要文化財 小樽エリア

旧日本郵船株式会社明治37年着工、同39年に落成した石造2階建の明治を表する洋風石造建築で設計者は佐立七次郎氏。建物内部は漆喰壁に北海道産木材のワニス塗装という、建設当時は建物前面に専用の船入澗、輸出入倉庫があり建物の裏側は鉄道という好条件でした。建物は昭和29(1954)年まで使われていたのを昭和30(1955)年に小樽市が譲り受け、昭和44(1969)年に国の重要文化財に指定された。昭和59(1984)年から3年間、全面的な修理復元工事で当初の雰囲気を再現、現在保存修復工事中で平成27年まで休館。◇所在地:小樽市色内3丁目7番8号

小樽市総合博物館旧小樽鉄道資料館 小樽エリア

旧小樽鉄道資料館

旧手宮駅の跡地と小樽鉄道資料館は小樽市総合博物館に引き継がれ、鉄道鉄道資料館や蒸気機関車資料館の屋内展示と公園化された旧手宮駅跡地の屋外展示と施設などからなっている。小樽市総合博物館正門前にクロフォード像、中に入ると明治17年・アメリカ製の「しずか号」、屋外展示は機関車庫1号、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁などの他、史蹟となっている明治18年開通した北海道の鉄道始発点を示す北海道鉄道開通起点碑などがあり、北海道の近代化遺産となっている。ここでの1番人気は敷地内を走る国産最古のアイアンホース号「機関車庫3号1885(明治18)年製・国指定重要文化財」のようです。小樽総合博物館手宮口横には動輪のモニュメントと北海道鉄道発祥駅の碑があった。手宮口の正面から旧手宮線跡が残っているが、手宮口正面の部分は通行できない。◇所在地:小樽市手宮1丁目3番6号

手宮駅跡小樽エリア

手宮駅跡日本で3番目の本格的な鉄道で、北海道最初の鉄道は、幌内から小樽港まで石炭を輸送する目的で計画され、アメリカ人技師クロフォードの指揮の下、18803(明治1)年に手宮と札幌間が開通、1882(明治15)年に 幌内~小樽間が全通した。手宮駅跡地は幌内鉄道の起点で「北海道鉄道開通起点・小樽市指定史跡」があり、手宮口に「北海道鉄道発祥駅碑」や「北海道鉄道発祥の地 小樽」のモニュメントなどがあり、旧手宮鉄道施設は北海道の鉄道が石炭と不可分の関係を象徴、見方を変えると資本による資源略奪が本格的にはじまった記念碑といえるかもしれない。手宮線路跡は公園や散策路になって残されている。◇所在地:小樽市色内

手宮洞窟陰刻手宮洞窟保存館 小樽エリア

手宮洞窟保存館手宮洞窟は慶応(1866)2年に小田原の石工長兵衛が建築用石材捜しの際に偶然洞窟に入り発見したとされる。平成元年施行の発掘調査で出土遺物から、洞窟壁画は約1.600年前に刻まれたことが判明、国指定史跡となる。昭和2(1949)年にブロンズによる模刻と保存覆屋、昭和61年より風化、剥落防止のため保存修復を開始。平成7年に「手宮洞窟保存館」が完成し、保存された彫刻(陰刻画)を見る事ができるが、僕にははどこが壁画なのかよくわからなかった。国内で手宮洞窟のような彫刻は、フゴッペ洞窟だけですが、このような岩壁画は日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島などにも見られ、続縄文人の日本海を囲む文化の流れと精神文化を知る上で知る上で第一級の遺跡という。写真撮影は許可されている三脚とフラッシュは禁止です。
◇小樽市手宮洞窟保存館 休館日:火曜日(祝日は開館) 冬期休館
◇所在地:小樽市手宮1丁目3番4号

小林多喜二文学碑小樽エリアMAP

小林多喜二文学碑小林多喜二は日本を代表するプロレタリア作家で「蟹工船」や、小樽を舞台にした「不在地主」など数多くの作品を残している。小林多喜二は秋田県に生まれで(1907)年に小樽に移住、1921(大正10)年に小樽高等商業学校(校現小樽商大)入学、学生時代より創作活動を開始、卒業後は北海道拓殖銀行に就職するが、1929(昭和4)年に退職し、翌年上京。1931(昭和6)年に当時非合法下にあった日本共産党に入党。困難な創作活動を続けていたが、1933(昭和8)年2月築地署特高に逮捕、拷問を受け死亡。1964(昭和39)年に多喜二の同窓生等が発起人となり小林多喜二碑建設期成会が組織され、募られた資金で建立。碑は本郷新の設計で、銅板の碑面左に青年労働者の頭像をはめ込み、右上部は多喜二の肖像レリーフ、左上部に北斗七星、北極星を象った嵌込がある。碑文は1930(昭和5)年11月11日、多喜二が獄中から村山知義の妻籌子への手紙の一部。

