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JR佐久駅の駅舎内に、地元の方々から寄贈された昔の民具など貴重な資料を展示。特に珍しいのは木製のハッカ蒸留装置で必見、その他に馬橇など懐かしの道具達がかつての生活感を見事に再現している。地元の方の郷土愛が有ればこその伝承館といえる。とても田舎のJR駅とは思えないが、明るい駅舎と「さわやかトイレ」がトレードマークとか。
国道40号線と佐久橋の交差点近くにある自然公園で国道の落石防止柵の近くに手づくりの木の看板がある(2011年訪問時は看板が地面に置かれていたので気をつけて見ないと判らない)。急勾配の階段を5分ほど登ると山頂に着くが木々に囲まれて眺望はほとんど効かない、三角形をした自然石の「山の神」の石碑が有る。「天塩日誌」によると1857年6月11日(陽暦7月31日)にアベシナイに宿泊した様に書いてあり、公園の説明板も同じように書かれていたと記憶している。「丁巳日誌」では今の中川付近で上陸し見分と贈り物をしたのみ、アベシナイには三軒の廃屋があるだけで武四郎一行は先の神居山の西山麓迄進み(現富和付近)野営している。他に往復共にホロヒリフト(現歌内付近)とあわせて中川では3泊している。安川三自然公園の近くには中川町エコミュージアムセンターがある。
中川の市街地裏高台が森林公園で山頂が見晴公園となっている。その一角に中川町・縁の詩人、斎藤茂吉記念歌碑があります。斎藤茂吉(1882~1953年)は精神科医で伊藤左千夫門下の歌人、大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物で、生涯に全17冊の歌集を発表し、全17.907首を詠んだという。斎藤茂吉は1953年に中川町に医師として赴任していた次兄、守谷富太郎の元を訪れ数日間滞在している。歌碑は共和地区の公園にもあります。森林公園迄は車で行け駐車場もあるが見晴公園には駐車場なし。森林公園と言うだけに樹種は豊富で特にシュリサクラが見事、ただ展望は残念ながら樹木に遮られ狭い。
医師として赴任していた次兄、守谷富太郎の診療所跡地が茂吉小公園として整備され、歌碑の他に短歌フェスティバル歴代入選歌の展示と診療所の説明板が設置されている。茂吉は1953(昭和7)年に次兄の元を訪ね、日記では「豪雨ノナカヲ草草鞋ハキ徒歩ニテ志文内ニ向フ。若者二人ムカヒニ来ル。四郎兵衛ハルツクサツクヲ負フ。天塩川濁流サカマク。午後四時半志文内ノ富太郎兄ノ処ニ無事着ス。富太郎、富子途中マデ迎ニ来ル。十六,十七年ブリノ会合ナリ」と17年ぶりの再会だったようで五日間の滞在でした。その時に通った旧道はハイキングコースで志文内峠を経て安川に抜けられるが(要熊対策)が草の伸びる前の方が良さそう。◇中川町共和
延べ総数で七駅逓が開設された中川町は上川管内で最も駅逓所の開設数が多かった。ただ殆どは形跡もなく碑などもない。その中で斉藤茂吉小公園近くに有った志文内(共和)駅逓所は駅逓廃止後には営林署の宿舎として利用されていたと、解体された建材がまだ残っていると云う。安部志内川沿いで最奥にあった大正15年設置で昭和19年廃止の板谷駅逓所は建物は既に無いが、駅逓前に植栽していた外国産の松並木が残っている。記念碑こそないが板谷から恩根内への分岐手前にある「駅逓の松」に、かって存在した駅逓の痕跡を見る。写真にあるワッカウェンベツ(大和)駅逓の木彫看板がエコミュージアムセンターに展示されています。
森林公園の一角になり市街地の南側に位置する。中川町でキャンプの出来る所が森林公園だけだった頃に良く此所を利用したが最近はナポートパークの方に人気が集中。それだけに此所では静かなキャンプが出来る。公園内にあるログハウス(ライダーハウス)は無料で宿泊出来、調理場やトイレなどシンプルながらキャンプ場としての施設も整っておりテント設営も可能です。
少し風変わりな公園ですが元々は鮭鱒孵化場の有った所で、鮭遡上シーズンには、天塩川の長旅を経て故郷に帰ってきた鮭の姿を見られると思います。普段は訪れる人も殆ど有りませんが鮭遡上時は穴場かも。ここだけの話、その気になれば野営も可能かも・・・但し鮭が遡上してくる頃はヒグマも鮭を狙って出没するのでご用心を。
石狩川・神居古潭の天塩川版。音威子府側は音威子府渓谷と呼ばれ紅葉が綺麗。神居古潭とは違いは国道にトンネルは少ないが、駐車場所が少なく道幅も狭く渓谷の核心部分を国道側からは余り見えなので、覆道やトンネルが無いJRで中川町と音威子府間に限り鈍行列車での旅をお勧め。松浦武四郎が描いた幻の「7段の滝の図」も確かこの渓谷の中ですね。未だに幻のままですが・・
天塩川の河川改修工事で幾つもの河跡湖が生まれたが最近は埋めたてられ牧草地に様変わりしている。その中で「瀬尾の沼」明治年代の地図でも独立した沼で、天塩川水系では数少ない自然に残された河跡湖かもしれない。瀬尾は元々セオピラという貝殻とか貝化石の出る天塩川の崖にあった名前なのでここでも同じような所が有ったのか? 沼は林と牧草地に囲まれ僅かに水を湛え自然の雰囲気を残している。沼に傍まで行く事の出来る路はない様です。
瀬尾の沼の北側に有った佐藤の沼は部分的に沼の面影を残しているところもある。国道40号を隔てた金見の沼はそのほとんどが牧草地に様変しているので沼と言うよりは水路という感じになっている。地形図では旧河川沼と表記しているだけなので初めて行く人には分かりにくいが、各沼は古川筋にかかる橋と天塩川の堤防から見る他はない様です。ただ渡りの観察には貴重な沼といえます。
中川町の国府地区にある沼で、国道40号沿いに駐車スペースがありそこから三日月沼を眺める事ができます。ただ全容は見られませんので南側の地点から沼に降りてみましょう。沼に行く道はありませんが灌木などに捕まりながら降りて行く事が出来ます。特に早春と紅葉の秋の風景は趣があります。もう一つはこの沼には数多くの魚が生息している様で釣りも可能、鯉とフナなどが釣りの対象ですが面白い釣りが出来ると思います。時には魚を狙っている尾白鷲の姿を見る事もある。此所では長靴、軍手と虫除けスプレーは必携のアイテム。中川町には尾白鷲がいるようです。
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