「碑文
冬が近くなるとぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある そこでは人は重っ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知っている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街を ぼくはどんなに愛しているか分からない
小林多喜二(こばやしたきじ)
1903(明治36)年10月13日~1933(昭和8)年2月20日」
◇所在地:小樽市富岡2丁目 旭展望台
◇標高197,3m N043°11’80,33” E140°58’9220”

祝津パノラマ展望台より日和山灯台小樽エリア

祝津パノラマ展望台赤岩方面の豪快な海岸線から高島岬の日和山灯台、小樽市鰊御殿などを眺望できる。日本海に面しているので夕日の名所にもなっているとか。なぜか「江差追分節名歌碑」と「北海浜節民謡碑」がある。日和山灯台は明治16(1883)年建設、北海道では納沙布岬灯台に次いで2番目(様式灯台という条件をつけなければ太田が北海道最古らしい)に初点灯された。現在の建物は2代目で、初代は木造六角形の灯台という。年一回灯台の無料開放がある。◇所在地:小樽市祝津3丁目

江差追分節名歌碑 北海浜節民謡碑小樽エリア

北海浜節民謡碑碑に書かれているのは有名な追分節の文句ですが、通説は江差あたりの女性が、漁期に忍路や高島の漁場に行っている愛しい男を追って行きたいが、その手前のおかもい様(積丹岬の大岩)が女人の通航を許さない。せめてそこに近い歌棄や磯谷の漁場で働いて男の帰りを待ちたいという事のようです。

話にはもう一つ裏があって、当時の新興商人(政商)が何とか歌棄(有戸付近)と磯谷(横間付近)場所請負の権利を手に入れたが、ニシン漁場が年々北上するということから、何とかして忍路・高島の場所請負の権利を手に入れようと暗躍したが、事破れて全面的な敗退となった。そのことを書いた落札が喝采を受け歌詞になったのだという。もっともらしい話ではあるが・・・・北海浜節民謡は聞いたことがないが、小樽の忍路、高島の漁場が舞台のようです。
◇所在地:小樽市祝津3丁目 ◇祝津パノラマ展望台

国史跡 忍路環状列石小樽エリアMAP

忍路環状列石三笠山山麓の緩斜面を平坦にカットし、その面に大きな立石とその周囲に小石を大きな楕円形(33m×22m)に並べたもので文久元(1861)年に発見された遺跡です。縄文時代後期(約3.500年前)のもので、この時代に出現する「区画墓」と呼ばれる集団の墓地と考えられていますが、この時代としては大工事だったのではないでしょうか。隣接する遺跡では巨大木柱が発見され環状列石と関連する祭祀的な遺跡と考えられと考えられているそうです。ストンサークルでは道内最大級ですが、草が伸び放題で石が草に埋もれ国指とは思えない状態でした。◇所在地:小樽市忍路2丁目

道史跡 地鎮山環状列石小樽エリアMAP

地鎮山環状列石忍路環状列石の西、約1kmの地鎮山(標高50m)の山頂にある遺跡で楕円形の形に、12個の大石を10m×8mの規模で配置。昭和24年にの発掘調査では中央よりやや南寄りに円形に小さな円石を集めた部分があり、その地下に2m×2m、深さ1m方形の墓穴が発見され、底には川原石とみられる円石が敷かれ、縄文時代後期の区画墓の一種と考えられています。今は穴をコンクリート?で固めてある。ストンサークル自体の草は日陰でそれほど伸びてはいないが、途中の遊歩道は倒木で塞がれていたりと手入れはあまりよくない。◇所在地:小樽市忍路2丁目 地鎮山

石狩河口と小樽エリアのミニギャラリー

小樽運河2 クロフォード像 静号1 静号2 手宮線跡1 手宮線跡 恵比寿神社・憲法記念碑2 小林多喜二碑2 オタルナイ運上屋跡 小樽赤岩付近 忍路環状列石2 地鎮山環状列石2 追分け碑 オタルナイ運上屋跡2 恵比寿神社憲法記念碑2 北海道鉄道発祥地 北海道鉄道起点碑 浜益開基碑碑文 千年の森・ナラの巨木 余市・石川啄木歌碑

☆更新情報など☆

レイアウトを変更してレスポンシブタイプにしました。併せてもHTML5構文エラー修正とリンクの見直しをしています。

横走り pagetop  戻る  先へ

日本海にしん街道

北海道・番外編

モバイル掲示板

掲示板談話室

相互リンク

お勧めリンク

rss10 rss20

楽天toolバー

まち楽

twitter

サイトバナー

道北の釣りと旅-baner-1